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56.月の光に剣は閃いて

挿絵(By みてみん)

【“月下の傭兵(3/3話)】

 月の明るい夜だった。


 満月にはちと足りないが、概ねまん丸な顔を街並みの屋根から覗かせている。酒場通りならまだ宵の口だが、人狼(べステート)吸血鬼(ヴァンピーロ)がそろそろ目を覚ます、女子どもは家から出ぬがいい時刻だ。



 さて、運河通りを外套(がいとう)を着込んだ老人が家路を急ぐ。傭兵組合(ギルド)や商家、酒場界隈の賑わいを背に、川に沿ってひょいと通りを曲がると――


 派手で上等な身なりの3人連れが、道いっぱいに広がって歩いてきていた。


 真ん中の男が誰あろう、オルセイ・チェルサーゾ卿である。傭兵野郎が見回りを諦めたと見定めて、老人が後にしてきた盛り場に向かおうというところだろう。

「はて、御免くだされ」

老人は軽く頭を下げ、身を縮めて威勢のいい若者と行き違おうとした。と、取り巻きの片割れがさっと老人の行く先を(はば)んだ。老人が慌てて()けようとすると、今度はオルセイがにやりと笑って邪魔をする。


 「はて……?」

老人が困惑して立ち止まると、オルセイは居丈高(いたけだか) に食って掛かった。

「おい、年寄り。どうして貴族の行く道を(ふさ)ぐ。我らに何か用があるのか?」

「いえいえ、これは失礼を。足の悪い年寄りのことで、どうかお(ゆる)しくだされ」

触らぬ神に祟りなし、老人は頭を下げてやり過ごそうとしたが、子分のもう一人がその肩をどんと突いた。オルセイは腕組みして、にやにやと眺めている。

「あれ、何をなさいますか!」

「黙れ、年寄り。我らを狼党(リュコス)と知っての無礼か。ちゃんと石畳(それ)へ手を突いて詫びぬと、いつだったかのガキと同じように、運河の水を飲ませてくれるぞ――……」

と、その言葉は途中からふわりと空を漂い、やがて……どぼん……水音に消えた。


 オルセイの顔と老人の顔の間を、丸太のような腕がにゅっと横切っていた。



 「おう……その話、じっくり俺に聞かせろや……」



 月下に、獅子髪の傭兵が立っていた。大円の月を背負って、大きな影が夜空を覆っていた。

「爺さん、あんたはもう行きな」

ユージン・ヴァンダルハーツがオルセイら二人から目を離さず声を掛けると、老人は深く頭を下げ、路地の蔭へ立ち去った。


 オルセイとその手下は、突如闇から滲み出したユージンに度肝を抜かれた。ユージンは巨体でガサツな男だが、傭兵稼業、素人(ガキ)気取(けど)られず近づくくらい訳のないことだ。


 驚き(すく)んでいる間に、オルセイは胸倉を取られ、片手で高々と吊るされた。月にキスさせられそうな気がした。先に川へと殴り飛ばされた仲間が、ばしゃばしゃやってる音がやたらと耳についた。

「お前が、粉屋の子どもを川へ落したのか?」

「は……放せ、無礼者! 俺を誰だと思っている、俺はチェルサーゾの……」

「俺が聞いたことに答えろ」

地獄の底(ゲッヘナ)から響くような声だった。チンピラ気取りの粋がった甲高い威嚇(いかく)とはまるで違う、生業(なりわい)で人を殺す男の声だった。


 下履きの(もも)が、温く濡れるのを感じた。



 目の端で、残った方の子分がばっと逃げ出したのが見えた。

「ま、待て……! 俺を助けろ、おい!」

叫ぶと、傭兵にぶら下げられた己の体が、すうっと空中を移動した。風の吹き様が変わって、許される視界の限りに見下ろすと、足元に石畳がなかった。


 オルセイは黒々と流れる夜の運河に腕1本、5本の指で宙吊りにされている。


 巨大な影から、腕だけが生えている。その腕だけで、自分を支えている。

「言え」

巨大な影は、一片の慈悲もなく言った。

「ひと晩中、運河の水を飲み続けたいか」


 オルセイの脳裏に、顔を水の中に押し込まれては、水を吐かされ、また水責めにされる光景がありありと浮かんだ。

「お、俺が……やった。殺すつもりじゃなかった。ただ、突き飛ばしたら、運河に落ちて……さすがにマズいと思って……逃げた……」

街並みが、空が運河が、石畳が、出し抜けにぐるりと回転したかと思うと、肺から全ての空気が叩き出された。背中への衝撃は、後から追いかけてきた。



 ユージンは地べたに伸びたオルセイを、

「今言ったことを警吏(アジャンテ)の前で洗い(ざら)い吐け。貴族(オヤジ)の力で逃れようとしてみろ、地の果てまで追い掛けて、嫌ってほど“吐き方”を教えてやるからな」

()し掛かるばかりに(おど)しつけると、運河の方へ振り返った。ぶん殴って川へぶっ飛ばしたガキだが、そのまま沈まれては寝覚めが悪い。元より殺す気はない。ちゃんと、罪を償やぁそれでいいんだ。


 オルセイが咳き込みつつ、うつ伏せに体を返し、身を起こすと、傭兵野郎はこちらに背を向けて運河の方を(うかが)っていた。

 オルセイ・チェルサーゾは、率直に言って、全く反省していなかった。貴族の子息たるこの自分が、平民の年寄りを小突いて、ガキを殺して、何が悪い? あの傭兵に屈したのは、単純に自分を上回る暴力を怖れただけのことだった。


 今、傭兵は自分のことを侮り、完全に油断して、背を向けている。


 オルセイの頭の中も、視界も、真っ赤に染まっていた。屈辱、その怒りだけがあった。下履きを汚し、子飼いの手下に裏切られ、下賤(げせん)の傭兵ごときに屈服させられた怒り。

(この恥は、貴様の命で(そそ)がねば気が済まぬ――……)

オルセイは、腰の剣を静かに抜いた。傭兵は、更なる侮辱としてオルセイを(ごう)も気にせず、間抜けにも背を向けた(まま)でいる。


 オルセイは音もなく立ち上がり、ゆっくりと剣を月へ振り上げた。



 その時、路地の暗がりから、背の低い影が走り出た。



 影は、先ほどオルセイらに小突き回された老人であった。老人が鋭くユージンとオルセイの間に割って入ると、腰の物が鞘走った。月下に刃が(ひらめ)く。


 どさり……音を立てて石畳に落ちたのは、剣を握ったオルセイの右腕だった。

「があああああ――……!」

肘から先を失って、オルセイが絶叫とともに(うずくま)った。丸めた体の下から、石畳に血溜まりが広がる。ユージンが振り返り、老人を見た。老人は剣に拭いを掛け、銘刀“槌籠(つちぐも)”を鞘に納めた。

「よう……助かったぜ、ビッグスロープ」

「空々しい。お前、俺が出なければ、こいつを殺す気だったな?」


 老人が外套(がいとう)の頭巾を上げ、曲げていた腰をすっと戻せば、それは傭兵ユマ・ビッグスロープである。

「人聞きの悪いことを言うな。そんなガキ、殺す価値もねえよ」

「ぐあああああ……ああああああ……ッ!」

「生かしとく価値もないだろ。そして、お前の剣を汚す価値もない」

のたうち回るオルセイを歯牙にも掛けず、ユージンとユマは言葉を交わした。


 ユージンは知っている。ユマ・ビッグスロープという男は、腕は立つが性分は甘く、盗賊相手でも手加減できぬ場合でなければ基本、峰で打つということを。



 オルセイ・チェルサーゾは右腕の残りを胸に抱き込み、切り飛ばされた腕に左手を伸ばし、ユージンとユマを(にら)み上げて叫んだ。

「貴様らァ! 傭兵風情が、誰に何をしたと思っている! このチェルサーゾ家が末弟、オルセイ・チェルサーゾに斯様(かよう)な真似をして、只で済むとは――……」


 「そうだな。只で済むとは思わぬがいい」


 新たな声がして、居合わせた全員が振り返った。その視線の先に在ったのは、数名の衛兵を率いた騎士、レイス・オランジナの姿であった。

 レイス・オランジナは近衛兵隊の若き新鋭(エース)にして、剣技流麗、眉目秀麗、挙句は名門オランジナ家嫡子という、天が何物(なんぶつ)を与えるかと人の(うらや)む青年だ。剣術大会に発した因縁から、ユマは剣敵(ライバル)見做(みな)され閉口している。


 近衛兵レイスは、脂汗に(まみ)れて腕を抱えるオルセイを、冷たく見下げた。

「馬鹿な真似をしたな、オルセイ・チェルサーゾ。貴下の町での振る舞いは、御父上の御威光に(くら)んで目を(つぶ)られてきたようだが、市井(しせい)の民を(あや)めたとあらば、捨てては置かれぬぞ」

「うう……」

「御父上のお顔にも随分と泥を塗った。最早(もはや)七光りも届くまいよ」

オルセイは愕然(がくぜん)とレイスの顔を見ていたが、がくりと首を落とした。衛兵達が左右からオルセイの腕を捉え、また一人が素早く右手を止血した。


 レイスがオルセイと、運河から引き上げられた取り巻きを詰め所に移送、手当てするよう指示をして、衛兵と下手人達は去っていった。



 王都の夜に静けさが戻り、ユマはレイスに歩み寄った。

「手間を掛けたな。助かったよ、サー・レイス・オランジナ」

騎士であり官憲であるレイスに“居合わせてもらう”ことで、オルセイを法的に(ほうむ)り去る。ユマが打った“仕掛け”の、最後の一手がこれであった。更に言えば、チェルサーゾよりオランジナの方が家格が上。権力に権力をぶつけるようで、多少すっきりしないが、時に手段を選ばぬのが傭兵のやり口だ……ということにしておこう。


 ユマが礼を言うと、レイスは手を振ってこれに応じた。

「何の。むしろ市民の協力に、こちらが礼を言わせてもらいたい」

そう言うと、運河の方を向いたユージンの背に、躊躇(ためら)いがちに口を開いた。

「ヴァンダルハーツ殿」

ユージンはしばし闇に沈む水の流れに耳を傾け、ゆっくりと振り返った。

「ヴァンダルハーツ殿、今回のことは、我ら騎士身分の者全ての責任だ。取り返しのつかぬことながら……済まない、この通りだ」


 レイスは肘を曲げ、(てのひら)を内にするカルーシア式敬礼をし、更に深々と頭を下げた。ユージンはレイスの謝罪を見つめ、静かに言った。

「オランジナの。あんたが謝る(いわ)れはねえ」

「いや、しかし……」

ユージンは手を突き出してレイスを(さえぎ)り、頭を振った。

「身分なんざ、関係ねえ」


 「あいつはあいつ、お前さんはお前さんだ」


 レイスがぐっと言葉に詰まると、ユマがその肩を軽く叩いた。ユージンはまた運河に向き直り、懐に手を突っ込んだ。

「終わったぜ、坊主……」

さあっと夜風が吹いて、ユージンのライオン(レーヴェ)頭を掻き乱していった。ユージンは風が流れていく方を、じっと見送った。小さな(はや)し声を、聞いた気がした。



 懐から引き出した手には銅貨(コプレ)が1枚握られていた。ユージンが親指で高々と()ね上げると、きらきらと、夜空で月と重なった。ユージンは天の月と銅貨を一緒に(つか)み取り、にやっと笑った。

「ビッグスロープ、今から一杯つきあえ」

「おう」

当然こうなると腹を括っていたから、二つ返事で頷いた。と、被害者は一人に止まらない。

「オランジナの。あんたも来な」

「え? 私?」

目を丸くしたレイスの肩に、(ぶっと)いユージンの腕が巻き付いた。

「酒を飲むのも、身分なんか関係ねえからな」

まさか今夜、自分が引っ捕らえられるとは思わない。

「ユ、ユマ……この男、何とかしてくれ……」

「ははは、こうなったら止まらん、(あきら)めろ」

慌てたレイスの背中に、ユマが肩を(すく)めた。王都の月夜に、“荒獅子”の哄笑が響く。



 「今夜はよう、酒が飲みたくて仕方がねえぜ」




 ***********************************


 傭兵組合(ギルド)の戸を潜ると、ボーパル組合長が待ち構えていたように手を上げた。

「よう、ユマ。お前さん宛に荷物が届いているぜ」

受け取って差出人を確かめると、思った通りのユージン・“荒獅子(レーヴェ)”・ヴァンダルハーツだ。包みを揺すってみると、ちゃぽちゃぽ水音がする。思った通り、酒らしい。



 ユージンとは、もう数か月顔を合わせていない。



 ユージンはあの後すぐに、旅に出た。罪に問われたとは言え、貴族の息子の腕をぶった切ったのだ、どんな(るい)が及ぶか判らない。実際切ったのはユマだったが、この件で表立って動き回っていたのはユージンだ。

「ほとぼりが冷めるまで、傭兵働きしながら、あちこち回ってくらあ」

豪傑は豪快に笑って、自慢の大槌を肩に旅立った。鍛冶屋(フェフィーロ)のサジ、仕立屋(テイラ)の姉妹はローザとメアリ、一番チビの料理人(コシネッロ)の息子のティム坊やらに見送られ、悲壮感なぞ欠片(かけら)もなく、のっしのっしと王都から去っていった。



 さて、その“ほとぼり”とやらだが。


 オルセイの父、宮廷拍チェルサーゾ卿という人は放蕩息子に甘いのではなく、さして関心のない人物であったらしい。跡継ぎの長男、(とつ)げば政略のカードになる娘には厳しいが、末の子は「自分に迷惑さえ掛けなければ」と、好きにさせていた。


 が、その迷惑が掛かってきた。


 そこでチェルサーゾ卿はオルセイを切り捨てた。嫡子レイスからの報告を受けたオランジナ候が、宮中伯のこうした気性を心得て、叱責こそあれ懲戒はないよう工作をした。チェルサーゾ卿としては悪くはない落としどころ、たかが傭兵如きに意趣(いしゅ)返しをして、寝た子を起こしても得はない。


 こうして蜥蜴(とかげ)のような権力者は、あっさり尻尾(オルセイ)を切ってしまったのだ。



 ユマからは事の顛末(てんまつ)を、ユージンのいる地域の傭兵組合(ギルド)宛に知らせたが、

「気楽な暮らしが気に入った」

と、当分は王都に戻る気はないらしく、時折、旅の空から便りを送ってくる。


 デカい依頼(しごと)を一緒に、という約束はまだしばらく果たせそうにないようだ。



 用を済まし、ギルドを出る。右手に行けばプッセの息を引き取った場所があり、今でも花や菓子を町の人々や、子ども達が置いていく。それもいずれは数が減り、いつか供えられる花が最後になるだろう。ユマは左手に向かって歩き出した。


 忘れるのではないけれど、思い出に溶けていくのだろうなあ。


 背後から仕立屋のローザがメアリを叱る声がして、ユマは少し笑って肩越しに振り返った。するとプッセの前に花束を置いて、立ち去ろうとする黒い頭巾を被った後姿が見えた。思わず立ち止まり見ている内に、黒頭巾はさっさと歩いていく。


 ユマはしばらくその背中を見つめていたが、

「まさか……な」

やがて小さく呟くと、頭を振り、彼もまた王都の人波に溶けて消えた。

                            挿絵(By みてみん)

                          ~“月下の傭兵”・完~

【次章“おっさん、カルーシアに行く”】


上戸大祐(ウエト・ダイスケ)、37歳。会社員、妻子あり……つまり、“おっさん”。いつものように独り残業する会社のオフィス、仕事にも家庭にもイマイチ情熱の尽き掛けた男の前に、不意に異世界への“扉”は現れた……


挿絵(By みてみん)

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