01.路地裏の扉と黒頭巾の少女
後ろ向きに引っ繰り返り掛けた俺は、背中を空き家の扉にぶち当て――……
ぶち破り――……
結局、盛大に空き家へと転がり込んだ。
仰向けに倒れた俺は、空き家と見た部屋に、灯りが灯っていることに気づいた。と同時に……
「Raa?」
奥から鼻に抜けるような声がした。驚き、または悲鳴にしては緊張感がない。俺は首を逸らして、上下逆様の部屋の奥に目を凝らす。
「Oh la la、まーさか、この部屋に入って来るなんてさー。ありえねー」
部屋の青白い照明に、両側から照らされて浮かび上がる、伝法な言葉遣い、抑揚のない口調。声からすると、どうやら女らしい。
頭から黒頭巾をすっぽり被った、顔の下半分、口元が皮肉っぽく笑う。
「これだから、運とトラブルに全振りしてる奴は困るんだ」
黒頭巾の女の奇妙な物言いを怪訝に思いつつ、俺は床を転がり、身を起こした。まず思ったのが、女の背丈が思いの外低い、ということだった。ぶかぶかのローブで体つきが隠れ、被ったフードのせいで顔も定かではないが、小柄で、華奢。少女、いや、むしろ……
「幼女……?」
そう呟くと、黒頭巾は上目遣いに俺の顔を見た。覗き見えた顔立ちが、やはり幼く見える。そして……彼女の瞳は、はっとするような赤い色をしている。
「幼女ぉ?」
頭巾の下から、ジト目が光っている。何だか蔑むような目つきだ。
「うーぷす。お前、いい趣味してんなー」
声も幼い、だが口調は明らかに俺をバカにしている。
しかも俺が口を開こうとすると、
「よいよい。。別にどー見えてよーが」
しっしと追い払うような手振りをして、さっさと背中を向ける。さすがにむっとしたが、そこで俺はようやく室内の様子が目に入り……
開き掛けた口は、言おうとしていた言葉を失ってしまった。
目に映った光景を、頭が理解するには少し時間が要った。薄暗い部屋、少女を淡く照らす青白い光……窓か方形の照明かと思ったそれは、全てモニターの画面が発する光だったのだ。
左右正面の壁一面、上から下までモニター画面が埋め込まれて並んでいる。
「何だ、これ……」
この“世界”、俺の暮らす“王都カルーシア”は中世ヨーロッパ的な世界観をしている。蒸気機関さえ、この世界にはまだない。それなのにこの部屋の設備はまるで現代のビルのセキュリティ室、時代考証どうなってんだ。
「何だ、ここは? お前は、いったい……?」
俺は呆然としたまま誰何する。
幼女(?)はしばらく帳簿に何やら書き込んでいたが、やがて大儀そうに向き直った。両手で髪を掻き上げるように、うなじに黒頭巾を落とした。
「るああ。アタシはルシウ・コトレットだ」
黒い頭巾の下から、真っ赤な瞳と、淡い銀色の髪が溢れ出た。
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俺の名前は、逢坂悠馬という。異世界転移者だ。
カルーシアの言葉で、世界は“オルト”、異邦人は“トランジッテ”。異世界転移者はさしづめ”オルト・トランジッテ“ってとこだろう。
生まれは駅前にイ●ンとG●Oを標準装備する地方都市、高校1年生が本来の身分、そしてこっちでは傭兵のユマ・ビッグスロープで通っている。
ユマ、とは王都風の発音だ。
カルーシアでは“ユーマ”のように伸ばしが入ると、女性名に聞こえてしまう。俺に言わせれば、“ユマちゃん”の方が女の子みたいなんだけど。
ちなみに“ビッグスロープ”は、逢坂=大阪=“大きい坂”だ。百人一首を授業でやって以来、“大阪”があだ名なんだよ。蝉丸のせいで。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関――……
そんな俺が“異世界転移”したのは、体育の授業中、見失ったバレーボールが顔面直撃した拍子だから、もはや屁をこいた勢いでも“転生”しそうだ。いずれスマホ弄ってるだけで“召喚”されたりするんだろうよ。
俺が最後に見た現実世界の光景は、10本の指を広げた間からの、体育館天井の水銀灯だった。不幸中の幸いは体操服の上にジャージを着ていたことだろうな。 少なくとも、“すぐ死ぬ奴”で有名な“彼”より貧弱な初期装備で、ゼロからスタートは免れたのだから。
けれど、途方には暮れたよ。
“異世界転生”、“異世界召喚”。自分に何が起きたのかは割とすんなり理解した。ラノベでもアニメでも“タイトル長いの”は流行だし。
正直、自分にもいつか起きないかなあ、とか思ったことがないと言わない。みんなだってそうだろ? でもね、言っておくよ。
いきなりとか、マジでないから。
最近は最初に女神様とか出てくるのがデフォだって聞いてたんだけど。オープニングないとか、スーパーモンキー大冒険だから。「ながいたびがはじまる……」じゃないから。
異世界の雑踏に放り出されると、驚くほどいろんなことを一瞬で考えるぞ。
日本人に到底見えない人達ばっかりが歩いている
↓
外国にワープしたんじゃないの
↓
服装が古風なのに加え、剣とか普通に持っている
↓
大昔の外国にタイムスリップしたんじゃないの
↓
周りの人たちが日本語喋っているように聞こえる
↓
コミケなんじゃないの
↓
レ●りんがいないよ
↓
OK、だったらたぶん異世界だ。いても異世界の可能性あるけどな。
呆然、混乱。夢を見てるのかと周りを見回す。頬をつねる、を人生初めて実際にやってみる。夢じゃない、あれもこれも。
思うに、異世界転移して即行動に移れる奴は、たぶん物ッ凄いアホか、何も考えていないんだろう。普通は何もできねえよ。俺の場合、できたのは教会だか聖堂だかの石段に、ぺたんと腰を落とすことだけだった。
「君、珍しい恰好してるね」
少年のような喋り方に顔を上げた鼻先に、差し出されていた小さな花と、飾り気のない笑顔。彼女――アーシャとの出会いだった。
後になって思えば、ジャージ姿が異世界の町で悪目立ちしていたことが、俺とアーシャを巡り合わせた訳だ。ありがとう、□□高校の学年ごと3年ローテーションする色の内、ハズレと評判の素っ頓狂な緑色のジャージ。
こうして異世界の少女、アーシャ・ノエル・ロランに手を引かれ、俺の異世界生活は始まった訳だが――……
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さて、異世界の美少女と知り合った直後、お約束というかご都合主義というか、俺は路地裏んとこでガラの悪そうな3人組に絡まれた。
異世界転生初の“イベント”スタート。
マジか。展開さくさくだな。
が、やってて良かった中学高校と剣道部、道場になら小学校入った頃から通ってる。そして傍らに冗談のように落ちてある俺の初期装備。
今までケンカなんて碌にしたこともないが、試合だと思えば多少は経験がある。ブラシを踏んで起き上がってきた柄を掴む。よし、ここまではかっこいい。俺はブラシ近くを両手で握り、3人を向こうに柄を正眼に据えた。
「「「そっち側持つのかよ!」」」
「そっちの方持つの?!」
前後から突っ込まれたが、剣道だもの、重心が先端にあるとやりにくい。
「ふざけやがって……」
リーダー格っぽいのが凄むと――
右側の男が、すっと前に出た――……のを見た気がした。
「……?」
男は動いてはいない。あれ、気のせいか?。
と思うや男が、今度は本当に殴り掛かって来た、が、注目していたものだから、咄嗟に出会いがしらをいいのを見舞ってしまう。面、一本!
「なっ、てめぇ……!」
気色ばむ残りの二人も、勢いと物の弾みで叩き伏せる。
「「「覚えてやがれっ!」」」
あ、その捨て台詞、本当に言う奴いるんだ?
男達が支え合うようにして退散すると、俺はブラシを取り落とし、肩で息をした。アーシャ腕を取って、揺すってはしゃぐが、言葉も耳に入らない。
道具を使ったとはいえ、瞬く間に、人相の悪いのを3人……一番びっくりしてるのは俺自身だから。異世界転移、初日にどれだけ人生初をぶっ込むつもり……
右の頬っぺたに、ちゅっ、柔らかい感触。
えー……と、はい、これも初めてです……
こうして――俺の人生初を重ねる日々、異世界生活が幕を開いたのだった。