38.Deadman‘s Cllection~死せる剣聖帝の贖い~
「……“我に与えよ、死せる剣聖帝の贖い”――……」
頭上に諸手を掲げた異世界監視人の、指先から真上へ、幾重にも魔法陣が昇っていく。それは煙草の煙か、水族館のイルカが泡で作るバブル・リングを思わせ、やがて――……遥かな高みで、ぱきん、何かが割れる音がして。
剣刃の煌きが降り注ぎ、俺の立つ周囲の石畳に次々と突き立った。二つばかりが落ち様に“その子”の両腕、ドラゴンの頭と尾を切り裂き、虚空が震えるような唸り声を上げさせた。
「……“かくて、死せる剣聖の墓所は暴かれり”――……」
「絶界の至宝、獅子王剣エスカ=レイツィア……」
「薔薇の白銀剣アルヴェ・ロージュ……」
「神器火剣八雷神……」
「対巨神機巧兵装“終ノ型・凱歌” ……」
「弟殺しの黒水晶刀……」
「そして、再臨せよ! 天羽緋緋色“荒神切”桜花――……」
最後に降って来て、俺の真正面に屹立したのは、奈落に落ちたはずの桜花だった。我を忘れ、思わず伸ばした手が――
全身が、ぎくりと硬直した。
鎖衣の下を――冷たい刃が撫でるように――汗が伝う。
俺を囲んだ剥き出しの刀身の、圧倒的な”世界観”の前で、俺は蛇に睨まれる……いや、呑み込まれる蛙の気分を味わう。
獅子王剣、という名は前に監視人の口から聞いた覚えがあったが……
「うーぷす……成功しちまったぜ……」
残る四振りも、いずれ名立たる来歴を背負うのだろう。その前では俺は古兵の集う酒場に放り込まれた小僧、獅子の群れに紛れ込んだ迷子の子猫ちゃんも同然だ。これが、戦いにおける年季が違う、というやつか。
「るああ。桜花も上手く呼び戻せたよーだな……」
ルシウが浮かべた笑みも、心なしか引き攣っている。
「いひひ、それぞれ1本ずつに叙事詩が書かれてるクラスを、カルーシア中から掻き集めてやったぜ。好きなのを、好きなよーに使っちまえ、ユーマあ」
本当に価値の判る人間が見たら、憤死しそうだな。
「るああ。10……いや、7分頼むぞ――……」
異世界監視人はそう言って、視界の背後へ引き下がった。
神器名刀の雨垂れに穿たれた“闇の子”の両手は、また集って凝って、ずるずると奇妙に長い巨人のそれへ変じ、朽ちかけた祭壇を左右から掴んだ。俺とルシウはまるで、銀の盆に置かれた洗礼者の首か、トレイに乗ったハンバーガーセットか。
“生きた闇”のその動きに、俺は、手を伸ばした桜花の柄ではなく――
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獅子王剣に手を掛けた。
それを目にした誰もが、“聖剣”という言葉を想起するだろう。“封鎖区”に武器を持ち込む時にルシウが、
「ユーマには、切れ味に勝る桜花の方がいいよ」
とこっちを推さなかったのも納得の、俺が取り回すには重厚に過ぎる両手持ち剣。柄を握ったものの、よもや資格がなければ抜けないかと一瞬危ぶんだが、幸い杞憂だった。腰で構えた獅子王剣は、大聖堂を丸ごと担ぐような見た目の印象よりは軽かったが、やはり打ち刀とは扱い勝手が違う。
下手な小手先の技巧なんか、意味はない。
「よォいしょおッ!」
体半分持っていかれながら、力任せに水平に振り抜く。そして俺は知る。
ミサイルの発射ボタンは、押すだけなら、3歳児にも押せるのだと。
使い手の未熟を補って余りある、内なる魔法力で、獅子王剣は“生きた闇”の左腕から胴、右腕をひと振りで上下に断ち分けた。あまつさえ、勢い余った力が彼方まで環状に広がっていき、やがて空間の遠くで小さな閃光を咲かせる。
どうやら、“世界”の果てに衝突したらしい。
が、“世界”とは“その子”だ。
聖剣とて一撃で“世界”を破壊することは能わない。
獅子王剣の切り残し、足場に残った闇の手首から、無数の小さな子どもの手がぞろっと生えた。大振りした直後の刀身を、逃さず取りついてくる。
「くそ、離せ……」
焦って柄を引く。剣の力に灼かれながら、しかし闇の手は無頓着に、無尽蔵にエスカ=レイツィアに絡みつき、まるでオモチャの取り合いの態になる。
「なーふ。構わねえ。くれてやれ、ユーマあ」
背後からの声に、一秒逡巡し、聖剣から手を離した。“絶界の秘宝”とやらの価値がいかほどのものか、知る由もないが、今の俺にとっては異世界監視人の言葉こそ真実だ。
手を離した途端、闇に奪われた剣が、ふっと消えた。
在るべき場所に戻ったか――そうであれと切に願う――いずれにしても「好きなのを好きなよーに使え」、ルシウたんの言う通りに従えば間違いない。
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二本目、 対巨神機巧兵装を、石畳から引っこ抜く。
担ぐと同時に、致命的な失敗、首に縄が掛かったのを悟った。
獅子王剣を取り上げられた無数の闇の手が、一斉に俺に向かって伸びてきた。機巧兵装は聖剣に輪を掛けた、機械仕掛けの超重量級鉄塊。八方から数えきれない悪意の殺到する瞬間には、最悪の選択だ。
どうする、どうすればいい? 思考が空回りする俺は――……
……――祭壇に刺さった凱歌の柄を掴んでいた。
何事が起きたのか、一瞬の混乱を経て、俺は理解する。この感覚、間違いない。“お節介な時間干渉”が発動した。
眩暈を振り解いて、咄嗟に隣の火剣八雷神に持ち替えて、来ることを知っている“一瞬先の未来”へと振り翳す。
柄と刀身に接ぎのない、古代銅剣様をした八雷神はその名に違わず八叉の雷撃、神話に黄泉津国の伊邪那美神の屍に生じたという雷の八相――大雷、火雷、黒雷、咲雷、若雷、土雷、鳴雷、伏雷――を迸らせ、掴み来る闇をことごとく焼き落とす。
どっと汗が噴き出た。窮地を脱したこと、“お節介な時間干渉”が発動したこと、その両方にだ。
“お節介な時間干渉”――……
異世界転移で獲得した俺のスキル、その効果は、攻撃を受けるとひと呼吸分ほどの時間が巻き戻ること。戻る時間は僅かだが、謂わばある種の未来予知、相手の手札を盗み見る能力だから読み合いでは滅法強い。
だが、監視人の“権限”と同じで、外のスキルは“封鎖区”には持ち込めない……はずだ。それが発動したってことは、つまりそういうことだ。
真っ二つに裂けた“生きた闇”が、それぞれ違うカタチを取る。
「……うあ……」
思わず呻く。上の半分は聖母、残りが鬼女。形は対の女神達だが、彼女らのいずれも黒より深い漆黒のお揃い。
左手で傍らを探り、触れた柄を迷わず取る。
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アルヴェ・ロージュ、波打った刀身は、確かフランヴェルジュというんだっけ。桜花に匹敵する軽さは、八雷神との二本持ちでも立ち回れそうだ。部活で顧問に免許皆伝を貰った、我が二刀流を披露する時が来た。
闇のカリイが声もなく笑い、二つの曲刀を振るうのを、白銀剣で右の刃を叩き、片割れにぶつけてもろともに撥ね上げる。
「だから、お腹出してるのは良くないって、姐さん」
大広間ではルシウの氷槍が貫いた鬼女の腹部へ、八雷神を突き入れる。
鬼女の剥き出しの腹に、聖母が障壁を張るが――
“死せる剣聖帝の贖い”で召喚された最高峰の剣の前では、そんなもの、絶対防壁の幻想ごと打ち砕かれる。
「……温めといた方がよくない?」
障壁を薄氷同然に破り、闇のカリイの臓腑を火の剣が蹂躙する。
腰からちぎれかけ、ぶち撒かれた闇が空間を流れて八雷神にびちゃびちゃと纏わりつき、また取り込もうとするが、俺の手は既に柄を離れている。
「欲しいか? やるよ……火剣八雷神、“元いた場所へ還れ”」
応じて去り際に、火剣の雷は腕で庇った俺の視界をも、白く奪う。
薄目を開けると、神代の剣は己を呑まんとしたモノの、内側から存分に荒れ狂って、“生きた闇”の半分から生じたカリイを、更に半分に引きちぎり、たぶん黄泉の国だかに戻っていった。
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代わりに抜いたのが、柄まで磨き上げられた黒い水晶でできた剣だ。
弟殺しの黒水晶刀に触れた瞬間、反射的に手を振り払いそうになった。精神を引きずり込まれそうな、火傷をしそうな冷たさ。目利きでなくとも触れば判る。
こいつは……呪われた剣だ。
強烈な“世界観”を振りまきつつ、聖器物に属していた四振りに対して、こいつは何て性格が悪いんだ、黒水晶刀。まるで悪意の塊じゃないか。
まあ、いいさ。だったら、お前と気の合いそうな、ぴったりの女の子を紹介しよう。剣役の相方を失くした闇のマールが、硝子片を繋ぎ合わせ、俺の前後左右に壁を作る。透明の檻に閉じ込めようというのか。
かつて“その子”を、真っ暗な部屋にそうしたようにか――
白銀の薔薇が閃いて、硝子の檻を幾千の花びらに砕き散らす。
黒い聖母が、まだ“その子”の幻想か、それとも既に単なる模倣かは判らない。俺はただ渾身のオーバーハンドで、闇の聖母目掛け、呪われた剣を投げつけた。
黒い水晶刀が黒い聖母に直撃すると、どちらからだろう、呪詛のような低い呻きが尾を曳いた。ママがサタンにキッスした、なんてな。弟殺しの剣に子殺しの聖母、お互い似たもの同士、ま、仲良くやってくれ。
鬼女も聖女も神剣魔剣の”世界観”を丸ごと浴び、四散してなお、蠢きながら集おうとする。さっぱりダメージにはなっていないな。“生きた闇”は“世界”だ。切っても叩いても、精々カタチが変わるだけ、足止めにしかならないだろう。
けど――……こっちは手を止める訳にはいかねーんだな。