35.エンデ・エ・アーファ~世界の終わりと破局の始まり~
俺が握っていない手を丸め、頬を擦って、ルシウが表情を繕った。
「るああ。それにしても、何をしたんだ、今のは?」
俺が監視人の術を無効化したことだろう。ルシウの白銀の髪をくしゃくしゃとやって笑ってみせる。
「“世界観”とか“権限”とかに触れて、コツが判ってきた。なまじっかの魔法破るくれーは、気合だ」
「マジかー……脳筋極まれりって感じだなあ……」
「それよりルシウ、ちっと思いついたことがある……」
鬼女が痺れを切らして襲ってこないかと警戒しつつ、俺は早口にルシウに“考え”を耳打ちした。異世界監視人は目を丸くする。驚きと疑い半ば、の顔だ。
「うーぷす。え……どーだろ? 理屈は理解るが上手くいくかあ……?」
「さあな。だから、最後の悪足掻きさ」
桜花の切っ先を、癒えた肩からまっすぐに、片手正眼に差し上げる。
「ダメなら、仲良く“封鎖区”で暮らそうか」
「いひひ。それなら、ずっとこの姿でいてやっよ、お兄ちゃん」
いいね、そいつは大サービスだ。だったら、サービスついでに……
俺は軽く口を開いて、ちょいちょいと指を差した。
ルシウは怪訝そうに眉を顰め、首を傾げる。
「るあ……?」
「ちゅーだよ。ちゅー」
俺がそう言うと、
「え……ええ? 何で? “がんばれのチュー”して欲しーの??」
幼女がテンパって何か言い出した。
「“権限”でチートしろってんだよ、ばーか」
「るああ!」
何度目だろう、安定のレバー打ちが来た。
赤銅色の頬をより赤くして、ルシウが睨み上げる。
「クソめ……つーか、二度はできねーつったろー?」
「それが、“残って”んだよ、前の“権限”のチートが、“ユーマの世界”に」
「う、うーぷす……そうなのか?」
オルト・クストーデにも思わぬことだったようだ。
「るああ。確かに強化魔法にしちゃ、効き過ぎてるような気はしてたけど……」
「“ある”と信じれば“ある”、“世界観”の理だ。今の“ユーマ”になら“ルシウ”は入るぜ。信じてるからな。まあ、よしんば上手くいかなくても……」
「るああ、いかなくても?」
「“がんばれ”る」
「なーふ! るああっ!」
ルシウが顔を真っ赤にして、脛を蹴っ飛ばした。それでも俺が身を屈めると、そっぽを向き、舌打ちし、罵った末に――……
口移しに“強さ”をくれた。
やや眦の上がった大きな目。真っさらな銅を思う明るい褐色の頬、白に僅かに灰色を溶かした薄い銀髪。赤い瞳が、すっと俺の顔から離れる。
「なーふ……何でガン見なんだよ。で、どーだよ?」
「やーらかかった」
「お前、マジ黙れ」
「“がんばれ”そう」
「マジで」
フードの奥でジト目で睨む少女、彼女はちゃんと、俺の中にいる。
石柱を吹っ飛ばし竜を地べたに叩きつけた力は、喩えれば、体内に燃える石炭をくべられた感じ。白と黒の女神達との切り合いで、“ユーマの世界”に残っていた力は、疾風に乗って、体を運ぶような感覚。
そして今は――体の奥深くに泉があって、静かに、尽きない力が滾々と湧き出てくるようだ。自分で“信じられる限りの力“が、ちゃんと自身のものになっているのが理解る。
「これでダメなら、二人で始める“封鎖区生活”だ」
「なーふ。願い下げだなー、何とかしよーぜ」
「俺は二人暮らしも悪くないけどねー」
背中を向けて、膝を着くと、ルシウは素直に体を預けてきた。ルシウの両手が両肩から突き出す。幼女砲セット、パーフェクト・ユーマの完成だ。
「しっかり掴まれ。振り落とされんなよ、お姫様」
「るああ。馬は黙って走りやがれ」
騎馬戦状態の二人、祭壇下のカリイの荒々しい笑みが、心なしか苦笑にも見える。桜花を構え直すと、黒い女神も両手の剣を振り翳し、すっかり傷の塞がった素足で床を蹴った。
迎え撃つ俺は、ゆっくりと足を踏み出す。
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次の瞬間、曲刀を握ったままの腕が二本、天井まで刎ね飛んだ。
「疾い――……!」
耳元の呟きも、既に後ろへ置き去りにしている。
カリイを3歩と進ませず、歩いて眼前へ迫したことには、我ながら驚いたが、速さと強さは完全に掌握している。黒い女神が腕を断たれたと、気づくより早く、右手ひとつで切り上げた柄に、左手を添えて、閃――
鬼女の胴を、上下二つに払う。
黒い女神は、刹那、そのまま立ち尽くしたが、ぐらり、上半身を揺らし――腰から下を残したまま、ゆっくり仰向けに倒れていく。
すれ違い様、ちょうど面と向かう位置に落ちてきたカリイに、俺は一瞥と吐き捨てる言葉をくれた。
「俺はお前が嫌いだよ」
“その子”を知ってる訳じゃない。鬼女も、本人ではない。それでも、こいつは、我が子を殺した母親の化身、“その子”の悲しい記憶にカタチが宿ったモノだ。
俺は心底、お前が嫌いだよ――……
祭壇を見上げると、白い女神が形ばかり慈悲深く微笑んでる。そうだな……アンタのことも、あまり好きじゃあないな。
祭壇の段に足を乗せると、目の前に、幾つもの薄氷片が浮いていた。マールの使う障壁だ。今度は聖母から仕掛けてきた。この前は“その子”を目前に桜花を阻まれたが、今度こそは――
「……“砕く”!」
“壊れない”と認識してしまえば、“壊れない”。だから“砕ける”と確信して俺は桜花の刃を――俺自身の“世界観”を打ち込む。
超硬結界は一瞬、俺の一撃を受け止めたかに見えたが、切っ先が食い入り、亀裂が走り、ついに粉々に砕き散らした。
と、開いた左半身に沿うように、肩から小さな掌が伸びて――
「るああ。”音の象りよ“ ”還れ、言の葉に“」
手遊び歌のように、“結んで開いて”した。ガラスに石を投じるごとく、ぱん、ぱん、ぱん、障壁が呆気なく割れる。ルシウ・キャノン炸裂だ。
「なーふ。結界は無理くり砕くより解呪した方が早え」
やはり物事には相性がある。叩き割るのはひと苦労なものも、幼女砲で小気味よく割れる。
「あ、そこの手前の1枚、割らずに残して」
「るああ! 判った!」
雪の結晶のように舞う破片の中、ひとつ残った障壁を足場に――跳ぶ。
祭壇の聖母と“その子”を天地逆さに見下ろす高みから――……
全体重を乗せた天羽緋緋色“荒神切”桜花は、白い女神が掲げた護魔法陣をぶち割り、そのまま脳天から股下まで、刃に“切る”という意志を渡らせて、打ち下ろす。
が――桜花は虚しく実体のない幻を素通りする。
桜花の刃は、聖母の幻像を僅かに乱すにしか及ばず、祭壇に突き立った。真下から見た神は、偽りの母の顔で微笑んでいる。
存在の全てが“虚構”に過ぎず、それでいて頑なな“真実”。
そこへ向けて、異世界監視人の手が突き出された。
「るああ! これを見ろ!」
その手にあるのは、古ぼけた小さな鏡。名を、“信じずの鏡”という。
その小さな鏡は、“封鎖区”への鍵だ。
カルーシアの旧市街、或いは古都と呼ばれる地区のとある路地裏で、信じずの鏡を覗くと、突き当りのまやかしの壁が映らず、壁は鏡の外でも消えて、”封鎖区”への入口が開かれる。
鏡の名の由来は、“真実を信じず”――鏡を見た女性が、そこに映る己の顔を、真実と信じないからだとか。
信じずの鏡は、“真実”のみを映し出す魔法の道具だ。
信じずの鏡には、実在しない“虚構”は映らない。
ルシウが鏡を突き付けている先は、聖母ではない、“その子”だ。“その子”が覗いた鏡には、聖母の姿は映らない。
『……オ……カアサン…………?』
“その子”が見失った一瞬、聖母は“封鎖区”の“世界観”から零れ落ちる――……
祭壇から引き抜いた桜花が、ついに聖母の実体を捕らえた。
食らいついた刃――技術は無視した力任せの切り払い――は皮を破り、肉を裂き、骨を砕き、腱を断って、マールの首を撥ね飛ばす。仮にもヒトのカタチをしたモノを切る感触が嬉しいのは、これを最後と願いたい。
白い女神の首級が、足元に転がった。受肉した首から下は、祝福するのか救いを求めるのか、両手を差し伸べながら後ろに倒れ、石段を半ばまでずり落ちて動かなくなった。
背後で黒い女神も二つになって、痙攣する下半分は踵で石床を叩き、仰向けの上半分は恨めし気な薄笑いで俺を見つめている。お前はできるだけ長く、そこでそうしていろ。これで……
ついに――……“核”を守るモノはなくなった。
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俺の仕事と“その子”の過去に、終止符を打つ時が来た。”封鎖区”のイマジカを切り、“その子”を殺し、この“世界”を破壊するため、俺は自分の心を殺す。
“核”へ、刃を向ける。“その子”の眼が俺を見ていた。
子どものカタチをした空間の揺らぎだった“核”が、気づけば、子どものカタチをした凝集する闇と変じていた。
(その内側へ、”世界“が堕ちていく――……)
考えたのではなく、そう感じた、
必然的に“真っ暗な部屋”を想起し、立ち竦んだ俺を、黒い粘液のような闇に浮かぶ、二つの子どもの瞳が、きょとんとして見つめている。
生きた闇――その子”が小さな手を伸ばすと、距離と空間を無視して、右の指は黒い女神の残骸に、左の手は白い女神の亡骸に届いた。
両の手に、二つの壊れた玩具を握り締めて――気がつけば、“その子”は無限に肥大しようと、生きた闇が“封鎖区”を圧しようとしていた。二つのオカアサンを抱いて、“その子”は――
絶叫した――……
その叫びとともに、”封鎖区”の終わりが始まった。