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51.ロイド、カランポーのはぐれ狼

挿絵(By みてみん)

【“カランポーのはぐれ狼”(9/11話)】

 若い雄の狼が、崖の上から草原(カランポ―)を眺めていた。


 その小高い崖は、かつてとある群れのボスが縄張りを睥睨(へいげい)する玉座だった。その小高い崖は、かつてとある兄弟が決別の夜を迎えた場所だった。

「ロボおじさんは、立派な狼だったと聞いています」

若い狼が振り返った。


 「父から」


 その(たくま)しい姿に(まぶ)しげに目を細め、白い雌の狼が微笑(ほほえ)んだ。盛りは過ぎてはいたが、美しい狼だった。ブランカは若い雄に歩み寄った。

「あなたのお父さんも、とても立派な狼だったわ」

アルタは、嬉しそうに笑った。




 ***********************************


 酔狂(すいきょう)な人間がいたという――……


 その人間は学者で、請われて王都(カルーシア)からカランポ―の魔獣(ベスティエ)と呼ばれる狼を退治にやって来た。が、当初は歓迎されなかったという。


 というのも、荒っぽさをもって美学とするカウボーイ(バケーロ)の小屋に現れた学者が、こともあろうに、うら若き女性であったからだった。

「なんだあ? こりゃまた、可愛らしいオネーチャンがいらっしゃったな」

学者が旅装を解くどころか、外套(がいとう)のフードさえ下ろさぬうちに、荒くれ男の一人がジョッキ(エール)片手に意気揚々と絡むと、あまり品の(よろ)しくない笑い声がそこここから上がった。


 屈強なバケーロが詰め寄ると、学者の背丈は彼の胸の辺りしかない。

「よう、嬢ちゃん(チッカ)、今日は偉い学者様(サヴァン)が来ると聞いてるんだが、お前さん知らねえかい?」

男が揶揄(からか)い、仲間がにやついても、黒い頭巾の下で学者は落ち着き払っている。

「おそらく、それは私のことだと思うが」

「お嬢ちゃんが?!」

男が大仰に叫び、仲間連中に驚いた顔を作って見せると、どっと笑いが起こる。

「冗談じゃねえ。いいかい、チッカ? 狼退治ぁカオリンチュを追い掛けんのとは訳が違う。ましてや、ロボはただの(リュコス)じゃねえ、魔獣化した狼(ヴォルダート)だ」

男は学者に威圧的に挑み掛かり、

「女子供の遊びじゃねえぞ。チッカ、ここらは王都たあ違う。(ろく)に風呂にも入らねえ臭え野郎どもばかりだし、便所だって汚ねえぞ。悪いことは言わねえ、とっとと帰んな」


 「てめえだろう、一番の風呂嫌えはよう」

 「小便が下手なのもな」


 仲間の野次に拳を振り上げた男は、

「うるせえぞ!」

(わめ)いたが、不意に野卑(やひ)な笑みを浮かべた。

「だが、まあ、女手が足りねえのも確かだ。嬢ちゃんが“便所掃除(・・・・)”をしてえってーなら、大歓迎なんだがよ、へっへっへ……」

また男連中がどっと沸いた。



 学者はバケーロの品の悪い冗談(スラング)は知らなかったが、意は()んだようだった。



 フードの下から、真っ赤な目が覗いた、と同時に、

「なっ……!?」

バケーロの(あご)の下を、ナイフの切っ先がつんと突いた。

「お、おい……待てって。冗談だよ、チッカ、冗談……」

小屋中が息を飲んだ。学者は白い歯を見せてにっと笑うと――


 バケーロのブーツの爪先すれすれに、投げたナイフが突き立った。

「ひ……!」

バケーロはあまりのことに腰を抜かす。仲間連中が無言で立ち上がる。


 しかし学者はこともなげに身を屈め――



 床からサソリ(セコピオ)の刺さったナイフを引き抜いた。

「うーぷす。黒髭蠍(バルボセコピオ)の一種か。食い物がいいのか、デカいな」

尻もちをついた男の鼻先に、ナイフを突きつけて見せた。セコピオは刃に串刺しにされても、まだぴくぴくもがいている。

「なーふ。刺されると3日ばかり熱と嘔吐(おうと)に苦しんで、運が悪いと死ぬこともなくはねえ。針が長えから革靴でもたまに貫通すんだよ。気をつけた方がいーぜ?」

言葉もないバケーロ連中に、ナイフを振り振り(あご)をしゃくる。


 「るああ。で、“便所掃除(・・・・)”が何だって?」



 銀髪赤眼、よく日焼けした女学者は、狼王の后(レジーナ)である白い狼を罠に掛け、彼女を(おとり)(ロワ)を生け捕った。(とら)われた王は最期までその誇りを守り、人の与えた食物を口にすることはなかった。


 学者がカランポ―を訪れて数週間、まるで魔法(マジッカ)のようだった。


 狼王(ロボ)亡き後、学者は残った群れに手を出さないよう説いた。

「なーふ。強えボスがいなくなりゃ、これまでほどの被害は出ねえだろ。下手にリュコスを減らし過ぎてもなー、今度は鹿やら野牛やらが増えて、牧草地が荒れるんだよ。それはそれで困るだろう?」

バケーロ達も、この魔獣退治の魔法使いを信頼しきっていたので、誰もが素直に提言に従った。多少の不服な意見は、この頃では一番学者に心酔していた(くだん)のナイフを突きつけられた男が、説得して回った。拳で。


 ロボさえ死ねば、全て上手くいく。ようやく人間達の気が済んだ(・・・・・)



 仕事を終えて学者は(ひと)り、ロボの妻(ブランカ)(おり)へとやって来た。

「るああ。いい仔を産みなよ」

(おり)の鍵を開けた学者はそう言って、夜陰(やいん)を遠ざかっていく白い影を見送った。



 女学者(クストーデ)は考える。これで良かったのだろうかと。


 これでロボの群れが根絶やしになることはない。

 ブランカを逃がすことで、狼王の血統を残すことも出来た。だが――


 ロボが死なずには、済まされなかった。

 それだけは(くつがえ)せなかった。


 それが異世界監視人(ルシウ・コトレット)に許される“世界(オルト)”への干渉の限界だった。



 後に伝わった話では、狼王ロボとその妻ブランカは、ともに寄り()って眠るように死んだとされている――……




 ***********************************


 ブランカは、若者に並んで立った。風は草原を渡り、空に舞う。

「行ってしまうの?」

ブランカは、義理の甥(アルタ)の横顔を伺った。

ロイドの息子(あなた)なら、私達は喜んで群れに迎えるわ、アルタ」

アルタは微笑したまま、風が(ひげ)(もてあそ)ぶに任せていた。その眼差しは遥か遠いところ、ここではない何処かを見ているようだった。


 平原(カランポー)をリュコスの群れが、見たこともないような素晴らしい隊列を組んで走っている。群れを統率する立派な雄は、真っ黒な毛並みに、首から肩に掛けて雪のように白い(たてがみ)(なび)かせていた。

 アルタはその狼を、ロイド(おとうさん)に似ていると思った。たぶん、本当は“ロイドに似た狼”に似ているのだろう。

父さん(ペーレ)は群れを離れたことを、ずっと気に掛けていました。俺は伯母さん(あなた)と、群れがどうなったか知りたくて来ました」

アルタの横顔は、力強い決意と自信に満ちていた。ブランカは悟った。


 この子は去るのではなく、(おもむ)くのだ。ここを捨てるのではなく、自分の場所(アルタ・オルト)を見つけに行くのだ。

 自分も、ロボも、見えてはいなかったが、たぶんあの夜のロイドも、今のこの子と同じ顔をしていたのだろう。

「いつでも戻ってらっしゃい、アルタ。私も、ロボもあなたを待っているわ」

くだらないことを言う女だと、我ながら思っていながら、それでも言わずにはいられなかった。だが、アルタはロイドのように優しい嘘はつかなかった。



 「同じところに(ロワ)は二匹要らない。俺ははぐれ狼(ペーレ)の後を継ぎます」



 それでいいのだと、ブランカは思った。

 今なら(ロボ)もそう言うだろう。今なら、きっと。


 アルタは最後にもう一度、ロイドの故郷(カランポー)の風景を目に焼き付けた。

 そこから草原を渡る風を見ていると、どこまでも行ける気がした。



 何にでもなれるような気がした。

                              挿絵(By みてみん)

                     ~“カランポーのはぐれ狼”・完~

次回から2話は番外編、“黄色い狼”と呼ばれる老狼の、知られざる物語(アルタ・ラコンテ)


挿絵(By みてみん)

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