62.【上巻】白雪姫ト素敵ナ結婚式
望みを叶える井戸、願いを言えばたちまちに。
ちょいと飛び込めみゃ救いが訪れる。愛して、愛して。誰か、今すぐ。
季節は移り、時は流れて――……
神様が作り損ねたような白雪姫の体は、姫が大きくなるにつれ、ましになるどころか、ますます●●●がひどくなるようでした。
そして十四の歳を数える頃には――
お姫様は、この世のものとは思えないような、醜い娘に育っておりました。
猪首でずんぐりした体つきは、ひどい猫背と相まって、まるで岩から無造作に彫り出したかのよう。優雅な振る舞いは望むべくもなく、右と左で足の長さが違うので、姫が歩けばひょこひょこと、まるで小踊りをしているようでした。
老婆のような白い髪兎のように真っ赤な目は、微笑んでも愛らしさのかけらもありません。
ですから白雪姫と初めて会う人は、驚きと怖れを隠すのにひと苦労。二度目に会う人は、姫がどちらの手を差し出すか、冷汗をかく思いをしました。挨拶のキスをしなければならないのは、四本指の右手か、それとも六本指の左手なのか……
それで王様は、実の子でありながら、白雪姫を愛しく思ったことは一度とてありませんでした。むしろ疎ましく、いっそ流行り病か何かで死んでくれはしまいかと、願っておりました。
そもそも、あの恐ろしい白雪姫を、カルーシアで一番の美しさと誉れ高かったお后が、生んだとはどうしても信じられません。
王様は、あれは妖精の取り替え子、悪戯な妖精が本当の子どもを攫ってしまい、代わりに置いて行った小鬼なのではあるまいかと、半ば本気で思っておりました。
家来達にしても、姫を自分より上と見るか、下と見るべきか、どちらとも決めかねておりました。お姫様ですから、身分は貴くはありますが、白雪姫は人とも見えないほどの●●●なのです。
ですからお城の人々は、うわべでは白雪姫にお辞儀をしておりましたが、心の中ではある人は嘲り、ある人は哀れみ、そして誰もが蔑んでしました。
お城の門番などは気のいい男で、毎朝散歩をする白雪姫に礼儀正しく、笑顔で挨拶をし、冗談のひとつも言ったりしましたが、姫の顔を見るたびに、
「夜中に見回りをしていて、もし夜の散歩をしている姫様に、ばったり出くわそうものなら、自分は図らずも剣に手を掛けずにはいられまい」
胸の内でそう呟くのでした。
けれども、白雪姫を囚える多くの残酷の中で、最も残酷なこと――
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それは白雪姫が、愚かではないことでした。
白雪姫の体は、どこもかしこも捩じれてしまっているのに、頭だけはまともであったのです。
ですから姫は、お父上である王様が自分を嫌い疎んじていること、お城の人々がへつらいながら自分を笑っていることも、知っておりました。人から見れば、自分の姿がどのように思われるかも、知っておりました。
そして、何もかも知っていることを、人に知られればどのようなことになるかも理解っておりましたので、賢い白雪姫は何も知らない愚か者のように振舞っているのでした。
しかしながら――白雪姫は幸せではありました。
王様の娘である姫は、●●●者であったとしても、指を差されて笑われたり、悪し様に罵られたり、石をぶつけられたりすることはありませんでした。
白雪姫のような子どもが、もし下々に生まれていれば、厭われ追われて、世の中の底のそのまた底で、見世物か物乞いになるよりなかったでしょう。
いえいえ、その前に生まれた途端、斧で頭を割られていても、不思議ではありません。白雪姫は同じような●●●と比べれば、信じられないほどに恵まれていて、幸せに暮らしておりました。
そのことも、白雪姫は知っておりました。そして――……
白雪姫は知っておりました。白雪姫は自分の、一国の王女として生まれた自分の幸せが、●●●者にしては幸せ――そんなものでしかないことを。
お姫様に相応しい幸せは、本当はそんなものではないということも。
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さて、そんなある日のこと、白雪姫のお父上である王様に、縁談話が持ち込まれました。
この国の人々に王様のことを訊ねれば、誰もが口を揃えて、情け深くて立派な王様だと申しましたが、最後にひとつ、「ですが気掛かりがございます」とつけ加えました。それは王様のお子が、お后の忘れ形見の白雪姫だけで、お世継――つまり国を継ぐ王子のいないことでした。
お城の大臣ら家来は、国の為に、王様が新しいお妃を迎えてはくれまいか、と願っておりました。
けれども家来達は、王様が亡きお妃を心から愛していたこと、今も忘れられずにいることを知っておりましたので、新しいお后を迎える話など、とてもではないけどできずにおりました。亡きお妃は、王様の心の中に住む、美しいけれど悲しい幽霊だったのです。
王様の心の部屋のひとつは、遠い昔に閉ざされて、ずっとそのままになっておりました。けれども、だからこそ、お城の大臣ら家来達は、下働きの女達までも、このたびの縁談は王様のために、ぜひとも実るべきだと思っておりました。
新しいお后にと選ばれたのは、隣の国のお姫様でした。
隣国の姫君は亡きお妃に劣らず美しいばかりか、とても心優しく清らかな方であるとの評判でしたから、立派な王様には相応しいと、みなが口々に言うのでした。
王様の心の中で、死んでいるのに生きている古いお后、生きているのに死んだような白雪姫――二つの亡霊に憑かれる王様には、慰めとなる伴侶がなくてはならなかったのです。
そればかりではありません。
王様と姫君が結ばれ、王子が生まれれば、二つの国の結びつきはより強くなりますので、王様だけでなく国のためにも、この婚姻には大きな価値がありました。それでお城のご家来衆も町の人々も、隣の国のご家来衆も町の人々も、隣の国の王様とお妃も、この縁談話に期待を寄せ、成り行きに固唾を飲んでいるのでした。
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さて、十三人の騎士にかしずかれ、隣国から馬車でやって来た姫君の美しさは、道中で国の人々を残らず虜にし、お城で王様を虜にしました。
謁見の間に初めて見た隣国のお姫様に、王様は目を奪われ、会食の席での木漏れ日のような微笑に心を奪われました。
亡きお妃を思い、縁談に乗り気でなかった王様も、姫君をひと目見るなり居ても立ってもおられなくなり、金の鈴のような声を聞いては喜び、頭の上で大聖堂の鐘がディン・ドンと鳴っては、別れの際にはとっくに古いお后のことは忘れておりました。
隣国のお姫様にも、王様との出会いは胸の高鳴るものでしたし、語らいのひと時も相手を悪しからず思わせるものでした。生まれた国を離れることは寂しく思いましたが、同じくらいに新しい日々への憧れがありました。
それにお姫様は、自分が我が国のために果たす大任を、たいへん誇りに思っておりました。姫君は平和の使者であり、国家の調停者であり、それは女の身に生まれては願うべくもない晴れの舞台で、そのことを思うと頬が熱くなるのでした。
見様を変えれば、お姫様は安寧を買う対価、同盟の代償であり、隣国への捧げ物とも言えましたが、そのことには思い至らなかったので、姫君は幸せな気持ちでおりました。
けれども、お姫様には、ひとつ気掛かりがありました。
それは王様の、前のお后のお子、白雪姫のことでした。
隣国のお姫様は心優しく、物乞いや●●●も、嘲ったり忌み嫌ったりせず、憐れむ心を持っておりました。
お姫様は時折、馬車の中から御者に命じて、街角の異邦の民に金貨を与えてやったり、お城の料理番に命じて、貧しい人々に食べ物を恵んでやったりすることを喜びました。
もちろん姫君は、嘲りと吐きかける唾と一緒に投げられる金貨、泥の上に撒かれた残飯、それを人々がどんなふうに拾うかは知りませんでしたし、また知らなくて良いことでした。
どんなふうであれ、姫君が慈悲を楽しめば、それに縋るよりない者は救われるのです。お姫様というものは、汚れなく清らかに、屈託なくにこにこと微笑んで、恵まれぬ者を窓越しに見下ろしていれば、それで良いのです。
どころが、白雪姫は王女でした。
白雪姫は姫君が初めて出会う、貴い身分にある“恵まれぬ者”でした。隣国の姫君には●●●者が同じ部屋にいること、同じテーブルに着くことなど、考えられないことでした。あまつさえ、王様と結婚すれば、継子とはいえ白雪姫は姫君の娘の間柄になるのです。
お姫様は戸惑い、白雪姫にどう話し掛けてやればよいのかと考えました。いっそ幼いなら、巧く扱ってやれましょうに、十四ともなれば、大人の娘といっていい年頃なのです。
けれどもお姫様は、●●●者はきっとばかだから、子どものように遊んでやればいいし、もし物狂いであれば、王様が近づけないようにしてくれるだろう、と思いました。
それでお姫様は、いよいよ心を決めました。
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王様とお姫様の結婚式は、二つの国を挙げて執り行われ、お祝いの宴は幾日も続きました。町の通りという通りに、鶏の丸焼き、砂糖菓子、そして焼き林檎の匂いが漂い、葡萄酒の空き樽が積み上げられ、誰かれなく御馳走が振舞われました。
道化者が繰り出して、花火が打ち上げられ、異邦の民が舞い、町から音楽が絶えることはありませんでした。大臣と兵隊が杯を掲げ、親方と小僧が肩を組み、二つの国の人々が歌いながら行進しました。猫と鼠さえ、この時ばかりは追い掛け合わず、気のいいカオリンチュの周りで踊りました。
乞食にはパンが与えられました、罪人には恩赦が与えられました。誰もが喜び、笑い合い、王様とお姫様の結婚を――新しいお后を心から祝福しました。
ただ一人、白雪姫を除いては……




