32.グラーヴォ・エ・シルト~鬼の剣と聖なる盾~
カリイのすっかり癒えてしまった腹に、腹癒せの革靴の底を蹴り入れて間合いを離す。互いの命に刃の届かない距離で、俺は桜花を正眼に据え、黒い女神は左の曲刀を上段に、床の剣は素足の指で拾って高々と差し上げた。
「なーふ。ズルい」
肩越しに見ると、ルシウが唇を尖らせている。
刀と魔法――俺とルシウで鬼女をもう一歩、いや半歩まで押し込んだが、聖母のおかげで仕切り直し。言うなれば、勝負に勝って試合は引き分けってところだ。
だけど……全く収穫ゼロって訳でもない。
剣戟の音の余韻、臓物を掻き混ぜた感触、倒したと思った落胆。綯交ぜになった感情を縫って、「もしかして」という予感が走る。
二体の女神、黒と白、“剣”と“盾”――……“封鎖区”の”世界観”、“核”へ至る鍵は、たぶん彼女らが“対”だってとこにある。
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ところで、ゲームは好き?
RPGの中ボスで、攻撃タイプと回復タイプがセットで出てくるパターン、よくあるじゃん? 回復役がいる限り、攻撃役はなかなか倒せない。要するに、倒す順番が重要なんだ。
この“封鎖区”はゲーム的な“世界観”で出来ている。攻撃役である“剣”の黒い女神を掻い潜って、まず回復役である“盾”の白い女神を倒す。それが、このゲームの攻略法……のはずだ。
分は悪くない。こっちだって独りじゃないんだ。
“権限”が使えなくても、ルシウの魔法は、竜の息吹を防ぐ力があるし、今だって鬼女の剣を弾いて突進を押し戻した。
俺だって、強化魔法でだいぶ盛ってはいるものの、鬼女と渡り合うことはできている。剣を交えた感触では、今の俺ならそう易々と力負けはしないはずだ。
二人なら、ルシウとなら何とかなるかも……いや、何とかなる!
それと……“これ”は勘違いかもしれないんだけど……
いや、“不確かな要素”を勘定に入れるのはよそう。俺は黒い女神に向けられた刃から目を逸らさず、左手で、少女に背中の陰に入るよう合図をする。
「ルシウ、あの姐さん達だけどな」
「るああ。黒いのと白いの」
「白いのからやる。仕掛けるから援護頼むぞ」
「理解った。黒いののアタシが足止めする」
「いけそうなら、そのまま“核”まで狙う」
ざくっと打ち合わせ、桜花を両手持ちに、立てて右肩担ぎ気味の野球の打者の構えに引く。八相、すなわち“陰の構え”は、抜き身を抱えて戦場を駆ける型。言うまでもないが、剣道で使うことはない、実戦用の構えだ。
部活の合間に仲間と遊びで乱戦して、八相で走り回ることはあったけど。顧問に尻竹刀食らったのも、今となってはいい思い出だ。
まさか本当に真剣担いで走り回るとは、あの頃は思いもしなかったが……
背後でルシウが、深く息を吸って、吐いて、両手の拳をきゅうと丸めた。
「るああああああ――……」
少女の足元から緩やかな旋風が巻き起こり、銀色の髪、黒頭巾の縁、外套とローブの裾がはためいた。
「あ、アニメとかで見たことあるやつだ……」
へえ、気やら魔力やらを集中すると、本当にばさばさってなるんだなあ。ルシウが左右の拳を開くと、淡い光の小さな紋様――魔法陣が、指で象る籠の中に幾重にも生じた。
手の中に、小さな魔法陣を閉じ込めて、ルシウは俺に頷いた。
それを合図に、俺は黒い女神に向かって床を蹴った。
さあ、行くぜ、仕切り直し。ラウンド・ツーの始まりだ。
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異世界の傭兵は桜の刀を構え、地面を蹴った。異世界監視人は魔法陣を手の中に、剣士の無事を祈った。
「これで決めるぞ、ルシウ……!」
「るああ! 骨は拾ってやるぜ、ユーマあ……!」
待ってましたとばかり、姐さんはにっこり耳まで裂けた笑みをくれて、熱烈な投げキッスを寄越してきた。口から灼熱の火炎弾だ。
「るああ! “風よ” “氷よ“ ”凍てつきの棘を成せ“!」
詠唱、先行する俺の首筋を、脇腹を頬を掠めて、馬上槍と見紛うような氷柱が追い越していく。黒い女神の吐いた火と食い合い、爆ぜた蒸気を、今度は俺が追い抜いて駆ける。
「ユーマ! さすがに全部は捌き切れねーぞ!」
「もう2発頼む!」
真正面の炎を桜花で切り払い、追加注文する。
肉迫された鬼神が足で抓んだ曲刀を横薙ぎに、右手の刃を唐竹に振るうのも、後ろから来るルシウの二つの氷槍も――
俺は今、つぶさに“視”て取っている。
切り下ろしの縦の線は軸をずらし、足蹴の横の線は桜花で凌ぐ。
そして後ろから飛んできた氷の刃に、指を這わせ、僅かに射角を修正する。
氷の切っ先は、アンバランスな曲芸ポーズのカリイの喉元を突く。火を吹いて溶かすか、歯で噛み止める気か、口を大きくかっと開いた黒い女神の目が――瀬戸際で俺が放とうとする二の太刀に気づき、左腕で氷柱を横殴りに叩き落とし、桜花から大きく身を仰け反らせた。おっと、これは大失敗だ……
「冷たい物はお嫌いかい? だったら……」
……――アンタの失敗だよ、オネーサン。
桜花を八相に担ぎ直し、跳ぶ。
カリイの反り返った胸を足掛かりに、バストを失礼、更に上へ体を運ぶ。黒い女神の頭上を越えた時、彼女は俺が背中に隠していたものを見ただろう。一秒先の未来に、己の腹に深々と突き刺さる、ルシウの放った最後の氷槍を。
「女の子はお腹冷やさない方がいいらしーぜ?」
カリイと背中合わせに着地して、そう囁いたが、あまり調子に乗ってる暇はない。うかうかしていると、またリセット押され、鬼女の傷を塞がれてしまう。
これはこの世のことならず、死出の山路の裾野なる――
幼く死んだ子どもは、賽の河原に逝くという。そこには鬼がいて、子どもが罪滅ぼしの石を積むたび、それを崩しに来ると聞くが、“封鎖区”では石を崩すのは、鬼ではなく慈悲深そうな顔をした女神様らしい。タチが悪いな。さあ、どうする?
知れたこと、鬼も神も、”荒神切“でもろともぶった切るまで――……
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黒い女神を切ったはいいが、ぐずぐずしてるとまた復活させられる。同じことを繰り返して堪るか、その前に白い女神を倒して元を断つ。
祭壇へ走る背後で、鬼女がよろりと向き直るのが“視”えた。腹に氷柱が刺さって、敵ながら痛々しい有り様だ。
……――ああ、判っている。おかしいことを言っているのは。
しかし、言い違いではない。俺には今、視界の外側が“視”えている。勘違いかと思っていたけれど、やっぱり、確かに“視”えている。感じる。僅かにだが俺の中に残る少女のキス、“権限”のチートを。
“封鎖区”を欺き、“逢坂悠馬”を“ユーマの世界”だと見立てて、その中に“権限”を発現させた監視人のイカサマ。
竜の頭を地に額づけたチートほど、箍の外れた力じゃないけれど、鬼神と互角以上に戦えてるこの状態も、俺が強化魔法で届く境域を明らかに超えている。“ユーマの世界”にルシウが行使した“権限”は、俺の意識が“ありえないこと”だと、“世界観”から追い出して消えたはずだが……
自分自身でも判らないが、あってもいい非現実とならない現実の境界、そこまでいったらナシだけど、ここまではアリ的な俺の“世界観”の線引きが、存在するんだろうか……? で、“ここまではアリな力”が、消えずに残っている、と。
我ながら、どんだけいい加減なイマジカなんだよ。けど、この際細かいことは気にすんな。使えるもんは何でも使え。
白の女神を目指す。腹に氷柱刺さったまま追い縋る健気な黒の女神だが、
「なーふ! 行かせるかよ、“石と泥” “歩みを奪え、楔の逆鉾”!」
うわ、酷え。俺の駆け抜けた後に、石の棘が生じ、針の山と化して、カリイの踏み出した素足を容赦なく貫いた。何かこういう、お札投げながら鬼婆から逃げる昔話があった気がする。カリイが床に足を縫われて、つんのめったところへ――
「お前はそこにいな。“打ち据えろ、金剛の槌”」
追い被せる詠唱は、床と壁、天井から、石材の礫を雨霰と飛ばす。腹に氷、足に石の刺さった鬼神は、機関銃掃射を浴びたように、一瞬その場に棒立ちになる。
その“一瞬”で、俺は完全に黒い女神の手を逃れる。
祭壇の石段を駆け上がる。白い女神が、“核”を背に隠すように、儀式を施す聖女のように前へと進み出た。その眼前に向けて、空いた左手の人差し指と中指を立てて――
「臨兵闘者、皆陣烈在前――……ッ!」
素早く縦横に空を切る。対して聖母は両手を重ねて掲げると、声はなく口だけ動かして、防御魔法を行使した。ふわり、光のベールが聖母子像を包み込む。
掛かった……!
俺の意味ありげな仕草に、マールが対術式防御を唱えたが、あいにくこっちは術なんざ知らねえ。小学生の時に忍者の修行が流行って、九字の切り方を覚えてただけのブラフだ。
俺の狙いは、聖母が魔法を空撃ちする、無駄な一手、その“一瞬”。
ルシウのくれた“一瞬”、俺の作った“一瞬”。それで隙間をこじ開ける。
修道女の衣と聖女の風貌、少々罰当たりな気もするが、所詮はお前は偽りの神聖――斜め下から掬うように、壇上の腹を目掛けて桜花を突き入れる。白い女神が伸ばした手と、刀身が行き違い、切っ先が背中まで突き抜ける。
「――……ッ?!」
「――……ァ!!」
俺が違和感に襲われたと同時に、“核”が叫んだ。
“核”が叫んだ言葉に頓着する余裕はない、しかし、その言葉は心にガリッと引っ掻き傷をつけた。その傷こそが、最後に”世界“を破壊する楔になることに、この時の俺はまだ気づいてはいない――




