03.こちらカルーシア異世界管理局出張所
俺は今日、特に依頼もなく、暇を持て余して町をぶらついていた。
「うん……今日も王都は全てこともなし。いい風が吹く……か」
王都の目抜き通り、コンツラート通りの市場の空を見上げた。往来の両側で軒を連ねる露店の天幕を前景に、青く高くよく晴れている。
王都でも指折りに大きな市だが、まだ昼前とあって、人出は盛りではない。屋台料理屋から日用雑貨店まで、左右から呼び込みが掛かるが、俺を見て熱心なのはやはり武具を商う店だ。
そぞろ歩きしながら、軽く腰を揺すり、剣帯の据わりを直す。この動作が無意識の癖になって、どれくらいになるだろう。
俺は露店のひとつで足を止め、
「おっちゃん、リンゴひとつ貰うよ」
「兄さん、異国のお人かい? この辺りじゃ、レインガゥって発音するんだぜ」
「あー……何か、死んだらここに戻ってきそうだな」
「何か言ったかい?」
「いや、こちら事さ」
レインガゥを樽から取り、銅貨を指で弾く。小気味よく掴み取った店主に、釣りは手を振って断る。
カルーシアの貨幣は俺にはいつになっても見慣れない外国の通貨で、価値がピンと来ない。この頃じゃ仕事の実入りも悪くなく、銅貨は10円玉感があって、ついお大尽してしまう。
リンゴ……もといレインガゥ、この世界の果物や野菜は、元の世界のスーパーで買う物より整ってはいないものの、しっかり濃い味がする……よーな気がする。服の袖できゅきゅっと磨き、ワイルドにがぶりと……
「っと、と」
齧りつこうとした足元を、不意に子どもの一団が、追いつ追われつすり抜けた。
ひょい、と足を上げた拍子に、折角のレインガゥが手から逃げ出し、路地の方へところころと……
「ありゃ、マジかよ」
スキル持ちの傭兵も、子どもと転がるレインガゥには勝てはしない。レインガゥを追いかけ、路地裏へと足を踏み入れると……
「「「ああっ?! てッ、てめーはッ!!」」」
この男声三部合唱には聞き覚えがあった。筋肉質の大男、痩せた長身、チビの顔も知っている。
「よう、お前ら、覚えてるぜ」
「ああっ?!」
「前に『覚えてろ』と言ったのはお前らだろ」
妙なところで再会した。俺の異世界転移初日、アーシャと一緒にいるところに絡んできた、ガラの悪いゴロツキ三人組だ。
あの時はヤンキーにもビビる高校生だったが、今ではそれなりに場数を踏んでいる。腰に下げているのも、今日はデッキブラシではない。向こうもおそらく、傭兵ユマ・ビッグスロープの名と顔は判っているだろう。
おおかた路地裏に迷い込んだ奴から小銭でもせしめる算段だったのだろうから、切った張ったまでするつもりはあるまい。
こちらとしても、その気のないふうを示していると、リーダー格のが、
「おう、行くぞ、てめーら」
手下どもに顎をしゃくった。意味なく相手の体面を潰すことはない。大人しく道を開けようとして……足元に落ちていたレインガゥを踏んづけた。
「お、おわ?!」
結論。傭兵よりゴロツキよりレインガゥの方が強い。
後ろ向きに引っ繰り返り掛けた俺は、背中を空き家の扉にぶち当て――……
ぶち破り――……
***********************************
……――この奇妙な部屋に転がり込んだのだった。
黒頭巾を下ろした少女は、やや眦の吊り上がった大きな目。真っさらな銅を思わせる、明るい褐色の頬をしていた。白に僅かに灰色を溶かした薄い銀髪に、月明かりのような光が殊更に映える。瞳の色は本来は赤いようだが、青い光を反射して、今は紫に輝いて見える。
ルシウ・コトレットを名乗った少女は、予想通り幼かった。
中高と同じの元級友、武田の妹と同じくらいの背格好だ。小4だったと思うから、少女の外見年齢10歳くらい、ってところだろうか。少女どころか幼女だ。
幼女は印象的な風貌で、可愛らしい顔立ちをしているが、表情はジト目で口元に薄笑いを浮かべ、ちっとも可愛くない。
「アタシはルシウ・コトレット。で、ここはお前とは関係ねー場所。以上。帰れ」
不躾けに言い放つと、丸めた拳で頭の後ろを掻いて、
「るああ……」
何事か呟きながら、話は終わりとばかり書き物に戻ろうとする。
俺には関係ない? いや、そんなはずはない。
異世界で起きる出来事は、異世界転移者のために起こるもんだ。俺の周りで起きたなら、それは俺の“シナリオ”だ。
主人公の成長に合わせて、無理なくステップ・アップ式の異世界生活。そう言えば、このところ、シナリオがひと区切りになって、日常回をやっているような感じはしていたんだ。
理解った、これ。新章突入だ。俺の物語の一期が終わって、急展開の二期がスタートしたってことじゃないか?
だったら……俺は肩を竦めて、やや大仰にため息をついた。
「ふう……どうして厄介事は、俺の周りでばかり起きるかねぇ?」
やれやれ系無気力(やる時はやるんんですけどね)主人公を気取ってみた。敵か味方か、謎の少女の背中に向かってキャラを作ってみせる。
「はあ、仕方ない。いいかい、お嬢ちゃん。この俺の目の前で起きていることで、俺に関係ないことなんてひとつも……」
「Oops。面倒臭えな、逢坂悠馬ァ」
書き物の手も止めずにルシウは間延びした声で言った。驚かされたのは俺のほうだった。
「何で……俺の名前を……?」
それも通り名ユマ・ビッグスロープの方ではない、俺の本名。こっちの世界では、アーシャに一度だけ名乗ったことしかないのに。
再び振り返った幼女の顔には、警戒心も、敵意も、俺への関心は全くなく、言葉通りただただ面倒臭そうな表情が浮かんでいた。
「うーぷす。これだから異世界転移者は厄介なんだ。この町にどんだけ空き家と扉があると思ってんだよ。そこをピンポイントで転がり込んでくるかあ、フツー? 因果係数がオカシイのは理解るけどさ、こっちの領域にまで干渉するのは、問題だなあ……」
ブツブツと独り言を呟き、薄銀色の髪に指を突っ込んで掻き回しながら、ジトっと湿り気のある三白眼になって俺を睨む。
「Narf。クソめ。オッサン相手にラッキースケベが発生するように、再調整してやろーか、るああ……」
何かとんでもなく不穏なことを口走っておられる。
と、ルシウとやらは俺の呆然とした顔に気づき、
「るああ。冗談だ、冗談。こっちのハナシ、気にすんな」
両手をきゅうと丸めると、頬っぺたと目元をごしごし擦って、嘘臭い笑顔を取り繕った。まるで猫が顔を洗ってるみたいだ。
「なーふ……今さ、お前あんまり魔法とかファンタジー要素ないだろ? ネタバレすんのもアレだけど、お前こっから……えーと、どれにすっか……そう、“古代魔導器”ってのに関わる冒険になるから。るああ、すげえ!」
「あ、いや」
「だから、アタシのこたぁ忘れろ忘れろ。関係ねーんだ、お前の筋書きには」
「じゃなくて」
「ラッキースケベも、ちゃんとカワイコちゃん相手に起こすって。なんならヒロイン2・3人増やしてハーレムいっとくぅ? うーららぁ、よっ、このスケベ」
「そうでもなくて」
「……アタシのパンツも見てくか?」
「だからあ!」
切れ間なく喋くりながら、俺をぐいぐい扉の方へ押しやっていたルシウの、肩を押さえた。目をまん丸く開いた、必死な顔が見上げる。間近だと、幼女の瞳の色がやっぱり紫ではなく本当は赤いのだとよく判る。
「るあ……」
「だからさ、ちょっと待てって。気にすんなとか、忘れろとか……」
俺は改めて、ルシウの部屋を見回した。
「無理だろ、これは」
三方の壁を埋め尽くしたモニター画面、映っているのは……王都、そしてどこか知らない場所の風景。まるで防犯カメラの監視室か、テレビ局の編集室。
「異世界転移者がこんな場所に迷い込んで、ここにいた君に出てけと言われても、ハイ、そーですかとはいかないよ」
俺がそう言うと、ルシウはまた髪に指を突っ込んでわしわししつつ、真っ赤な目を閉じて深く息をついた。
「るああ。理解ってくれよ、逢坂悠馬。これはお前の筋立てじゃねえ。ここは謂わばデ●ズニーランドのスタッフルームみてーなとこなんだ。お前は偶然入り込んじまったけど、本来はお客様が入っていい場所じゃねーんだよ」
少女はそう言うが……“それ”も含めて“そういう筋立て”ってこと
あるんじゃないのか?
「だよな……見てしまった以上、やっぱりこのまま帰る訳にはいかな……」
次の瞬間、部屋がぐらりと揺れて、壁、天井、床、視界がぐるりと回った。
***********************************
俺は初めにこの部屋に転がり込んだ場所に、その時の態勢で転がっていた。つまり、仰向けに転がされた。少し遅れて、
「なーふ。マジ面倒くさいな、逢坂悠馬」
俺は幼女に片手で軽々と投げ飛ばされたのだと気づいた。
ルシウは俺の顔を跨ぐように、真上から見下ろしている。
「るああ。理解しろよ、悠馬あ。マジでお前には関係ないことなんだって」
140センチの高さから、赤い光が二つ、俺を見下ろしている。
「逢坂悠馬、お前は異世界転移者だ。自分を“この世界の主人公”だと考えても仕方ねーし、ある程度それは正しい。けど、この“世界”の全てが自分のためにあると思ってるなら、そいつは考え違いなのさ」
何が起きたのか、信じられない思いで動けない俺に、幼女の言葉が投げ落とされる。
「るああ……ま、別に理解できなくてもいい。それこそ、アタシには関係ねーからな。とにかく、この部屋からは出てってもらうぞ」
少女は身を屈めると、俺の襟首をぎゅうと掴み、
「アタシのパンツも見たことだしなー」
赤銅色の肌に、対照的に映える白い歯を見せて、にっと笑った。
俺はそのまま、床でくるりと体の向きを反転され――……
「なあ、おい?!」
少女が片手で開け放った扉から――……
「さ……最後に教えてくれ!」
取っ捕まった野良猫のように――……
「ここは……いったい何処なんだ……?」
いともたやすく、路地にぽいと捨てられた。
「るああ。お前にいい未来があるように、アタシはここでお前を監視ているよ」
後ろで、ばたんと扉が閉まる音がした。
**********************************
慌てて身を起こす。空き家の扉は閉ざされていた。破落戸3人組の姿ももうない。傍らを見ると、俺が踏んづけたレインガゥが落ちていた。
立ち上がると、俺は少し躊躇い、扉に手を掛けた。鍵が掛かっているだろう、という予想に反して抵抗なく開く。だが、部屋の中は……
もぬけの空だった。
僅かな調度が残されたままの、時々手入れされている様子の、床に埃の積もった何の変哲もない空き家だ。しばらく人が立ち入った形跡はない。幼女の足跡も、俺が2度寝っ転がった後さえなかった。
「あれまあ……」
幼女の口真似をしてみたが、あまり驚きはなった。何となく、そうなんじゃないかと、扉を開ける前から予感があったんだ。黙って扉を閉め、俺は踵を返した。
たぶん、少女の言葉は真実なんだ。この“世界”は俺のためにある、俺の物語なんじゃない。あの部屋は俺の物語の外にある“世界”で、彼女はその外の“世界”の人で……だから、忘れるべきなんだ。
俺はのろのろとした足取りで、コンツラート通りに戻った。
「今日も王都は、全てこともなし……か」
腰を揺する。剣帯の据わりを直す。
俺は、この“世界”の舞台裏を垣間見てしまったのか。今となっては白昼夢を見ていたような気がする。ルシウと名乗った少女の忠告通り、忘れた方がいいんだろう。そう自分に言い聞かせる俺の頭の中に、少女の声が繰り返し響く。
あの時――……
舞台裏から追い出される間抜けな登場人物の、最後の問いに、支配人はたぶん褐色の肌に真っ白な歯を映えさせて笑いながら、こう言ったんだ。
「るああ。ここはカルーシア地区異世界管理局出張所さ――……」
だから――……
俺はこの“世界”の主人公ではないのかもしれない。でも、もしかすると、また俺の物語にあの扉が開かれる時がくるんじゃないか。あの真っ赤な目をした少女にもう一度会える日が来るんじゃないか。
そう期待をしてしまうんだ。
~“ユマ・ビッグスロープの場合”・完~