表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/162

47.アルタ、もうひとつの名前

挿絵(By みてみん)

【“カランポーのはぐれ狼(5/11話)】

 何にもなれない気がした。


 狼王(ロボ)が死んでから、はぐれ狼(ロイド)は生きるためだけに生きた。ただ走り、ただ戦い、目の前にあるひとつだけを見た。考えると、(むな)しさに食われそうな気がした。ロイドは頭も胸も空っぽに生きた。


 結局、生き延びたのは群れを捨てた(ロボでは)自分だった(なかった)


 群れがどうなったか、はっきりとは知らないが、ボス(ロボ)を失っては長くはあるまい。あの老獪(ろうかい)な、人間には“黄色い狼(ジャーロ)”と呼ばれていたパイロさえ、毒餌(どくえ)で呆気なく命を落としたと聞く。


 ロボとの最後の夜、どうにかしていれば、違う今があっただろうか。


 そんな問いが忍び寄れば、ロイドは振り切るため駆け足を速めた。希望はなく、絶望は殺して、ただ生きる。明日は望まず、昨日は忘れて、今日を終える。どこへ向かうでもなく走り続けて、数年が過ぎた。



 (なりたいものになれるといいな――……)




 ***********************************


 ある日。


 ロイドは罠に掛かった雌狼の死骸(しがい)を見つけた。人と狼の“世界(オルト)”の、境界線の辺りでのことだ。

 ロイドは立ち止まり、野晒(のざら)しの死体を見下ろした、若い雌だ。()せていて、毛艶が悪い。右前足をがっちり虎ばさみ(ベアトラップ)に挟まれている。相当もがいたのだろう。牙が根元から折れ、罠が肉を裂いて骨が覗いていた。


 気の毒に思ったが、ロイドにしてやれることはなかった。

 彼女はとうに死んでいる。


 至るところに、死が転がっていた。死は自然の摂理なのかもしれないが、人間が関わると、どうも不自然になるように感じた。言い様のない虚しさが、また背後から追って来る気配を感じて、ロイドは足早に立ち去った。



 しばらく歩いた。


 通りかかった茂みから、かさり、物音に耳を立てる。兎か野鼠か、何の気なしに匂いを嗅いで、ロイドは嫌な顔をした。そのまま行き過ぎようとして、足を止め、逡巡(しゅんじゅん)の末に渋々後戻りする。背の高い草を掻き分けると、小さく開けた砂地があって――


 狼の(ニント)がいた。


 ロイドの嗅いだのは仔狼の匂いだった。ロイドは空き地に歩み出ると、周囲を(うかが)う。大人の狼が近くにいる気配はない。自分のようなはぐれ狼の仔だろうか。仔狼は、突然現れた見知らぬ大人に、驚いて後退(あとずさ)りした。

「だ、だれ?」

「ただの通りすがりだ」

ロイドは目を細めて、その仔の子細を観察した。

坊や(チッコ)、お母さんはどうした?」

幼い仔狼だ。薄汚れ、腹を空かしている。あまり世話をされていないようだ。母親のものだろう、雌の匂いがあったが古く、数日は経ったものだ。

お、おかあさん(マ……マテル)はエサをとりに……ぼくにここでまってなさいって……」

「……!」

ロイドの頭の中で、愉快ではない線が(つな)がった。これほど幼い仔を、幾日も放っておく狼の母親(メーレ)はいない。もしかすると、この仔の母親は……



 あの罠に掛かっていた雌か。ここに残る匂いと、あの死骸(しがい)の匂い。

 たぶん、おそらく。だが、しかし……


 俺にどうしろというのか。



 あの雌の仔なら、置いて去れば、間違いなく死ぬ。だが、俺にどうしろと。

「おなかすいたよう」

心細い数日だったのだろう。幼い仔狼は、見ず知らずのロイドに向かって(すが)るように鼻を鳴らした。ロイドは仔狼を見下ろして、静かに口を開いた。

「泣いていても、誰も(えさ)を持ってきてはくれんぞ」

「えっ」


 ぽかんとした仔狼に、ロイドはゆっくりと歩み寄った。

坊主(チッコ)、お前のような小さな仔を、何日も放っておく親はいない。もしお前のお母さんが長いこと戻って来ないなら、何か戻って来られない理由があるのだろう」

おかあさん(マテル)、どうしたの?」

「さあな」

ロイドは空に目を()らした。

「俺が知る訳もない。だがな、チッコ。お前の世話をしてくれるのは母親だけだ。泣いていても誰も助けてはくれない。俺はただの通りすがりだ。(えさ)をくれてやる義理はない」

「う……うう……」

かつて群れを捨てたことを、悔いているのか。今この仔を見捨てたら、悔いるのか。問いかけても、誰も答えはしない。

「……俺と来るか?」



 「(えさ)を持ってきてはやらんが、(えさ)の獲り方なら教えてやろう」



 仔狼は驚いて、見知らぬおじさん(オンク)の顔を見た。見知らぬおじさんは優しそうではなく、怖そうでもなく、じっと自分を見つめていた。

「でも、マテルはここでまってなさいって」

「そうだな。だがお前が腹を()かして死ぬ前に、お母さんが戻って来られるかは判らんぞ」

「あうう……」

と、それまでむっつりした顔だったおじさんが、ほんの少し、笑った。


 「生きていれば、また会えるかもしれんさ」


 少し笑った見知らぬおじさんは、とても、とても寂しそうだった。大きくて、強そうな大人の狼がどうして寂しそうな顔をするのか、笑ったのにどうして寂しそうに見えるのか、仔狼には判らなかった。

「ぼく……おじさん(オンク)といく」

「そうか」

ロイドは頷いた。悔いているのか、悔いるのか。問い掛けても答えはない。だからロイドは、自分自身で答えを決めた。

 群れを捨てた自分なのに、この仔を見捨てられないのか。群れを捨てた自分だから、この仔を見捨てられないのか。


 問い掛けても、問い掛けても。

 罪滅ぼしになるはずもない、そうとは知りつつも。



 「小僧(チッコ)、お前、名は何という?」

 「ぼくは、アルタ……」



 その日、二匹はロイドの獲ったカオリンチュを分け合って食べた。兎よりやや大きい、食いでのある獲物だったが、おじさんが口にしたのは少しだけだった。




 ***********************************


 それからアルタの生活は一変した。


 見知らぬ大人(ロイドおじさん)は、お母さん(マテル)のように優しくはなかった。にこりともせず、甘えさせてもくれず、仏頂面(ぶっちょうづら)でアルタの先を行った。

 けれどもおじさんは、アルタを置いていくことはなかった。アルタが遅れると必ず振り返って、いつまでも黙って待っていた。アルタが追いつくと、おじさんはまた何も言わずに歩き出すのだった。


 しばらくしてアルタは、おじさんに遅れずについて歩けるようになった。


 ロイドの生活も一変した。


 行き掛かり上アルタを拾ったはいいが、群れをはぐれ、(ひと)り者のロイドに、子どもの扱いが判るはずがない。大人の脚で歩けば、子どもはついて来られないと、アルタが遅れてようやく気づく。


 不器用な狼は不愛想な顔で、驚き戸惑っていた。

 だが、楽しい日々でもあった。


 誰かを必要としたり、されたりしない生き方を選んできた。ふと夜中に目を覚ますと、脇腹にアルタが潜り込んで眠っていた。眠りながら誰かの体温を感じるのは、子どもの頃以来だった。それはいいものだった。


 アルタは親から、生きるための知恵をまだ教わっていなかった。ロイドは自分の知識と技術を、一から教え込んでいった。危険の避け方。毛繕(けづくろ)いの仕方。鼻と耳の使い方、牙と爪の使い方。狩りの仕方。狼として生きる上でのルール。


 そして、人間という、関わってはならない生き物のこと。



 ある日泥を浴びて体に付く虫を取ることを教えに、ロイドはアルタを谷間の小川に連れて行った。岸から水辺を覗き込んだアルタは、頭の重い子ども(ニント)のこと、そのまま落ちて泥地に沈んだ。あっとロイドが首を伸ばすと、目鼻の付いた泥団子がひょこんと顔を出す。ロイドは吹き出した。

「ふ……ふっはっはっはっ、お前、アルタ、その顔……はははは……」

ロイドは笑った。笑って、ふと、自分が声を出して笑っていることに気づいた。笑い声を立てる、そんなの何年ぶりだろう。一匹で生きてきたロイドは、もう随分と笑うということをしていなかった。


 笑うおじさんを初めて見て、呆気に取られたアルタも、

「えへ、へへへ……えいっ!」

釣られて笑って、身震いで思い切り泥を撒き散らす。

「こら、この馬鹿! ははは、わはははは……」

泥塗れのアルタに跳びつかれ、水溜りの中に転がして、そんな午後を過ごした。そう言えば、もうしばらく虚しさの追いかけてくる足音を聞いていなかった。



 その夜ロイドはアルタに、かつていたある狼の話をした。

 かつていた、自分の知る最も偉大だった狼の話を。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ