37.イマジカ・オー・セラド~“封鎖区”の“世界観”~
柄を握る桜花の、“切る”の概念が変わった……ような気がした。
判らないままに――“ある”と思えば“ある” ――桜花を切り上げる。むろん、刃の軌跡は彼我の空間を過ぎるが――“切る”と思えば“切れる” ――“生きた闇”の胴部分が裂け、緋色ならぬ漆黒の花が咲く。
「……――ああ、なるほど」
「るああ! っしゃあッ、ユーマあ!」
やはり“世界観”の法則と同種の力だ。扱い方が似ている。
鳥が渡り、蜘蛛が巣を張るように、“切れないモノ”の切り方は本能的に、『言葉』ではなく『心』で理解できたッ!
だが、“その子”も悠長にしていない。黒く濡れたような腕が瘴気を曳いて、振り下ろされる手が握るのは――
「曲刀……ッ?!」
無造作な一撃を、桜花で受け止める。ブーツが祭壇を踏み砕き、脛まで瓦礫に埋め込まれる。
見上げれば、“生きた闇”が泥人形のように形を変えていた。
元の数倍もの巨体で俺を見下ろすのは、“コワイオカアサン”、闇で象られた黒い女神は、更に絶望も深く濃い。
響いた剣戟は金属同士の音ではなかった。“闇の子”の曲刀が物理的なものだったなら、反転した桜花では受けられなかったかもしれない。そう思い至ると、背中にどっと冷汗が噴き出る。
と、微かな安堵を引き裂いて――
「きィいやああアアああァァあああッッッ――!!」
「……うあッ?!」
漆黒のカリイの口から、魂のちぎれるような叫びが迸った。これは、前庭の巨人の束縛の叫び……!
今更の小細工、即座に拘束を振り解いたが、それでも、もう片方の曲刀を打ち下ろすには十分な隙が生まれる。
「なーふ! “咬みつけ、ティアティコの蛇”!」
異世界監視人が背後から叫ぶや、文字通り連なる蛇体の如き小さな爆発が、闇のカリイの曲刀から手首、ぼぼぼぼっと肘から腕を吹き飛ばしながら、数珠繋ぎに駆け上ったと思うや――
顔面でひとつに合わさり、眩いばかりの大爆炎が咲いた。
神殿遺跡の柱崩しや、広間で鬼女の曲刀を弾いた時とは比較にならない、俺なら消し飛んでしまうだろう大魔法に、
「助かったぜ、ルシウ。今のは凄かったな」
肩越しに振り向くと――……
……――ルシウは己が掌を見つめ、顔色を失くしていた。
「うーぷす……おかしい、魔法の威力があり過ぎる……」
少女を背に庇いつつ、鬼女から形を戻した“生きた闇”に、精神で刃を突き込む、その先に、聖母の硝子板が光った。砕けるか――そう思うと同時に「やっちまった」に気づく。
障壁に桜花を弾かれる。
心で切るには迷いは禁物だ。疑いを差し挟んだ途端、“できない”と思えば“できない”、“砕けない”に性質が固定されてしまう。反動で二三歩退り、幼女が背に触れる。
「失敗した……で、そっちは何がどーした?」
ルシウは背中にぺたんと手を当て、煮え切らない口調で唸った。
「なーふ……さっきの魔法なあ、咄嗟で詠唱もテキトーだったんだが、どうもアタシ本来の力に近いのが出てるんだ」
「いいんじゃないのか?」
「るああ。アタシ本来の力、いこーる、“権限”だぞ。もしかすると――……」
「“封鎖区”とカルーシアとの境界線が、破れそうになってるかもしれねえ……?」
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ここでもう一度、“封鎖区”と“権限”の話をしよう。
“封鎖区”とは、“世界”と相容れない異質な”世界観”を持つ“異世界”で、通常なら異世界管理局が魔術的に隔離し、管理下に置いている。
“封鎖区”でも、“破局の因子”――“世界”自体を滅ぼす“可能性の世界観”――を持つものは、外側に“終焉”が波及する恐れがあるから、場合によっては“封鎖区”そのものを破棄する必要が生じる。
この作業の助っ人が、異世界監視人・ルシウから俺への依頼だ。
異世界監視人には、“世界”を管理する“権限”がある。少女の“管理する世界”では全能に近い“権限”だが、管理外の“封鎖区”で行使することはできない。
ルシウが力を取り戻しつつあるということは――
ルシウの“世界”と“封鎖区”の隔たりが、曖昧になりつつあるということ……?
と、長い説明をしている間にも、“生きた闇”の弾けた腕、飛び散った闇が再凝集し、形を作り、巨大な手を伸ばして、心許ない足場を崩さんとする。
「あっちもこっちも、忙しいな! 聖母の障壁割れるか?」
「うーぷす。“射抜け、長腕のルーの石礫” “強撃のタスラム”!」
幾つもの光弾が小結界を打ち砕き、そのまま闇を刺し貫く。
「うーぷす……やっぱ魔力が変に強え。このまま“世界”間の隔離が破れちまったら、“生きた闇”が外に出ちまう……」
と、ルシウはちょこんと黒頭巾を傾げた。
「るああ、待てよ? そうなりゃ“権限”が戻るんだから……それこそ一発で片がつくんじゃねーか……?」
桜花の柄を両手で高く掲げ持ち、“切る”というイメージを研ぎ澄まして、
「どうするんだ、時間稼ぎすればいいのか?」
降りてくる闇の手を迎え討つ。
「るああ、待て、ちょっと待って……あれ? 発動した“破局の因子と“権限”はどっちが優先されんだ? 確か“監視人就業規定”に書いてあったよなあ……? ん、“安全教育読本”だっけ?」
相手の動きに逆らわず、刃を流して、闇を肘まで一気に捌く。
「資格取り消されろ。攻め込んだ方がいいのか?」
後ろで悩む黒頭巾の幼女、前で暴れる闇の幼児。
始末の悪い幼稚園の、お次は粘土細工の時間のようだ。俺が作った“その子”の腕の裂け目に、歯が生じて牙と成り、舌まで形が出来て……骨肉を軋ませて作られていく、その形には見覚えがある……
「ルシウ……早く決めて……」
「る、るああ。じ……時間稼ぎで!」
「かしこま!」
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“闇の子”の右の腕が具現化した黒いドラゴンの頭が、灼熱のブレスと煙草の匂いを撃ち出した。神殿遺跡の本家より苛烈な火炎砲だが、桜花で縦横に切り払い、凌ぐ、凌ぐ、凌ぐ――
と、炎を払っていたはずの刀身に、がくんと重みが加わった。
「く……」
吐き気が突き上げた。見るより先に、嗅覚で理解する。煉獄の炎から、身を焼きながら何体もの飢えた死者が這い出してきていた。セラドの“世界観”総浚えだ、いよいよ節操がなくなってきた。
紫煙の匂いが、人の肉の焦げる異臭に変わったことに怯むと――
死者達は己の指が、顎が切れ落ちるも構わず、ひと塊になって桜花に取りつき、食いついて、
「しま……っ――……」
ついには俺の指からもぎ離して、そのまま雪崩を打って、唯一の足場から身を投げる。躊躇なく、桜花もろとも、何処とも知れない無明の虚空へと……
「ごめん、ルシウ。武器なくなった」
「るあっ?!」
丸腰で振り返る俺と、焦燥したルシウが顔を見合わせる。
何となく、お互いにちょっとだけ笑ってしまった。笑うしかなかった。これはこの土壇場に来て得物を失くした、だけのことじゃないんだ。
天羽緋緋色“荒神切”桜花――……
東方七つ秘宝のひとつ、価値はひと振りで国が買えると聞いている。異世界監視人から預かり、命を預けた名刀だ。蛍の恋煩い、身を焦がす片思いは承知ながら、この半日で、俺はこの刀に心底惚れ込んでいたんだ。
あ、ちゃんとルシウたんも好きですよ。
しかしその桜花を、俺は取り返しのつない闇の底へ落としてしまった。ヤバい、喪失感が尋常じゃない。“世界観”が折れそう。腹切って詫びようにも、その刀がねえって話だよ、クソめ。
そんな頭上で、“闇の子”の片腕がドラゴンの尾と変じた。
くッ、切腹している暇もないらしい。
蛇か鞭かと襲い掛かるのを――鬼女戦の曲刀の時にも試みた覚えがあるが――黎明竜の革手袋で受け止めるべく、腰を落とし、奥歯を食いしばる。
「いけるか――……?」
「いけるか、ドアホ! “掲げよ、百人隊のスクテゥム”!」
突き出した掌の前に、光が円盾を象った。“ずどん”、打ち下ろされた衝撃を、肩で押し返す。
「なーふ! “回避”のコマンドも使え、このアホめ!」
「や、お前が後ろにいるし……気合でなんとかなるかなーって」
「なるか。日本人の悪いとこだぞ、それ。で、何だっけ……」
「そうか、武器だな……」
ルシウは拳をきゅうと丸めると、赤褐色の頬を関節でぐりぐりしていたが、やがて、不安と希望と迷いが綯交ぜの、何とも言えない目で俺を見つめた。
「るああ。ユーマ、今から“権限”で強力な武器を召喚してみる。けど、“権限”を使うんだから、この術式が成功しちまった時は、つまり、“封鎖区”とカルーシアの壁が、もう相当に薄いってことだ」
「もし武器が召喚出来ちまったら、その時には考えがある。ちょっと時間が欲しい。しばらく一人で凌げるか?」
「……やってみる」
ルシウは頷いて、平たい胸元で複雑な印を組みながら、詠唱を紡ぐ。相当高度な術式を動かしているようなのに、ルシウ自身の魔力も、周囲の空間への影響も全く感じられない。成功していないのか、それとも……
”世界”の構文を当り前に支配する“権限”。異世界監視人の権能が、もし発現したら、その瞬間こそ待ったなし、カウント・ダウンの号令だ。
「るああ……“ルシウ・コトレットの“権限”に於いて“世界”に命じる”……」
「……“我に与えよ、死せる剣聖帝の贖い”――……」




