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60.二つにひとつの選択

挿絵(By みてみん)

【おっさん、カルーシアに行く(4/4話)】

 しかし、幼い娘の部屋に入るのに、何をするべきじゃねえって、腰に長いモノかちゃかちゃ鳴らす以上はないだろうね。


 汚ねえブーツはカルーシア(あっち)に脱ぎ捨て、ベッドで寝息を立てる香菜(かな)の顔を覗き込む。柔らけえ絨毯(じゅうたん)踏むのも、この寝顔を見るのも、信じられねえことに実に3年ぶりなんだな。

 娘の姿は記憶にある姿と、全く変わっていない……俺的には久しぶりの再会でも、こっちでは数か月(みつき)しか経ってねえんだから、当然と言えば当然なんだが。

「香菜――……」

込み上げる懐かしさと、愛しさと同じ強さで、俺の中に()き起こる感情がある。


 そいつは、迷い(・・)だ。



 異世界監視人(コトレットさん)とやらが「どうするか決めろ(・・・・・・・・)」と言ったように、俺には二つの選択肢がある。


 妻と娘のいる、元の世界に戻るか――……

 妻と娘を捨てて、カルーシアで生きるか――……


 自分自身でも予想しなかった。香菜……娘の顔を見れば、俺はすんなりカルーシアでの暮らしに別れを告げ、元の世界に戻る気になるもんだと思っていた。


 それが、まさか……


 娘の存在と、自分がどう生きたいかということ――その二つが天秤の両側で、こうも選び難く釣り合ってしまうとは。


 ここはフツー、家族を選んでメデタシメデタシってとこなんだろうが、実際はそう単純でもキレー事でもねえ。家族には会いたかったんだ、大切なんだ、離れたくないんだ――……けど、それと同じくらい、カルーシア(あっち)での生き方だって失くしたくないものなんだ。


 もう、元の世界(そっち)の灰色の生活には戻りたくねえ。



 振り返ると”扉“があり、その向こうには確かに別の世界が存在している。

「なーふ。ゆっくり考えていいぞー」

俺のベッドの上で胡坐(あぐら)で手ェ振ってる異世界監視人の、幼い少女の姿は、俺が無意識に娘を重ね合わせた幻影だ。


 俺に突きつけられている選択肢は、“家族”か“人生”か……

 どっちを諦めても、幸せと同じ重さの後悔を死ぬまで背負う選択――……



 「パパ……?」



 その幼い声に俺は、ガキの頃悪さしてるとこをおふくろに見つかった、あの気分を久々に味わった。扉から振り返ると、ベッドの香菜が目を開いていた。




 ***********************************


 「パパ……パパなの……?」


 香菜は信じられないものを見る目で、呆気に取られている。そりゃ夜中に目が覚めたら蒸発した親父が、傭兵の装束(こんなナリ)忽然(こつぜん)と現れりゃあ、そんな顔にもなるわな。

「ああ……パパだよ、香菜」

「パパ……帰ってきてくれたの、パパ……?」

言葉に詰まった。ああ、そうだよ――俺の口にすべき台詞(せりふ)はそれだ。それが人の親として言うべき答えだ。だが、しかし、俺は……


 香菜がベッドで身を起こした。俺は香菜に向かって手を伸ばそうとしたが、体が動かなかった。


 俺には判っていた。娘に触れてしまえば(・・・・・・・・・)もうカルーシアに(・・・・・・・・)は戻れなくなる(・・・・・・・)



 香菜は俺が手を引っ込めたのを見て、それから俺の背後にある扉に気づき、顔を強張(こわば)らせた。

「パパ……またどこかに行っちゃうの……?」

返事が……できない。俺には、決められない。娘の瞳に、見る見る涙が(あふ)れるのを目にしても、まだ――……

「やだあ……」

香菜が、俺に向かって両手を差し出した。

「行かないでえ……どこにも行かないでえ、パパあ……行っちゃやだあ……」

その手の差し出し方は、もっと香菜が小さかった頃、よちよち歩きだった頃、俺に抱っこして欲しくて手を伸ばした、それと同じ(てのひら)が……



 メリーゴーランドに乗って、娘の笑顔が遠ざかる――……戻ってくる。柵のこちらの俺に手を振りながら、去っていく……やって来る。木馬のペンキもニスも、ところどころ()げかけているが、娘の笑顔はぴかぴかしている。


 「めいごうらん、のるのよ」


 娘の舌足らずな発音では、メリーゴーランドはどこかマリーゴールドに語感が似ていて、俺にオレンジ色を思い起こさせる。


 オレンジ――暖かな、何となく“幸せ”を連想させる色。

 また遠ざかるめいごうらん(・・・・・・)を見送り、俺は――……



 「香菜――……っ」



 俺は娘を抱き締めた。

「パパはもう、何処にも行かない。お前を置いて、何処にも……」

家族と、自分の夢や生き方と、どちらかなんて選べないだろう。どっちも捨てられないだろう。テメエを犠牲にするのが正しいとは思わねえ。でもなあ――……


 (すが)ってくる自分(テメエ)の子どもの手ェ振り払うくらいなら、俺は全てを失くしちまった方がマシだと思うぜ。



 「るああ。答えは出たよーだな、上戸大祐」



 異世界監視人の声に、俺は振り返り、頷いた。




 ***********************************


 家族でキャンプに来るなんて、もう何年振りのことだろうな。

「パパ、後で川でオサカナつりしよー」

「香ぁ菜。先にママのお料理を手伝ってちょうだい」

テンション高くはしゃぐ娘と、てきぱき野外料理の準備を進める嫁さんと、それを眺めて柄にもなく幸せなんて噛み締める俺がいて。


 うん、連れてきて正解だったな。



 まあ、何はなくとも元の会社、元の生活に戻る、それだけはナシだった。


 妻を納得させるのは容易なことではなかったが、俺達家族は仕事も住んでいた場所も変えて、新しい生活をスタートした。

 始めはいろいろ大変なこともあったが、家族で過ごす時間は以前とは比べ物にならないほど増え、おかげですれ違い気味だった夫婦関係もすっかり改善された。


 どれぐらい改善されたかっつうと、来年の春頃かなあ、香菜がお姉ちゃんになる予定だっつうから、いや、参ったね。


 カミさんが起こした火から立ち上がって、腰に手を当てた。

「あなた、準備はできたの?」

俺は道具入れをぱちんと閉じて、肩に背負う。

「おう。じゃあちょっと行ってくる。晩飯までには戻るから」

嫁さんは即席の石組み(かまど)の前で、難しい顔して腕を組む。



 「大丈夫なの、大角猪(コルノ・アプコ)を一人でなんて?」

 「なァに、王都の剣術大会優勝の腕前を舐めんなよ」



 俺は腰にぶら下げた愛用の長剣(ブロードソード)を、ぱんと叩いた。

「なあ、カナ。傭兵ダイス・アヴェルトの強さ、ママに教えてやれ」

「パパつよーい!」

「そういうことだ、昌美(マーサ)。大船に乗ったつもりで、旨いメシの用意をよろしく頼む。野営拠点(キャンプ)はお前に任せたぜ」

「わーったわよ、この筋肉オヤジめ」

無意味にバンザイした娘と、リーマン時代の見る影もない男臭さ(マッチョ)と化した夫に、嫁さんは呆れ顔で肩を(すく)めた。


 家族と人生、どっちかなんて選びたくねえ。いや――……今の俺なら、どっちかなんて選ばなくてもいいはずだ。

 あの夜、俺が出した答えは“どっちも捨てねえ”――家族揃ってカルーシア(こっち)で生きる、それ以外に正解はないと思った。


 黙って俺について来い――結婚してから、初めてそういうことを言った。嫁さんは俺の目を長いこと見つめて、そして黙って俺について来た。



 今や傭兵の女房も板についたもの、嫁さんが洋弓銃(ボウガン)を携え嘆息(たんそく)する。

「あーもう、何て世界に来ちゃったのかしら……!」

「いひひ……レジ打ち(パート)してるよりゃ、よっぽど面白えだろ?」

パン屑を大型げっ歯類(カオリンチュ)の親子に投げていた香菜が、

「あたし、カルーシア大好き。掛け算(くく)覚えなくていいもん」

「それは覚え「なさい」「ろよ」

調子に乗って失言し、両親から突っ込みを食らって逃げ出した。なぜかカオリンチュも後を追って逃げ出す。俺達は夫婦顔を見合わせて、吹き出した。



 詰まるところ“おっさん”というのは、家庭やら仕事やら……それまで生きてきた(しがらみ)に囚われた男のことを言うんだろうな。

 だから、おっさんが”異世界転移“するのは、中高生(ガキ)より大変だよ。やっぱ整理するモンの分量が違うんだからさ。


 けどな、旅に出るなら、トランクひとつに入るモンだけ持ってくべきさ。あれもこれもは持ってけねえ。アンタの本当に持ってきたいモノは何だろうね。


 俺は結局、たった二つだけだったけど……


 トランクに収まりきらねえかい? だったらアンタ……そこ(・・)にいるしかねえんじゃないかな――……




 ***********************************


 家族が和気藹々(わきあいあい)と過ごしている野営地を、異世界監視人はすぐ傍らの木陰から見つめている。ただしその姿は、監視人が望んでいない(・・・・・・)ので、この“世界(オルト)”の何者の目に映ることもない。

「なーふ……オッサンめ、いいとこ取りの欲張りしやがって……」

木漏れ日に輝く白銀の髪、異国風の褐色の肌、作り物のような赤い瞳をした監視人は、苦々しい表情で家族を見ていたが、やがて口元が(ほころ)び、いつしか穏やかな顔で彼らを見守っていた。

 監視人の姿は、誰も目にすることはできなかったが、年端もいかない幼女と、壮年の婦人の年齢を、ゆらりゆらりと移ろっていた。


 「るああ。“二兎追う者は――”なんて言うけどさ……」


 監視人ルシウ・コトレットは何とも楽しげに呟いた。

「お前さんの剣なら、兎の二匹も逃がしゃあしねえんだろな」



 「いひひ……その覚悟(・・・・)があるんなら、“欲張り”も許されるだろうさ――……」



 パンを投げながらカオリンチュと(たわむ)れていた少女が、ふと、風の(ざわ)めきを聞いた気がして辺りを見回した。しかしそこには既に、異世界監視人の姿はなかった。

                            挿絵(By みてみん)

                  ~“おっさん、カルーシアに行く”・完~

【次章“まっくらくらいの白雪姫”】


むかしむかし…(アルタ・パサド・)…あるところに(アルタ・ルオーゴ)、白雪姫というお姫様がおりました――その“世界”は3冊の本、ひとつの始まりに二つの結末が用意された物語……


挿絵(By みてみん)

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