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44.ブランカ、ただそこに咲く花

挿絵(By みてみん)

【“カランポーのはぐれ狼(2/11話)】

 気持ちのいい風(いいヴィント)の吹く夜だった。


 ロイドは月明かりの下、家族や仲間や故郷、(きずな)とも、鎖とも呼べるもの全てに背を向けて、(ひと)り、足を進めた。感傷はあったが、吹っ切れたような高揚もあった。


 しばらくして、ロイドは追い(すが)る足音を耳にした。


 歩調を緩めると、ほどなくして背後の夜から、白い影が浮かび上がった。

「……本当に行くつもりなの、ロイド?」

夏草の香りのする吐息が(ささや)いた。


 ブランカ、白き雌狼。美しい花(フラール)のような女。

 ロイドに心残りがあるとすれば、それは彼女のことだった。



 その淡く密かな想いを、初恋だったと呼べば、(ゆる)されるだろうか。それは花だと気づいた日から既に、兄のものだった。

「ああ、たぶん、こうするのが一番なのさ。俺にとっても、群れにとっても」

そしてロボにとっても、ブランカにとっても、たぶん。


 足を止めたロイドの行く手を、ブランカが(さえぎ)るように回り込んだ。

「ロボが寂しがるわ。口にする(ひと)じゃないけど」

「あんたは寂しがってくれないのかい?」

「もちろん寂しいわ」

ブランカの答えに、ロイドは微笑した。


 ブランカの目は、旅立つ一匹の雄ではなく、家出をする弟を見ている。

 自分が大人になるよりずっと前から、大人だったブランカ。


 「姉さん(ソロル)


 ロイドは呼び方を変えた。兄の妻(モーリエ)であるだけではなく、ロイド自身が実の姉(ソロル)とも思って育ってきた。恋ではなく(あこが)れだったのかもしれない。今はそうも思う。

「兄貴は背負い込み過ぎる。強情で不器用な男だ。あれが無理をしないように、傍にいて、時々叱ってやってくれ」

ブランカが鼻先を、ロイドの頬に()り寄せた。

「あなたが、そうしてくれればいいのに」

「俺も不器用なのさ」

白い狼は身を引いて、泣き笑いのような顔をした。

「器用な雄なんて、見たことがないわよ」

そうかもしれない。だからロイドは、彼女に背を向けることしかできなかった。



 ロイドは知っていた。



 ブランカは美しい花(フラール)。ただ美しいだけの花。王の傍らに咲き、ただ()でられるだけだ。ブランカは、ロボの助けにはならない。ロボには助けになる“誰か”が必要だったが、その“誰か”になるのは御免だった。

「達者でな、姉さん」

「いつでも戻ってね、ロイド。私もロボも、あなたを待っているわ」

ロイドは微かに首を揺すった。横に振ったようでもあり、そうと望めば頷いたようにも見えたかもしれない。たぶん二度と戻らない。あえて告げることもない。


 ロボの“誰か”は、ロボがいなければ、“誰でもない”のだろうか?


 (はる)かから、遠吠え(ウルラード)が聞こえた。


 月が雲に隠れた。ブランカに背を向けたロイドは、また足を踏み出した。振り返ることはしないでおこう、そう決めたのだが――……




 ***********************************


 「待ちなよ、ロイド」

 「……?」


 呼び止めたブランカの声音に違和感を覚え、思わず立ち止まった。

「忠告する。“行く”と後悔するよ」

いつもの甘ったるい口調とは違い、雄のような話し方をする。(いぶか)しく思って振り返ると――ちょうど雲間から再び月が覗いた。


 月明かりの加減だろうか。今のブランカの目は赤い光を帯びていて、純白の毛並みにも僅かに白銀が混じるように見える。

「……お前は、誰だ?」

「いひひ……アタシはお節介な“クストーデ”さ」

ロイドが誰何(すいか)すると、そう答えが返った。すると彼女はブランカではないのか。不思議だったが、ロイドはこういうこともあるのか、と思った。現にあるのだから、あるのだろう。


 クストーデとやらの声には、微かに聞き覚えがあった。ロイドはブランカの顔をした、白銀の狼の目を覗き込んだ。

「行くなと言うのか?」

「るああ。“行く”ときっと後悔する、と言っているのさ」

ロイドは少し考えて、こう訊いた。



 「行かなければ、行かなかったことが、後悔になるんじゃないか?」



 クストーデは不意を突かれたような顔をしたが、

「いひひ……違えねえ」

白い牙を()き出して、にっと笑った。

「行くのかい?」

「ああ」

「そうかい……」


 「お前のなりたいものになれるといいな――……」



 その言葉も、いつかどこかで聞いたことがある気がした。




 ***********************************


 ブランカが夢から覚めるように我に返ると、既に(ロイド)の姿はなかった。それでも去ったであろう先を見送っていると、傍らの暗がりから染み出すように――

「行ってしまわれましたな」

一匹の狼が姿を現した。ロボの手下の、老練な雄。“黄色い狼(ジャーロ)”、人間達からはそう呼ばれている。仲間内では、パイロの名で通っている。

「あの方にはあの方の、考えがおありなのでしょうな」

黄色い狼は(おもね)るように(ささや)いたが、ブランカは答えなかった。



 黄色い狼は一瞬不快そうな表情を浮かべたが――



 巧みに押し隠す。

「奥方、元気を出してくだせえ。おう、そうだ」

あたかも、ふと思いついたように。

「ここはひとつ、気晴らしにぱっと面白い“遊び”でもしやせんか?」

「“遊び”……?」

僅かに気をそそられたブランカに、黄色い狼は愛想を浮かべた。

「いやね、テリトリーの外れんとこに、近頃できたでしょう、人間様の牧場が。どうです? あすこに行って、手当たり次第に(カルネロ)を噛み殺してやるってえのは」

黄色い狼の提案に、ブランカは小首を(かし)げた。

「……そうね。少しは気分が晴れるかもしれない」

「おっと、でしたら善は急げでさあ」

そう言って身を(ひるがえ)した黄色い狼は――



 狡猾そうに、(わら)った――……




 ***********************************


 ロイドははぐれ狼になった。

 群れをはぐれたロイドを待っていたのは、争いの日々だった。


 (リュコス)にとって、群れの外にあるものは獲物か敵かだ。それはリュコス同士でも例外ではなく、縄張りと食い扶持(ぶち)を争っては、むしろ最大の競争相手になる。

 もっとも狼には狼の、群れには群れの(おきて)がある。たいていの場合は威嚇(いかく)牽制(けんせい)で手打ちとなり、本格的な争いに発展することは(まれ)だ。やり合えばお互い只では済まない。(えさ)を惜しんで命を落としては本末転倒だ。


 だが、群れをはぐれたリュコスは、しばしば(おきて)も踏み荒らす。


 踏み越えなければ生き抜けない。はぐれ狼は、群ればかりか、狼の社会の外にいる。個人主義のアウトローなのだ。故にはぐれ狼は、よその群れから徹底的に標的にされ、排斥(はいせき)される。



 ロイドは群れからははぐれたが、リュコスの(おきて)の内には踏み止まった。


 よその群れには近づかず、極力接触を避けた。不用意に他者の縄張り(テリトリー)を侵すことはせず、通り抜けるなら礼を尽くした。引ける争いなら自分が引いた。ロイドは自分が招かれざる者だと(わきま)えていた。流浪する狼(トランジッテ)は静かに暮らしたいだけだった。


 だが、臆病ではなかった。

 自ら引いた一線を越えられた時、彼は容赦をしなかった。



 いたずらに牙を()くなら無法者(ピカロ)だ。()く牙がないなら臆病者(コバルテア)だ。

 そして隠された牙を(あなど)るなら、それは愚か者(トプシーテ)だ。



 ロイドの前で愚かだった者は、誰もが後悔の砂を噛んだ。避けて、譲ってなお牙を()かれれば、全てへし折った。若い狼の一匹や二匹が、どうにかできる雄ではなかった。ロイドの怒りに触れ、殺された者はなかったが、己の脚で帰れた者もまたなかった。



 避けても、逃げても、噛み潰しても、愚か者は後から湧いた。

 ロイドは血に塗れてカランポ―を走り続けた。


 果てしない闘争の日々の果てに、やがて、ロイドの行く道からはみなが退(しりぞ)くようになった。もはやロイドの一線を越える者はなかった。



 ロイドは王になった。(ひと)りきりの狼王になった。

 草原を行くロイドに、カランポ―の狼達は孤高を見た。


 ロイドの目には、孤独しか見えなかった。



 ロイドは言葉通りの意味で、一匹狼だった。




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