39.Deadman‘s Cllection~生ける英雄への戦い~
薔薇の剣を足場に突き立てると、白銀の瞬きをひとつ寄越し、消える。俺は今一度、凱歌の武骨な沈黙に両手を掛けた。
機巧兵装“終ノ型”――神剣の中で群を抜いて異質な鉄塊は、何と戦うことを想定して作られたのだろう。
形が似ている訳ではないが、何故か、蒸気機関車を抱えている、そんな “世界観”がある。武器というより、動力式の工具のようだ。
“闇の子”もいよいよ収集のつかない状態に陥ってきた。
その輪郭は辛うじてまだヒトのようではあるものの、そこここから火竜や巨人に食屍鬼の翼や腕が、鬼女と聖母の顔が、果ては城の尖塔や遺跡の柱に至るまで、“封鎖区”のあらゆる要素、“世界観”が浮かび上がり、飲み込まれるのを繰り返す。
“封鎖区”の全ての”世界観”が、混然と、収束と自壊、破局の完成へと突き進もうとしている。俺とルシウを、道連れにしようと……いや……
もはや人としての自我や思考が、残っているかどうか……
崩壊する”闇“から、もう腕とは呼べない名状しがたいモノが飛び出した。俺は凱歌の先端を祭壇にめり込ませ、峰を手袋で支えて腰を落とす。幅広の刀身は、ちょっとしたタワーシールドを構えている具合だ。
“闇”の噴出は、防壁の正面から直撃した。もはや避ける知性を失ったのか、全て飲み込む本能なのか、ただ玩具が欲しいという子どもの願いか。”闇“は刀身にねとりと絡みつく。
ところで俺は、この機巧兵装の使い方は全く知らないが、ひとつ気づいたことがある。柄の握りが、ちょうどバイクのスロットル様の機構になっている。
よくは判らない。けれど男の子たる者、押せるボタンは押す、引けるレバーは引く――回せるスロットルは回す。
どぅん! 凱歌が手の中で怪獣のごとく吼え、暴れて、俺を振り解いた。二歩後退って見ると、対巨神機巧兵装は祭壇に突き立ったまま、“生きた闇”に完全に取り込まれ――しかしながら、その内側で猛烈に“稼働”しているようだった。
よくは判らない。“闇”がびっちゃびちゃと、黒い蛭みたいな破片になって撒き散らされている。うえ、近寄りたくねえ。どうしたものか、凱歌は“闇”の圧搾機械と化したようだった。
しばし“その子”の子守りを凱歌に任せ、天から降った六刀の終、最後に残ったひと振りに、俺はようやく手を掛ける。
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りん――……刃が涼やかな音を鳴らしたように思った。
その刀剣、天羽緋緋色“荒神切”桜花。
最後の最後はお前とでなきゃ、そりゃ、嘘ってもんだろう。
元々、腰の物にそう拘りはなかった。友人……の近衛兵、名門貴族の坊ちゃん、レイス・オランジナは、
「貴公ほどの剣士なら、己が腕に足る剣を取り給え」
などと煩いが、前にも言った覚えがあるけど、俺としては実際使えれば割と何でも良く、自分が剣士であるという矜持がそもそもない。道具を云々する技量があるとは思わないし、単純に良し悪しも判らないというのもある。
そんな俺でも、”死せる剣聖帝の贖い” のいずれ劣らぬ六振り、これを手に取って “世界観”ががらりと変わった。これほどの剣を振った経験は、これ以上の喜びは――おそらく愛する人を腕に抱いたとしても――生涯に訪れないだろうと思う。
そんな愛する刀が六人もいるとは。立てばドン・ファン、座ればカサノヴァか、とんだモテ期もあったものだ。
だが、やはり最愛の人はたった一人を選ばねばな。
天羽緋緋色”荒神切”桜花、ひやりと冷たく、掌に柄が吸いつく。桜花の方ではなく、俺の手の方が柄巻の形に馴染んだんだ。一度でも持てば理解る、この領域の剣だと、主人は使い手の方ではない。
俺は使われ手として、桜花をぐっと握り込んだ、が、
「……?」
桜花の柄から、何か不機嫌な波長が伝わってきた。これは……
「えーと……なあ、桜花、何か怒ってる?」
これは……いや、経験はないよ? 経験はないけど、例えば合コンに行ったのが彼女バレした時って、こんな感じなんじゃない?
あー……これ、別の剣を振り回したのが、気に入らないんだわ。
え、待って。刀剣ってそういう感じなの?
何だこれ。面倒くせえ。女の子か、“荒神切”桜花。
祭壇の石床から引っこ抜いて、十字に空を切る。この、切っ先まで意識が通うような感覚、心地良い重み。
「可愛いとこあるじゃねーの、桜ちゃん」
諸手正眼に構えを置く。桜花の緋緋色の刀身が、りぃんとひとつ、涼やかに鳴った。波紋の揺らめきが、まんざらでもなさそうに見えるのは、俺の気のせいか。
手には桜花、背にルシウ。またこの形に戻った訳だ。
相対するは、凱歌のプレス工程を経て、未だ動きを止めない“闇の世界観”。
“生きた闇”に向けて、俺は袈裟懸けに桜花を振り下ろす――……
……――“した”つもりだった。
気がつけば右片手、“荒神切”の切っ先が己の斜め後ろで静止していた。目の前では“蠢く闇”が、ゆらりゆらり、どこか呑気そうに揺れていて……
次の瞬間、十の……否、数十の斬撃を浴びたがごとく、“闇の塊”が細切れ、細切れ、細切れて、見るも無残な前衛彫刻に成り果てる。
「お前、やりやがったな……?」
見事に“使われ手”を使って、桜花は俺の技量を遥かに超えた、神速の連撃を放った……らしい。やった本人が見えてねーんだ。
りぃん――……桜花が、得意満面の音色を響かせた。
桜花……何故、ここに来て“萌え”の要素をぶっ込んでくる……?
お前、最初「力が欲しいか、小僧」とか言ってたじゃねーか。
だが――……
俺と桜花、互いの”世界観”がひとつになっている。今なら”鍛冶神の鉄敷 “を以てして、”封鎖区”を、“時間”と“空間” を、“世界”を切ることさえ――“できる”と思えば“できる”と信じられそうなほどに。
と、その時だった。背後から、大きな力が吹き抜けた。
そうか……7分が――……
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振り向くと、信じられないくらい奇麗で、大きな、女の人がいた。
やや眦の吊り上がった、大きな目。真っさらな銅を思わせる、明るい褐色の頬。白に僅かに灰色を溶かした薄い銀髪は、悲しみに満ちたこの暗黒で、なお光り輝いている。瞳の色の赤は彼女の心を映して、深く静かな色を湛えていた。
その女の人を見て、俺はなぜか、不意に涙が溢れそうになった。
異世界監視人ルシウは、もう手荷物サイズの幼女ではなかった。ルシウは俺はおろか、崩壊しかけた“封鎖区”で肥大した“生きた闇”より、遥かに大きい。年恰好も、見慣れたあの幼女、石廊下で見せてくれた少女の姿のどちらでもなく、もっと大人の、美しい女の人だった。
その姿は、たったひとつの強い”世界観”へと回帰していく――……
ルシウの両手が、俺の頭上を越えて、もはや原形もない黒い泥のようなモノに伸びた。“闇”の流体は、近づくものに反応して、粘つきながら表面に、拒絶と怒りの波紋を走らせる。
「ルシウ――……!」
反射的に前へ出ようとした俺に、頭上を覆う手が、留めるような仕草を寄越した。
すると桜花が俄かに昂ぶりを鎮めた。異世界監視人の思いを汲んだか、文字通り刃を納めたようだ。刀が武士の魂であれば、心があってもおかしくはない、か。桜花ほどの落ち着きもない俺は、固唾を飲んで成り行きを見守る。
その前で、赤褐色の指が黒い泥に差し込まれ、掬い……救い上げられた“生きた闇”はルシウの腕の中で――……
……――“その子”になった。
大きな女の人の胸に抱かれた、大きな赤ん坊に。
「……オカアサン――……」
“その子”を抱くルシウの姿は、優しく、神々しく、紛い物の母親像など、ただ消え去るしかない幻想でしかない。これは“核”が、“その子”が欲しかったもの……求めて求めて、心から求めて得られなかったもの、消えゆく最期にやっと贖われた、本物の幻想――……
「……――お眠り、良い子よ……母の胸、安らぎの夢を見て……お眠りなさい、幸せな夢に――……」
お母さんの腕に揺られる子守唄。全てを破壊しに来た人の胸に抱かれて。
俺は……今更ながら異世界監視人――ルシウに畏怖を抱いた。
異世界監視人は”闇“を抱いて、ふと俺に目を下ろし……褐色の頬に真っ白な歯を覗かせ、にっと笑った。ああ――……俺も笑った。この人は、“ルシウ”だ。
「るああ。カルーシア地区異世界管理局出張所、執行人・ルシウ・コトレットの“権限”により、この時を以て、当“封鎖区”の存在を“停止”する――……」
異世界監視人が宣告すると同時に、浮遊する感覚に包まれた。俺とルシウ、“その子”も上の方、明るい方へと向かっていく。やがて光が全てを白の色に染めていき、足場の祭壇もついに崩れ果てたが、浮かび漂う俺に怖れる気持ちはなかった。
この“世界”にきちんと、正しい終わりが訪れたことが理解っていたから、俺は目を閉じて、真っ白な光に身を委ねた――……