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46.ロボ、狼王もしくはベスティエ

挿絵(By みてみん)

【“カランポーのはぐれ狼(4/11話)】

 ロイドとロボの間で、鋭い視線が交わされた。ロイドは兄の視線を受け止めて、少し姿勢を引く。

やられた奴(・・・・・)が随分と多いようだ」

「…………」

「厄介なことになってるんじゃないのか、兄貴?」

顔色を(うかが)いながらそう問うと、ロボは殊更(ことさら)豪気を(よそお)った。

「はっはっ、お前に心配されるほど、このロボ(おとろ)えてはおらんぞ」

「ロボ」

ロイドは僅かに言葉に力を込めた。 

「ちゃんと話してくれ」

ロボは空笑いを引っ込めた。



 躊躇(ためら)いがあって、やがて深々とため息をつく。

「確かに、お前が群れを離れてから二年、この辺りにも随分と人間が入ってきた。連中、(リュコス)を目の敵にしているからな。猟銃(マスケット)は向ける罠は仕掛ける。群れを率いる身としちゃ、頭の痛いことよ」

そこでロボは、さっきの笑顔とはがらりと変わって、凄惨(せいさん)な冷笑を浮かべた。

「悪いことばかりでもない。人間の囲いのせいで草原の獲物は減ったが、代わりに(カルネロ)馳走(ちそう)してくれる。平穏ではないが、腹はむしろ前より楽に膨れるよ」


 ロイドは首を横に振った。

「よそを見てきた俺だから言うが、ロボ、家畜に手を出すのはよせ。根絶やしにされた群れを、俺は幾つも知っている」

「ふ、俺を誰だと思っている? カランポ―の魔物(ベスティエ)の二つ名は伊達(だて)ではないぞ」

狼王ロボ(あんた)だから二年も持っているんだよ、兄貴。一度しくじってしまえばそれで最期(おしまい)の狩りなどと、正気の沙汰(さた)とは思えんぞ」


 ロイドの言葉に、無意識にだろう、ロボの喉から短く威嚇(いかく)(うな)りが漏れた、ロボは苛立っている。

 ロボはボスだ。議論を打ち切りたいと思えば、群れの誰かが相手なら、ただひと言「黙れ」と命じればいい。だがロイドは群れを出た。手下(てか)ではなく、ボスに従う()われはない。黙れと言って、拒まれれば、次は牙を()かねばならなくなる。


 だがロイドも矛先(ほこさき)収める訳にはいかない。ここで退()くなら、最初から戻ってはいない。



 ロボはロイドから顔を背け、崖下のカランポ―を遠望した。

「……理解(わか)ってはいる。お前に言われるまでもない。だが、考えた末のことだ。獲物の数は、お前の知る頃より随分と減った。家畜を獲らんと群れの腹は満たせんのだ。それとも、お前、よその土地に移れとでもいう気か?」

「…………」

「……先祖代々の土地を捨てろと?」

冗談に(まぎ)らせんとしたロボだったが、ロイドの無言の肯定に、顔を(しかめ)めた。

「そもそも、どこへ行く? 棲み良い土地は誰かの縄張りだ。空いた土地は、住めぬから空いておるのだ。それにどうやって群れの口を養う? よその群れの縄張りを犯すか? 人間との争いを避けて、狼と争ってどうすると言うのだ」


 群れ……群れか。あんたはいつもそう言うが――


 賢明で、偉大な狼王ロボが、“その選択肢”に思い至ってないはずはない。背中を押すのが、俺の役目だ。ロイドは疑いもしていなかった。だから迷わず、こう口にした。



 「兄貴と、ブランカの二匹でなら」



 ロボはきょとんとし、やがて愕然(がくぜん)とする。その様子を、ロイドは見過ごした。孤独の狼は他者の心に(うと)かった。己と兄の間に入る亀裂に気づいていない。ロボは絶句していたが、やっとのことで言葉を継いだ。

「な、何を言う。二匹、俺とブランカ、二匹で逃げろと言うのか……群れを見捨てて? ばかな……」

ロイドは、ロボの心に気づかない。

「群れを抱えて、共倒れては元も子もない。散り散りになっても、生き延びる奴は生き延びるさ。背負い込み過ぎなんだ、兄貴は。二匹だったらどうとでもなる」

「やめろ、ロイド」

「な、兄貴と姉さん、新しい場所で仔だってできるだろう。生きてさえいれば、いつか新しい群れだって……」

そこでやっと、ロイドはロボの顔色、表情に目を留めた。

「……?」

ロイドがロボの怒りに気づくと、同時に、ロボが()えた。



 「群れを捨てられるか! 俺は、お前とは違う!」




 ***********************************


 ロボははっと我に返り、口を(つぐ)んだ。言ってはならない言葉が、口にされた。ロボにとっても、ロイドにとっても。ロボは狼狽(うろた)えた。

「す、すまん。ロイド、今のは言い過ぎた……」

「いや、いいんだ」

ロイドは静かに兄の弁解を(さえぎ)った。


 平静ではなかった。ただロボよりほんの少し、本心を押し殺すことに慣れているだけだ。それでも口調が早くなる。

「今のは俺が悪かった」

言ってはならない言葉を――……

「出過ぎたことを言ったよ。あんたは群れのボスだ。群れを守る立場だ、強い言葉も出るだろう。怒るのも(もっと)もさ、兄貴。俺は大丈夫だ」

……――先に口にしたのは自分だ。


 群れの統率者として、自分のいない二年を戦い抜いてきたロボに、それは決して言ってはならないことだったのだ。

「……そう言って貰えると、救われる」

ロボはほっとした顔をし、ロイドは軽く頭突きをくれた。



 そして二匹とも笑った。

 しかし、二匹とも知っていた。


 二匹の間で、今、決定的な何かが壊れたことを。

 それはもう二度と、取り返しのつかない何かであることを。



 それから半刻、ロボとロイドは並んで、ただ黙って故郷の草原(カランポ―)を眺めていた。兄弟の間にできた溝は、もう埋まることはないだろう。


 はぐれ狼(ロイド)は群れを犠牲にしても、誰か一匹でも生き残る道を探す。

 狼王(ロボ)は誰か一匹を犠牲にするなら、群れで滅びる道を選ぶ。


 どちらが正しく、どちらが間違っているということではなくて、ただ歩く道が違った。だから、ここが最後の交差点、ここで別れるのだ。それぞれに引く一線、互いに踏み越えることは許されない。


 その半刻は、ロイドにとってもロボにとっても、忘れ難い時間だった。



 やがて、それも過ぎた。兄弟は決別の時を迎える。

「行くよ」

「そうか」

兄の横顔が寂しげに見えたのは、自分の心中を投影しただけか。


 ロボはロイドを引き留めることはしなかった。ボスとして、己に意を唱える者(トライドール)を群れに置くことはできない。ただ、せめて――

「ブランカに……群れのみなに会っていかないか?」

兄として、できるせめての気遣いだったが、弟は首を振った。

「よそう。里心が湧いても困る」

群れを捨てた身だ、(わだかま)りを抱く者もいるだろう。会いたい思いに止め、ささやかな郷愁(きょうしゅう)を残すが花。あえて散らさずともいいのだ。

「そうだな。兄貴から、俺が群れを気に掛けて顔を見せたと、みんなに言っておいてくれ。あれでなかなかいいところがあると、俺の株も上がるだろう」

「ははは、判った。そうしよう」

ロイドがにやっと片目を(つむ)り、ロボが笑って、そして沈黙が降りた。


 草原から吹く風に、ロイドは顔を上げ、目を細めた。もう二度と嗅ぐことのない匂い、見納めの風景。その全てに、ロイドは再び背を向ける。

「狼王ロボが健在ならば、群れは安泰(あんたい)。どうやら要らぬ心配だったようだ」

もう振り返ることはない。

「兄さん、あまり無理をなさらないように」

「ああ。お前も体には気をつけてな」

ありきたりな挨拶を交わして、約束を交わすことはなく、ロイドは足を踏み出した。孤高へ。孤独へ。ロイドは振り返らずに足を止めた。



 「済まなかった。俺はただ、兄貴とブランカに生き延びて欲しかったんだ」

 「生き延びるさ。群れのみんなと一緒にな」



 ロイドは微笑んだ。理解(わか)り合えたと、そんな幻想を抱えて行こう。



 ***********************************


 今夜は旅立ちに白い花はなく、それでも風は気持ちよく(いいヴィントが)吹いた。月明かりに浮かぶ獣道を、辿(たど)るロイドは――


 先を行く、一匹の狼の背を見た。


 若く、根拠のない自信に満ちた足取りの、そいつの顔はロイドには見えない。

 ああ……お前はどこにいくのだ。何になろうとしているのだ。

 お前は――……遠い過去(そいつ)は、振り返ると少し笑って、消えた。



 遥かから、遠吠え(ウルラード)が風に乗って届いた。

 ロイドは立ち止まった。



 遠吠えは長く長く尾を()いて、夜空に消えてもう一度。


 猛々しく誇り高き狼王の咆哮(ほうこう)は、惜別(せきべつ)か、慟哭(どうこく)か。ロイドもまた、胸に込み上げる叫びを(ほとばし)らせた。


 言葉にできない思い。流せない涙。互いの姿は見えないまま、二匹は月に向かって交互に()えた。きっと、理解(わか)り合えたと思った。




 ***********************************


 鬱蒼(うっそう)とした夜の森、並んだ黒い木立のひとつ、その枝に腰掛けて、遠吠えをする狼達(リュコス)を見下ろす人影があった。頭からすっぽり被った外套(がいとう)の黒頭巾の奥から、赤い色をした瞳が覗いている。


 「なーふ。バカだなあ。本当にバカだよなあ」


 どこか寂しそうにそう呟くと、

「……うー、わんわんわん」

人影は枝からひょいと飛び降りた。が、地面に降り立った者はなかった。




 ***********************************


 こうしてロイドはまた、はぐれ狼に戻った。



 ロボが死んだと、風の噂で聞いた。




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