58.メルセナリオの剣戟
「しょッ、と!」
左手で胸倉を掴む、と同時に右で襟首を吊り上げ、顎を殴りつけながら男に背負い投げを仕掛ける。相手は俺より余程ガタイがいいが、投げは力じゃねえ。コツさえ知ってりゃあ、大男だろうがデブだろうが――
「ぐうっ?!」
――宙を舞う。さっきまで調子に乗って俺に突っ掛かってきてた若いのは、テーブルの間に巧いこと転がしてやると目を回した。
「なあ、兄ちゃんよ」
俺は足で椅子を引っ張り出し、若い男の頭の上で膝を組んだ。
「悪いことは言わねえ。傭兵の贔屓の店で揉め事起こすのはヤメときな」
奥から店の主人が猪首を更に縮こめて、恐る恐る出てきた。
「アヴェルトさん……殺っちまったんですかい?」
「人聞きの悪いこと言いなさんな。ちょいと伸びてるだけだよ」
丸っこい親父は若い奴の様子を確かめ気弱そうに笑った。
「いやあ、助かりましたや、アヴェルトさん。この若造、こんところ毎日のように店に来ちゃあ、強請り集り掛けてきやがってね。それで、アヴェルトの旦那……」
親父は一層背中を丸め、上目遣いに俺に愛想笑いする。
「お礼はいかほど包ませてもらっちゃあ……?」
俺は後ろ髪に指を突っ込んで掻き回し、
「いいよ、馴染みの仲じゃねえか。店で客が喧嘩した、そんだけのことよ」
「や、しかし、旦那。それじゃあ私の気が……」
そう言いつつ、腹の中で算盤弾いてんのが見え見えだ。元営業ナメんなよ。
「まあ、そう言ってくれンなら、今日の酒飯だけ集らせてもらうぜ、親父」
「や、何を仰るんで旦那、今夜はお代を頂ける訳がねえでしょうや! お好きなだけ飲んでってくだせえよ」
ぱちんと珠算を弾いて、荒事の手間賃にゃ随分安上がりだろう。店の親父は相好を崩して、俺の前に麦酒を並々注いだジョッキを置いた。
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あの夜――……会社の事務所に出現したど●こでもドアを開けて、この妙な世界に――この中世ヨーロッパ的世界に来た俺は、その瞬間から何故か“傭兵”の職業に就いていて、オマケに“武具扱いの達人”の能力を持っていた。
いやまさか、自分がこうも思い切った転職に成功するとはなあ……
名を問われ、「ああ、上戸だ」と答えたら「アーウェート? アヴェルト?」と問い返されたので、この世界でフツウの名前ならそれでいいやと、上戸大祐は“ダイス・アヴェルト”になった。
傭兵組合に行ったらすんなり仕事が貰えて、“武具扱いの達人”の能力で触ったこともねえ剣や弓が自在に使い熟せて、あれよあれよという間にそこそこの金と名声が手に入った。
元の世界で、缶ビール片手に何気なく見たくだらねえ深夜アニメで知ってる、こういうの、“異世界転移”とか“転生”って言うんだ。
しかしそういうのって、中高生の身に起こるもんなんじゃねえのか。昔からアニメで世界の危機に直面するのは、子どもって相場が決まっているだろう。今日日はおっさんも、異世界転生とかするもんなのか?
それとも……前に“おっさん”は“人生の終点が見え始めた奴”だとか言ったけど、この先なんざ全く見えない世界に来ちまった俺は、もう“おっさん”じゃなくなったってことなんだろうか……?
そして、この異世界だかに来て早3年ばかりが過ぎた。
ってことは、恐ろしいことに俺もとうとう不惑を超えた計算になるが、こっちで傭兵なんざやってるせいか、体力と見てくれ的には、むしろ30代の時分より若々しいんじゃないだろうかと思う。少なくとも、気持ち的に若返ったのは確かだな。
元の世界に心残りがない訳じゃあねえ。
会社や仕事には蚊の小便ほどの責任も感じねえが、やっぱり家族、特に可愛い盛りだった娘、香菜はどうしているか、それだけは気掛かりだ。もう小学校も高学年になってるはずだ。元気にやってるんだろうか――……
……――とは言っても、向こうの様子を窺い知るすべも、ましてや戻る手立てがあるではない。ただ俺は家族の無事と幸せを願いつつ、この世界で生きていくより外はない。お父さんはそれなりにやってるよ、お前も元気でな。
昌美の言うこと、ちゃんと聞くんだぞ――……
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「ほう――……あのガキ、オランジナの坊ちゃんに勝ちゃあがった」
剣術大会控室側の通路で、俺は顎の無精髭を掌で擦った。まさかまさかの番狂わせに、競技場は割れんばかりの歓声に包まれ、しばらく収まりそうにない。
王宮主催の剣術大会、第3試合。
会場の期待を引っ提げて登場するは若き近衛兵、レイス・オランジナ。刺突剣の名手にして、武門オランジナ家の嫡子、加えて金髪碧眼のタカラヅカみたいな美男子とくりゃ、非の打ちどころのない貴公子だ。
こなた、近頃傭兵市場で名が売れつつある異邦人の剣士、名をユマ・ビッグスロープ。歳は少年に近いような若さだが、カルーシアでは見たこともない不思議な剣術を使う、今大会のダークホース。
それでもレイス・オランジナ優勢だろうとの、大方の下馬評を覆し、試合開始とほぼ同時に、貴公子の疾風のような突きは軽々と撥ね上げられ、手を離れて高々と舞った試合用剣は遥か後方に突き立った。
まさに一瞬の出来事、しんと静まり返った客席から――……
女達の悲鳴、男どもの喝采――呆然とした王子様に静かに一礼し、ユマ・ビッグスロープは控室へと踵を返した。
入退場口で観戦していた俺は、通りかかったユマに声を掛ける。
「よ、今の一撃は良かったねえ」
「ありがとうございます」
ユマが頭を下げた。奴さんとは時たまメシくらいは行く見知った仲だが、試合の緊張でか今日は態度が固い。
「……――俺が次勝てりゃ、そん次はお前さんと当たるよ」
そう言うと、真面目腐った顔で頷き、控室へと消えて行った。
いやあ、若いねえ……
腕は立つし、腹も据わってるが、たぶんハタチになってない……ってこたあ、ちょっと待て。あいつ、俺の半分以下か(汗)。黒い髪と瞳をしていて、どっか世間知らずで、笑うと不意に幼い顔をする。そんでから――……
たぶんだけど、あいつ“異世界転移者”だ。
顔立ちがアジアンっつうか純日本人だし、あの太刀筋も剣道っぽい。それにさっきの試合――あいつも俺と同じ、何か能力持ってやがるな。
あの撥ね上げは、突きが来るのを知っていて、狙って打ったとしか思えねえ。と言って、余裕綽々ってツラでもない。俺の見たところ……
“数秒ばかり先が判る予知能力”……ってとこじゃないかな?
さあて。齢は倍違うし傭兵稼業でも先輩な訳だし、ここであの小僧に負けたら面目が立たんよなあ。予知を使う奴相手に、うーん、どうやって勝つかねえ……?
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控室の長椅子に転がしたユマが、ようやく目を開いた。きれいに一発で落としてやったから、後に残るダメージはないだろう。
さっきの試合、面と向き合ったユマの奴は中段、いわゆる正眼に木剣を構えた。やっぱりスタイルは剣道ベースで間違いないようだ。俺をひたと見据えて、仕掛けてくる気配はない。こちらの出方を窺っているか、或いは――数秒先の俺の動きを“視”ようとしているのか……
ユマにマジで予知能力があるのか、だったらお前、どーしたって避けられちまうじゃねえか。そこで俺の取った手は、手とも呼べねえ単純な方法だった。
来ると知ってても避けられねえ速さで打ち込む、ただそれだけのことだ。
頭に大きなコブをこさえたユマは、自分がどこにいるのか判ってないようで、俺の顔を見て不思議そうにしている。そうしてると、思った以上にガキっぽいな。
「お前さんの剣は気持ち悪いなあ。オランジナの坊ちゃんみてぇに、なまじ修練した剣を使うほど、お前とはやり辛えかもしれねーなあ」
そう言うと、ユマはやっとこさ何があったか思い出したようだ。
「アヴェルトさん……俺、負けたんですか?」
身を起こしたユマの頭を、ぽんと叩いてやる。
「俺もまだまだ若いモンには負けねえよ――……と言いたいとこだが、もう何年かすりゃあ、お前さんやレイスにゃあっさり追い越されるだろうよ」
そう言って、ユマのコブを親指でぐいっと押してみた。
「あいたた……」
「ふむ……ま、たいしたこたァなさそうだ。それはそうと、お前さん、坊ちゃんに惚れられたろうから、精々覚悟するこった」
ユマに敗れた時の、レイスの悔しそうな顔。俺とユマの試合を観覧席から見ていた、食い入るような表情。
「ああいうタイプは深情けだぞ」
ユマとレイス、いいライバルになれば、お互いもっと強くなるんじゃないかな。いやあ、若いっていいねえ。青春だねえ。
「ま、若人同士切磋琢磨して、より一層の高みを目指したまえ……じゃ、おいちゃん、これから決勝戦なんで、ちょっと行ってくるわ」
ま、もうしばらく今んとこは、おっさんも現役で頑張っちゃうけどね。




