55.酒を辛抱できるまで
傭兵組合の扉を潜ると、ユージンは例のカウンター脇のテーブルに腰を据えた。表情もなく黙然と、机に置いた己の手を見下ろしている。
ユマが事情を説明すると、ボーパル組合長は何も言わず、ユージンが席を占領するに任せた。ボーパルもご近所の子どもらの顔は見知っているし、ユージンが可愛がっていたことも判っている。
「そうか、そいつは……」
組合長も沈痛な面持ちで奥に引っ込んでいったが、しばらくして、
「ユマ、悪いがちょっとギルドを頼めるか? 近所のことだからな、俺も少し様子を見てくる」
「構いません。行って来てください、ボーパルさん」
「助かる」
そこでボーパルはユージンに目を遣って、
「そいつも頼む」
頷いたユマの肩を叩いて、運河通りに出ていった。
ユージンは沈黙したまま、ユマには声が掛けられず、重苦しい時間を壁掛けの巻き時計が、チックタック、刻んでいた。
***********************************
組合の扉が開いた。ボーパルが戻ったかと見ると、誰もいない。だがユマはすぐに、見た高さが間違っていることに気づいた。視線を少し下げると、女の子が二人いた。きゅっと唇を引き結んでいるのは仕立屋のローザ、お姉ちゃんの後ろに隠れて泣きそうな顔をしているのがメアリ。
「あのう……」
ユマは掛けていた椅子から滑り下り、おどおどする二人に微笑んでみせた。巧く笑えているか、あまり自信はなかったが。
「こっちに来るといい。中に入っても大丈夫だから」
ユマに言われ、二人はおっかなびっくりギルドに足を踏み入れた。掲示板に雑多に貼られた依頼書、長い年月に染み付いた煙草や金属油の匂いが物珍しいらしく、きょろきょろしている。
姉妹が傍に来ると、ユマは半ば無意識に腰を屈め、子どもと目線を合わせた。
「どうしたのかな、お嬢さん方?」
プッセのことだろう、とは察したが、単刀直入にするのは躊躇われた。ローザは少しもじもじしてから、言う。
「あのね、ライオンのおじちゃんにお話があるの」
幼女にモテることに定評のあるユマも、ここらじゃユージンに敵わない。だが折角の御指名も、あっちが話を聞けるかどうか……ユマはユージンの様子を窺う。
と、テーブルで彫刻と化していたユージンが、ゆっくりと振り返った。
「俺に、用か?」
ユージンの声は静かだったが、いつもの無遠慮な馬鹿声を知るユマには、その落差が遣り切れない。ローザはメアリを連れて、足元からユージンを見上げた。ほぼほぼ、天井に顔が向く角度だった。
「あのね、おじちゃん。あたし、見たの……」
ユージンは一瞬ユマと鋭く視線を合わせ、ぐっと身を屈めた。
「ローザ、何を見た?」
ローザは口を開き掛け、声が出ず、目に涙を溜めてエプロンの腰を両手で握り締めると、意を決したように言った。
「プッセちゃんを、川に突き落とした人を、見たの」
ユマは絶句した。半分は少女の予想しない言葉に。半分はユージンの心の内側にあるモノ――“世界観”の震えを感じて。森の木々を嵐が揺らすように、ユージンの“世界”が騒めいている。
「どんな奴だった?」
しかしユージンの声は優しいものだった。ユージンもユマも「本当か?」などとは問わない。子どもが大人を信じて口にした言葉に、ぶつける言葉ではない。
「あのね、貴族の人……みたいだった」
「貴族と家来の人の3人で、私が見た時にはプッセちゃんを囲んで苛めていて、どんと突き飛ばしたの。そしたらプッセちゃんは川に落ちちゃって、3人は急いでどっかに行っちゃって、私は大人を呼びに行ったんだけど……だけど……」
そこまで一生懸命に喋ったローザの目から、ぼろぼろ涙が溢れた。それを見て、妹のメアリも顔を真っ赤にして泣き出した。
二人の頭を、掴めそうな巨大な手が撫でた。
「いい子だ、ローザ。よく教えてくれたな」
ユージンは、にかっと歯を剥き出しに笑って、立ち上がった。
「後は俺に任せろ。プッセを苛めた野郎を、とっちめてやるぜ」
ユージンがそう言うと、ローゼはエプロンのポケットに手を突っ込み、中身を乗せてユージンに突き出した。見ると数枚の銀貨とひと握りの銅貨、一番多いのは陶製硬貨だ。
「これ、私とメアリのお小遣い全部。傭兵さんにお仕事を頼むのはお金がいるんでしょう? 足りない分は、後できっと払うから……」
ローザはひと山の小銭をユージンに突きつける。
「プッセちゃんの仇を取ってください」
「おじちゃん、おねがい」
ローザとメアリは、真剣な目でユージンを見つめた。
ユージンは幼い姉妹を見返し、ぷっと吹き出した。
「お前達、この“荒獅子”ヴァンダルハーツを雇おうってか。面白え」
そう言って、ユージンは手を伸ばして、
「この依頼なら、こんくれえ貰やあ十分だ」
銅貨を1枚抓み上げ、親指で天井に弾き、ぱしっと拳の中に掴み取った。
「受けたぜ。プッセの仇は俺が取ってやる」
ユージンは不敵に笑うと、床に膝を付き、ローザとメアリを両腕で抱き寄せた。二人が泣き出し、その声が嗚咽に変わるまで、そっと背中を撫でてやる。
ローザとメアリの姉妹は、抱かれているものだから、今のユージンの顔を見られるのはユマだけだ。
ユマはこれまで、これほどに怒った人間の顔を見たことがなかった。
***********************************
ユージン・“荒獅子・ヴァンダルハーツは、銅貨1枚握りしめ、運河通りから始まり、新市街、旧市街と歩き回った。するとその日の内に、こんな話に辿り着いた。
どうも近頃王都の盛り場界隈で、貴族の小倅に、子分を引き連れていい気になっているのがあるらしい。遊び人風の派手な身形で腰に長い物を差し、いっぱしの破落戸気取りで夜な夜な酒場で騒ぎ、往来で乱暴狼藉を働く。自ら“狼党”を名乗って、随分粋がっているらしい。
子ども年寄りを揶揄い、娘にしつこく絡み、聞けば目に余る振る舞いをしているが、親の貴族というのがそこそこ権力者らしく、度が過ぎて番兵が駆けつければ一応退散はするが、取っ捕まえて牢に叩き込むという訳にもなかなかいかないという話だった。
つまるところ、親の権勢を笠に着た、甘やかされたクソガキ。この話を聞かされたユマの頭に浮かんだのは、懐かしき“DQN”という単語だった。
まだこの連中が下手人と決まった訳ではないが、無法な連中には違いない。ローザの見た人数とも合う。調べに掛かって間違いはなかろう。
ユージンの考えを聞き、手を貸そう言ったユマの申し出は、即答で断られた。
「はッ、二人でやるのはでっけえ依頼って約束だ、ビッグスロープ。お前と組むには、こいつァ小せえ。俺一人で十分だ」
「ヴァンダルハーツ、助けさせろ。俺もプッセと、ローザとメアリのために何かしてやりたい。それに、俺自身も腹ん中が煮えくっているんだ」
ユマは更に言い募ったが、ユージンは苦く笑って首を振った。
「判ってんだよ、お前さんはそういう奴さ。でもな、だからこそ、これはお前とはやりたくねえんだ」
ユージンは、太い眉毛の下からユマを真っすぐに見た。
「お前さんとはな、もっと面白え依頼がやりてえよ」
こう言われては、ユマも引き下がらざるを得なかった。
***********************************
さて、この日からユージンは昼となく夜となく、大通りから貧民街まで、“狼党”の連中を捜し歩いた。
が、肝心の3人組は、ここ数日すっかり鳴りを潜めていた。相手は無法ではあるが無茶ではない。所詮は虎の威を借る張り子の虎、仁王様のような傭兵が眉を怒らせ、己らを探し回っていると聞いて、喧嘩を買ってやろうという意気地はない。
ユージンの方もそれと気づき、町の見回りはすぐに止めてしまった。
また幾日か過ぎて、ユマは傭兵組合でユージンと顔を合わせた。付き合えと言うので、運河通りの酒場に足を運ぶ。
陽気な酒である訳もなく、なるべく静かな店の、奥に腰を落ち着けた。
「それで、調べの方はどうだ」
ユージンからは手助け無用と言われたが、ユマもやはり気掛かりで、この一件の片がつくまで仕事を取るのを控えている。話が聞きたいと思っていたところだ。
「おう、そのことよ」
ユージンが身を乗り出すと、暗い店内で目がぎょろりと光った。
さて、この何日かでユージンが調べ上げたところによると、件の狼党は王城宮中伯チェルサーゾ家の末弟――オルセイ・チェルサーゾとその取り巻きと判った。
オルセイ卿は齢は20を越えるか越えぬか、同じく城の武官文官の倅を従えて、放蕩を尽くしている。狼党は盛り場を我が物顔で渡り歩き、運河通りでも何度か揉め事を起こしており、プッセが川に落とされた日も見掛けたという者がいた。ローザが見た3人組は、オルセイ卿らで間違いなさそうだった。
話を聞き終える頃には、ユマの方もぐっと身を乗り出していた。
「よくそこまで調べたな」
「なァに、蛇の道は蛇ってやつよ」
額を突き合わせたユージンが笑ったが、ユマはふと顔を曇らせた。
「しかし目星がついたまでは良かったが、こりゃちと厄介そうだな」
「それよ」
ユージンは皿から酢漬けを摘み、口に放り込んだ。
宮中伯とは、まあ、大臣だと思えば宜しかろう。チェルサーゾ宮中伯が如何なる人物かは知れないが、少なくともバカ息子を放置している親父だ。大臣だけに権力もある。
「真っ当に訴え出ても、握り潰されかねんな」
「ああ。だから現場押さえて踏ん縛ってやろうと思ってたんだが」
連中、狼を標榜して、存外に虚仮脅しの狐だったらしい。ユージンが出ていくや、すっかり影を潜めてしまった。
臆病な獣が巣穴に籠ってしまったら、これほど面倒なことはない。
ユマはため息をつき、麦酒の杯をぐっと呷った。
「参ったな、まさか家から煙で燻り出す訳にもいかない」
ユマが唸ると、ユージンは手元のグラスをひょいと掲げてみせた。
「ビッグスロープ、俺はな、プッセが死んだ日から酒を飲んでねえんだ」
ユマが見ると、ユージンのグラスの中身は水だった。
「誓いかい、それとも験担ぎか?」
杯を静かにテーブルに置いて、ユマが問うと、ユージンが笑った。
「違うな。俺は“計って”いるのさ」
「酒、女、博打……好きなモンってのはな、我慢してても、その内辛抱できなくなるんだなあ。“悪さ”が好きだって奴も、同じだろうよ」
ユージンは、狐の足跡を見つけた狩人のように、凄みのある笑みを浮かべる。
「いいかい、ビッグスロープ。その内、我慢できなくなるんだ」
「俺は、そろそろ飲みたくて仕方がねえよ」




