表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/162

45.カランポー、再会の丘

挿絵(By みてみん)

【“カランポーのはぐれ狼(3/11話)】

 ロボの群れが(きゅう)していると、風の噂に聞いた。



 はぐれた身ではあるけれど、かつての群れの動向は、時折ロイドの耳に入った。本当のところを言うと、嗅ぎ回りはしないまでも、聞き耳くらいは立てていた。


 ロボの群れは、人間と摩擦を起こしつつあった。


 三匹の子豚、赤(Who afra)ずきん。子ども(id a big b)でも知っている(ad wolf?)。狼は悪者だ。

 人間は羊を飼い、狼は肉を盗る。人と狼は一緒には暮らせない。


 けれど、人は町に。狼は草原に。


 お互いが“世界(オルト)”を侵さない限り、狼は物語(Who afra)の悪役で(id a big b)いられる(ad wolf?)。赤ずきんの物語は、少女が森に足を踏み入れた時に幕が開ける。


 狼の“世界”に人の手が入った。境界線が踏み越えられた。



 牧羊――……


 先祖代々気の(おもむ)くまま支配してきた土地が、ある日柵で囲われ、丸々と太ったカルネロが放り込まれた。囲われて逃げない羊は、狼達(リュコス)にとってはテーブルの上の料理だ。あいにく誰も、それは食べてはいけない肉だと伝えてはいない。


 しかし、人間達は怒った。


 狼には、草原の獲物と家畜の区別はない。獲れるところから獲る。

 人間には、それは財産だ。境界線を越えた略奪に他ならない。



 羊飼い(エルブール)略奪者(ピラート)の駆除に手を着ける。


 罠が仕掛けられる、銃を抱えた狩人(カチャトーレ)が追う。ついには雇われた傭兵(メルセナリオ)が大規模な駆除に乗り出す。草原は元々どちらの領域だったのか、先に境界線を越えたのはどちらだったのか、そんなことはもはや関係ない。


 開拓者と先住者の軋轢(あつれき)は、人間同士であっても繰り返される歴史だ。

 ましてや人と狼。理解(わか)り合えるはずがない。争いの火種はそこここに(くすぶ)る。



 そのひとつが、今しもロボの群れから火の手を上げようとしていた。




 ***********************************


 狼王の群れは幾度となく牧場を襲いながら、一匹たりとも群れから脱落させなかった。罠を見破り、追っ手を(あざむ)き、仲間の腹を満たし続けた。


 群れを率いるボスとしての天賦(てんぶ)は、しかしロボの首を絞めていく。


 例えば、群れが牧場を襲って、何匹かの狼が捕らわれ、殺されたとしよう。群れはしばらく鳴りを潜める。もちろんほとぼりが()めれば、また同じことが繰り返される訳で、狼と人間のイタチごっこは続く。


 しかし物事には、時に解決より重要なことがある。

 それは気が済むという(リセットされる)ことだ。


 羊を殺されて、狼を殺して、溜飲(りゅういん)が下がれば、ひとまずは気が済む。ひとつの出来事が終わる。次に被害があっても、それは次の話だ。それが“気が済む(リセット)”。だが、報復が果たされなければ……


 カウボーイ(バケーロ)の怒りは蒸気釜のように、圧力を高めていくだろう。

 代償を清算せず奪うロボの群れに、人々の憎しみは(つの)った。



 やがて憎しみは(ロボ)の一身へと集まってく。



 “悪魔に知恵を与え(ウイズダム・オ)られたかのような”(ー・ディアボロス)、用心深さと統率力。ただのリュコスではない、あれは魔獣化した狼(ヴォルダート)に違いない。いつしか恐怖は偶像となって、(ひと)り歩きを始める。されど、狼王の真実は……

 狼王ロボは、ひとつひとつの危難を綱渡りし、紙一重で逃れ、死に物狂いに群れを守っていた。人間達がその姿に、老獪(ろうかい)な悪党の高笑いを見ていると知ってや、知らずや。


 ロボさえいなければ。羊飼い達はそう考えた。


 ロボさえ殺せば、何もかも上手くいく。そんな神話が(まつ)り上げられた。人間達の狙いは、ロボ一匹に絞られた。



 ……――そんな噂を聞いた。ロイドが群れをはぐれて、冬を二つ越えていた。




 ***********************************


 前は行き、今は帰り。また夜陰(やいん)に紛れてこの森を歩く。


 二度と戻らないと思っていたが、判らないものだ。

(……そして、存外変わらぬものだな)

長い月日が経ったように思っていた。それなりにいろいろなことがあって、自分も変わったし、周りも変わった。

 だが土地というものは、生き物ほどには変わらないものらしい。そこの木立に覚えがあり、向こうの山並みに記憶が(よみがえ)る。たまには思い出に浸るのも悪くない。思いがけない感傷を、我ながら可笑(おか)しく思う。


 が、郷愁(きょうしゅう)を噛み締めるのは、用を片付けてからだ。ロイドは獣道を()れ、茂みに分け入った。自分とロボだけが知る小道だ。


 小道は、群れの縄張り(カランポ―)を一望にする小高い崖に続く。


 その崖に近づくことを、ロボは群れの誰にも、ブランカにさえも許してはいない。領地を睥睨(へいげい)するそこは王の玉座であり、聖域だった。幼い頃のロイドは、兄の目を盗んでここに来ては、見つかってこっぴどく怒られた。それでもロイドは、また崖を目指した。


 そこから草原を渡る風を見ていると、どこまでも行ける気がした。何にでもなれるような気がした。大人になったロイドが怖れたのは、いつか自分がその景色を欲しいと思ってしまうことだった。



 今夜、ロイドは久しぶりにあの崖を目指す。


 群れの誰にも知られずに、ロボと会いたかった。あの崖でなら、幾夜か通えば上手くすれば二匹で会えるかもしれない。もしかすると、久々に尻のひとつも噛まれるかもしれない。


 と、不意打ちのように、(シルワ)が開けた。ロイドは崖の縁まで足を進めた。

「……おお……」

知らずため息が漏れた。


 変わっていない。何も変わっていなかった。二年前の記憶のままに、ずっとその前の思い出のままに。ロイドは瞬きもせず、月明かりに照らされた故郷を眺めていた。今はただ遥か、遠い日の記憶が遊ぶに任せた。




 ***********************************


 数刻が過ぎ、月が天頂に掛かる頃、ロボが姿を現した。


 巨躯(きょく)のロボの足音は重々しい。だが久々に見るロボの足取りは、のそりとして精彩を欠いた。背中を丸め、(うつむ)き加減で、こちらには気づいていない。兄の姿には、老いの(きざ)しが(うかが)えるように思えた。


 ロイドは前足の爪で、小さく地面を掻いた。


 途端、ロボの両耳が跳ね起きた。

「誰だ?」

低く低く唸る。眼が爛々(らんらん)と燃え上がる。ロボは即座に威厳の衣を(まと)い、王の風格を身に(よろ)った。ロイドの胸に在りし日の敬愛が呼び覚まされた。

「俺だ――……」

ロイドはロボに向かって一歩踏み出し、顔を良く見えるよう上げた。



 「久しぶりだな、兄貴」



 ロボはしばし(いぶか)しげな面持ちで、ロイドの顔を見つめ――息を飲んだ。警戒と敵意が溶け、驚きが顔中に染み渡っていく。

「ロイド? ロイド、お前なのか?」

「たった2年で弟の顔を見忘れたか、兄貴」

「お前っ! ロイド、この野郎!」

ロボは信じられないという笑顔を浮かべて、小走りに駆け寄って来た。


 ロイドの目には、その傍らを若き日の幻影がともに駆けて来るのが映る。


 目の前で、過去と今が重なった。ロボは乱暴に、ロイドに頬を()り寄せた。

「わははは、生きていやがったか、この馬鹿野郎め!」

ロイドは()し掛かられ、あちこちを噛まれた。人間であれば、兄弟からの荒っぽい抱擁(ほうよう)拳骨(げんこつ)の洗礼、というところだ。ロイドは少々面食らう。どうやらロボはひどく浮かれているらしい。

(喜んで、くれるのか……)

ロイドの胸中に、驚きと困惑、そして動揺があった。



 弟の戸惑いには気づかないまま、兄はやがて少し落ち着いた。

「よく戻ったな。お前の名はちらほらと耳に入っていたぞ」

「どうせ悪名だろう」

ロボがにやりと、赤い舌を出した。

「ふん。随分派手にやっているらしい。“血祭り一匹狼”と言えば、この辺りでも少なからず聞こえてくる名だ」

「血祭り……俺のことなのか、それは?」

呆れると、ロボが高笑いした。

「やられた奴は話を盛るもんさ。お前もどうして一人前ってこった」

何だか、大層な尾鰭(おひれ)が、(ひと)り歩きをしているようだ。


 そしてロボに迫りつつある危難も、その(ひと)り歩きする噂が招こうとしている。思いがけず水が向いた。ロイドは慎重に口を開く。

「話というなら、こっちも兄貴の名前をよく聞いていたよ」

「おお、そうか」

ロイドは僅かに息を吸うと、覚悟と一緒に吐き出した。



 「カランポ―の、魔獣(ベスティエ)――……」



 ロボの笑顔が凍りついた。二匹の間の空気が、(にわ)かに張り詰める。それはまるで、ロイドが群れを出るとロボに告げた、あの日のようだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ