59.オルト・クストーデの扉
国王陛下より直々のお言葉を賜り、剣術大会は幕を下ろした。
「新進気鋭の若手の頭を、ちょっと小突いてやって欲しい」
軍部からの依頼で、傭兵ギルド長も「若えのに活入れろ」とノリノリで振ってきた出馬要請、どうやら役目を果たしてほっとひと息だ。
若い奴の頭が押さえつけられるのは、元の世界でもさんざ見てきたが、今回はあくまでも気を引き締めさせ、慢心を戒めるため――上官殿の愛情だよ、諸君。
まあ、傭兵組合のギルドマスターなぞは人が悪くて、
「近頃は若造どもが、持て囃されて面白くねえやな。我ら世代代表、いっちょ揉んでやって、俺らもまだまだやれるってとこ思い知らせてやんな」
って、完全に面白半分だけどな。あん野郎、
「頼むぜ、アヴェンダ。俺ァ、お前さんに大枚賭けてんだからな」
と来たもんだから、呆れるぜ。
元の世界の奴はダメで、カルーシアの奴がイイとは言わないけど、ここでは兵隊は命を懸けて預けて預かってて、みんなあっちより少しだけ必死に生きてるから、上の人間はちょっとだけ下のことを真剣に考える、そういうことなんだろうな。
俺も柄になく、ちょっとだけ下のことを真剣に考えて、小突いた結果、二人ばかりに完全に火ィ点けちまったからな――……
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アヴェルトさん優勝おめでとうってんで、傭兵仲間と酒場に繰り出し、しこたま飲んで賞金を散財、千鳥足で帰るのは旧市街の手狭な下宿屋。
色気のねえ男の一人暮らし、どうせ寝に帰るだけだからベッドの寝心地さえ悪くなけりゃあそれで十分だ。ほろ酔い気分で真っ暗な寝室に入り、ふうとため息を吐くと……
「そこにいる奴、おかしな動きはするなよ。今日は一杯やってるからな、手加減しくじって死なせちまうかもしれねえぞ」
腰の物に手をやりつつ、室内に潜む何者かに声を掛けた。人の気配は左手の4歩先――ベッドの辺りにいる。もし向かってきても地の利はこちら、一旦廊下まで退いてから、追ってきたところを迎え撃ちに叩く算段を胸の内に立てる。
と――……部屋の灯りがぱっと点いた。そこにいた侵入者は――
「……子ども……か?」
一瞬――……人違いをしかけてぎくっとした。人様のベッドに、靴も脱がずに上がり込んでいるのは、五つか六つばかりの小さな女の子だった。すわ賊かと殺気立った自分に苦笑し、得物の柄から手を離す。
「この辺の子か? 勝手に人の家に上がっちゃダメだろう」
旧市街の下宿屋などは良くも悪くも、近所付き合いが緩い。ガキやらジジババやらは、人ン家でも割と平気で出入りして、食いモン取ってたり置いてったりする。
ベッドで胡坐をかく女の子――色素の薄い銀髪と、対照的な小麦色の肌をした、黒い頭巾を被ったお嬢ちゃんは、
「Oh-la-la。ここまで“幼い姿”を貰うのは珍しいな」
自分の姿を眺めながらそう呟き、俺ににやりと笑い掛けた。
「お前、アタシに誰か小さい女の子を投影したな?」
「Raa。娘さんかい、上戸大祐――……?」
……――カルーシアに来てから、一番びっくりしたかもしれねえ。
少女が俺を見据えた目は、この世の物とは思えねえような、恐ろしく奇麗な真っ赤な瞳をしていた。この嬢ちゃん、こいつは見た目通りのモンじゃねえな。魔法使いか、それとも魔物の類か……
「お前さん……座敷童か何かか?」
「Narf。誰が妖怪だ、誰が」
得体の知れない嬢ちゃんは、眉間に皺を寄せてジトっと俺を睨み、黒頭巾の端を両手で抓んで後ろに下ろした。
「るああ。アタシはルシウ・コトレット。異世界管理局から来たのさ」
お嬢ちゃんは、前髪を丸めた手で撫でて、にっと笑った。
「オルト……何だってぃ?」
「クーストース。まあ、“異世界転移”を管轄してるお役所だと思いなよ。そんなことより、今日はアンタにお届け物があってきたのさ」
ルシウ・コトレットとやらはそう言って、懐から1通の封筒を差し出した。
それを見て、俺は心臓に手ぇ突っ込まれてぎゅっと握られる思いがした。
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可愛いんだか不細工なんだか、おっさんにはさっぱり判らねえキャラクター物の、ぼんやりした色の封筒だった。封をするのにキラキラしたシールを使っていながら、宛名はフツーの鉛筆で書いている辺りが、いかにも子どもらしい。
『パパへ。香菜』
「これは……香菜が書いたものか……?」
この封筒……あれは俺がこの世界に来る少し前……久しぶりに家族で出かけたショッピングモールのショップで、俺が娘に買ってやったものだ。呆然とした俺に、少女は促すよう手紙を上下に振った。
「るああ。異世界監視人がわざわざ持って来んだ、そりゃ“異世界”からに決まってる。可愛い娘さんからのパパへのお手紙だ、とりあえず読んでやんなよ」
俺は震えの抑えられない手で封筒を受け取り、しばらく香菜秘蔵のリ●ックマシールを見つめてから、封を切った。
『パパへ――……パパがいなくなって、かなはさびしいです。ママもパパがいないからげん気がないです。かなはパパが大すきだから、はやくおうちにかえってきてほしいです。はやくかえってきてください。かな』
……――香菜。
今まで生きてきて、これほど立てる場所が揺らいだことはなかった。こっちの世界に来ちまったこと、向こうの世界に戻れねえこと――納得したとは言わねえが、肚は括ったつもりでいたが……香菜、昌美……
くだらねえ世界に、残してきた大切な物を、俺は思い出しちまった。
そんな俺の動揺を静かに見つめて、異世界監視人は、
「るああ。ダイス・アヴェルト、アンタの“異世界転移”は急だったが本人は納得ずくのようだし、その点では問題ないんだけど、ご家族の方がなあ、その通りご心配してんだよ。それでな……」
ベッドに腰かけたまま人差し指を突き出し、下から上、直角に右から真下、空中に四角を描いた、すると――……俺の傍らにピンク色の、いつかの夜の“ど●こでもドア”が出現した。
「アンタの娘さんの思いが、アタシんとこにその手紙を“異世界転送”したのさ」
扉が、独りでにすうと開いた。その扉の中にあるのは……ああ……あるのは、見覚えのある子供部屋だ。ライトブラウンの学習机、椅子に背負わせた赤いランドセル。シールを貼ったくったゴミ箱。白いパイプベッド、そこに寝ているのは――
「香菜――……」
3年ぶりに見る、“元の世界”がそこにあった。
俺は――……激しく動揺していた。
ひょんなことから、こっちの世界にやって来た。戻ることもできないから、肚を決めてやってきた。元の世界に残したものは、どうすることもできないのだから、ただ幸せであってくれと願うしかないと思っていた。
しかし今、再び扉が開いた。えっ、戻れるのか……戻れてしまうのか? 家族のいる、元の……あのつまらねえ毎日へ?
今更――……?
俺の後ろから、監視人が言う。
「るああ。あっちとこっちじゃ、時間の繋がりが違う。元の“世界”じゃ、お前さんが“転移”してから経った時間は3か月ほどだ……その“扉”はしばらくアタシが開けといてやる。一度、娘さんに会ってきな」
「それで、どうするか決めるといいさ」