41.アーチェ・エ・ローヴェ~「ありがとう」と「さようなら」~
年代物のソファに凭れ、天井を眺めて呆けている。
ここは狭いながらも楽しき我が家、“封鎖区”での一夜ないし9日間から週がひと巡りしてなお、俺、ユマ・ビッグスロープ は傭兵を休業している。
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新市街のカイエン区にある部屋には、アーシャの祖父・クリストフ老人の紹介で寄せてもらっている。家主は、文無しの異邦人に、古い部屋だからと出世払いでいいと言ってくれた、目と足は悪いが人のいい老婦人だ。
それなりに稼ぎのある今も、まだ家賃を取ってくれない。
「いいんだよ。ここに住んでくれるだけでねえ、名の知れた傭兵の家に、押し入ろうってのはいやしないだろう? 貴族様じゃあるまいに、お抱えの用心棒がいるなんて、贅沢な話だよぅ」
にこにこしたお婆ちゃんにそう言われ、恐縮しつつ厚意に甘えている。
「手狭で汚くて、申し訳ないけどねぇ」
なんて、お婆ちゃんは言うけれど。狭い古い、というのはカルーシアの感覚の話で、二度と戻れない実家の六畳間からすればかなり広い。手入れは行き届き、調度が古いってのは裏を返せばアンティークな訳で、見様によっては、女の子が憧れるような部屋かもしれない。
クリストフ老は只者ではない。
小さな商店を営む枯れた爺様は、しかし、街のあっちこっちに恐ろしいほど顔が広い……らしい。傭兵ギルドに口利きしてくれたのも老人だ。訊く機会を逃しているが、どうも王室にまで伝手があるらしく、まったく得体が知れない。
それでいて、俺みたいな胡散臭い余所者にも親切だ。これは根拠のない、憶測に過ぎないのだけど、俺は……
老人は、“異世界”について何がしかを知る人ではないか、と踏んでいる。
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サイドテーブルから、カップを口に運んだ。
部屋からは窓越しに中庭が見える。毎日お婆ちゃんがゆっくり、たっぷり時間を掛けて手を入れている、下宿人しか目にしないのがもったいない秘密の庭だ。
「……今日も王都は全てこともなし。ああ……いい天気だ」
目を転じて、飾り気のない部屋に眺めるものと言えば、どうしても唯一の装飾、壁の刀置きに引き寄せられる。そして飽きもせず、頬が緩む。
壁に掛かる刀の銘は、天羽“黒革包拵”槌籠と云う――……
異世界監視人曰く、天羽というのは日本で言う備前や美濃のような、刀剣造りの盛んな東方国の地名なのだそうだ。
「るああ。槌籠は桜花より下った時代のモノだが、直系弟子筋の作でな、埋もれた逸品というヤツさ。どことなく、桜花の面影のあるヤツを、わざわざ見繕ってきてやったんだぞ」
周りには家を空けた数日、実は大きい隊商の依頼を受けていて、槌籠は盗賊を撃退した腕前を買われて、さる豪商から譲られた品だと触れ込んである。三割くらいは、真実だと思う。
件のレイス・“武具に煩い男”・オランジナは、「ちょっと見せてくれ」と槌籠ひったくるや、なかなか返してくれなかったが、
「ふうむ……これは良いものだ。ようやく貴君も、友人の忠言を聞き入れてくれる気になったと見える。これなら卿の手に不足ということはないだろう」
えらい上から品評してくれた挙句、にやりとしたものだ。
「なるほど、東方国の刀剣か。いかにも収集癖の疼く逸品だが、これは卿の腰にある方が私としても喜ばしい」
「出来ればこれを抜いた卿と、手合わせしてみたいものだ」
「……やめておこう。次期近衛兵長と、刃の入ったものでやり合っちゃ……」
「さすがに腕が何本あっても足りない」
袖にすると、妙に熱っぽい目つきで笑う。
「ふっ……それは卿と私、どちらの腕の心配かな……?」
ったく、惚れられるなら、面倒な男より可愛い女の子がいいよ。
俺は、出来れば“人間”は――それがヒトのカタチをしてるだけのモノでも、ヒトのカタチをしていない闇でも――本当は、切りたくないんだ。
ただ一人……切りたいと、思った人間もいたけれど――……
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もし……“その子”の母親という人間が、元の世界で、のうのうと生きているんだったら、話の結末としてすっきりしない。夜明けの街、“封鎖区”からの道すがらルシウに言うと、
「るああ。この“世界”は物語じゃねーのさ」
そう言葉が帰ってきた。
そう……かもしれない。そう、なんだろうな。
でも……俺はガキだから……この寂しいおとぎ話の結末では、悪い魔女は狼に食われて欲しかったんだよな。
そんな俺の顔を見て、監視人は深くため息を吐いた。
「なーふ……なあ、異世界転移と転生って言葉、判るよな? 管理局では細かい定義があるけど、どっちもまあ、“特異な自然現象”……だと思いなよ。でもな、異世界間の行き来には、もひとつ自然現象じゃねーのがあるんだよ」
「それが、異世界召喚さ」
「何が違うって、召喚だから、意思が介在するんだな。偉い魔導士とか高次存在がいらんことするたびに、管理局の仕事ばっか増えるんだ……あ、こほん」
後半が愚痴になり、ルシウは咳払いで話を戻した。
「ま、おいそれと使える術式じゃねーし、管理局に申請も必要だから……」
「届け出が要るんだ……」
「一応ウチも役所みてーなもんだからな。で、異世界召喚はそうホイホイとやれちまうことじゃあねーんだけど、やっぱり何事にも例外ってやつはあってな」
「“世界”の意思が人を招くことがあるのさ」
「……?」
いまいちピンと来なかった俺に、幼女があからさまに呆れ顔をする。
「なーふ。呑み込み悪いな。いいかあ? “封鎖区”の“核”は、意志を持つ“世界”そのものなんだぞ?」
少し考え、鎖衣の下でぞっと肌が粟立った。
「まさか……?」
ルシウは少し暗い目で頷いた。
「るああ。“封鎖区”は子どもと母親、“二人の世界”だったのさ」
“あの子”の母親は、封鎖区に召喚、引きずり込まれていた……? あの薄暗い廃城、それとも虚ろな住人の彷徨う町に、たった一人の人間として、その母親は閉じ込められていた、と?
「いいや。会ったぜ、何度もな」
「え?」
ルシウは左手の指を折りながら数えた。
「るああ。庭の巨人だろ? 食堂の死者の群れ、レッドドラゴンに黒い女神。ありゃみーんな、“あの子”の母親が別の姿で現れたものさ」
“封鎖区”は、母親が“あの子”に与えた“世界観”から構築された“世界”だ。ならそこで怖いモノの役を演じるのは、やはり彼女にこそ相応しい……ということか。
ああ、そうか。俺は、もう切っていたのか。
「俺が戦ったのは、全て“あの子”の母親の影……」
「白い方の女神は違うけどな。あれだけは、子ども自身の幻想だ」
オカアサンの象徴だけが、オカアサンではなかった、か。救われない、やり切れない話だな。
「るああ。まあ、そういうこった。あの母親についちゃ、帳尻は合っているんじゃねーかな。いろんな見方があるとは思うけどさ。どっちにしろ……」
「“封鎖区”もろとも消えちまったからな。それも含めて、ちゃんと終わったことなんだよ、ユーマあ」
ルシウは少々早口に、言い聞かせるように締めくくった。
返す言葉は思いつかなかった。
“その子”の母親に、それなりの報いがあったと知っても、俺は彼女を赦せる気持ちにはならない。と言って、ざまあみろと、溜飲が下がりもしない。
そもそも俺は、赦す立場になければ、罰する権利もない。
ただどっちつかずの割り切れない思いだけが、澱のように心に残った――……
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追想から覚め、コーヒーカップを傍らの丸テーブルに戻す。
「……ふう。今日も王都は全てことはなし……だ」
珈琲のように苦い笑い、焼き菓子をひとつ抓む。
「“世界”は物語じゃない、か。確かに、現実ではすっきり納得のいく結末、ってのは、そうそう訪れるもんじゃないのかもしれないな」
そう呟いて、老婦人の庭を眺めるともなく眺めると……
「なーふ。そーだな。アタシも納得いかねーからな、この状況には」
俺の膝の上で、ちょこんと胡坐に肘をつき、頬を支えたルシウが応じて、お菓子を二ついっぺんに口に放り込み、がりがりと噛み砕いた。




