29.ドラギオ・エ・イリアス~ドラゴン殺しの英雄~
「それで……あの力はいったい何だったんだ?」
ひと頻り笑った後、俺はルシウの膝元に倒れたまま問い掛けた。ルシウの笑い顔が、ドヤ顔に達した。
「るああ。あれはな、“権限”だ」
「?……“封鎖区”には持ち込めないんだろ?」
異世界監視人の“権限”は、”世界”を管理する権能だ。ほとんど万能だが、ただし監視人の管理外の“世界”、例えば“封鎖区”では一切使えないと聞いている。
が、ウチの異世界監視人さんが、渾身の悪さが成功した小学3年生男子みたいな顔で言うことにゃ、
「なーふ。“世界”を騙してやったのさ」
“世界”を騙す、とは穏やかじゃなく、しかもどこかで聞いたようなフレーズだ。
「るああ。でっちあげたのさ、“ユーマの世界”を」
「俺の……世界?」
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つまり、こういうことらしい。俺も半分以上理解できないが――……
“封鎖区”は人間を“核”にして出来た“世界”だ。
ルシウのやったのは、ユマ・ビッグスロープという人間を、詭弁的に“ユマ・ビッグスロープという人間を核にして出来た世界”であると“見立て”ることで、“世界”の法則を誤魔化し、“封鎖区”を勘違いさせた――のだそうだ。
“見立て”ねえ……もうこの時点で、よく理解らんが。
俺とルシウは“封鎖区”にとっては異物の存在、そこを逆手に取り、カルーシアという”世界“の中に生じた“異世界”である“封鎖区”、その更に内側に新たな“異世界” を作り出す――
「いひひ、“ユーマの世界”をでっちあげてやったんだよ」
どうやら俺は”封鎖区“の内側で”封鎖区“になった、らしい。
「やったんだよ……ってお前、そんなのアリなのか?」
“世界”の法則やらルールに監視人以上に詳しい訳はないけど、たぶん、それってムチャの気がする。悪い顔で笑ってやがるし。すると案の定、
「なーふ。アリな訳ねーだろ。んなもん、コジツケのゴリ押しの、屁理屈もいいとこよ。それでも、捻じ込んじまえば、“ユーマ”の存在は“カルーシア”に属しているからな。言うなれば、それは“封鎖区”のカルーシア大使館で……」
「”ユーマの世界“は”アタシの管理下にある世界“なのさ」
ルシウは正座崩れのまま、寝転ぶ俺の胸をきゅうと丸めた拳で叩いた。
「待て。俺って、お前の管理下にあるの?」
「いひひ。幼女に支配されるたぁ、ロ●コン冥利に尽きるだろ、お兄ちゃん?」
そう言ってルシウは手を伸ばし、俺の頬に触れ、口元に指を当てる。
「てな訳で、そこがカルーシアなら、アタシの“権限”は発現する。アタシは“ユーマの世界”、つまり“お前の内側”に、口から“権限”を押し込んだのさ。うーららぁ、言って見りゃあソフトな房中術ってとこかあ?」
「ボーチュージュチュ?」
「るああ……ゴメン、忘れて……」
聞き慣れない単語を訊き返すと、言った幼女が耳まで真っ赤になって俯いた。
え……何なんだ、ボーチュージュチュ……?
怪訝に思ってルシウを見つめると、レバー打たれた。理不尽。
「と、とにかくだ。アタシは“権限”で“ユーマの世界”の構文の、足の負傷を“なかったこと”に置き換え、竜を上回る力を“あること”として書き加えたんだ」
「う、うーん、何となく理解ったような気がする、けど……そのパワーアップの方は切れちゃったみたいなんだけど?」
「るああ。それはお前の常識や無意識、つまり“世界観”のせいだ。怪我が消えたことは“あるかも”として“受け入れた”けど、力の方は“ありえねー”って、吐いた息と一緒に“ユーマの世界”から弾き出しちまったのさ」
うーぷす……これは己の半端に現実的な“世界観”が恨めしい。
チートは主義に反するが、拘りってのは、余裕がある時にするもんだ。
ゾンビやドラゴンのいるこの城で、もはやそんな余裕はない。
「もっかい掛けて貰うのって、出来る……?」
そう言うと、ルシウは渋い顔をした。
「なーふ。単なる強化魔法じゃないんだよ。あれは、“お前”と”世界“を二重に騙したんだ。バレたら終わり、お前がそれと意識した時点で、二度は使えねー禁じ手だよ。言っとくけど、一回成功しただけで結構奇跡なんだからな」
残念だが、まあ、奇跡は何度も起きないから奇跡なんだろう、と――
ふと、気になったことを確認する。
「もし怪我してないのを“おかしい”って思ってたら、どうなってた?」
「そりゃあ……」
異世界監視人が半笑いで目を逸らした。
「そりゃあ、まあ、お前が信じたことが結果として残っただろーな」
……危ないとこじゃねーか。調子のいい“世界観”してて本当に良かったよ。
さて、幼女は口は達者なものの、まだ足腰が立たないようだ。その様子からすると、腰が抜けるような賭けだったんだろう。
「まーな。だから、ちっとでもアタシのエルーカが入りやすいよーに、お前の“世界観”をアタシの“世界観”に向けさせただろー?」
ああ、あの「アタシのこと好きか?」は、そういう……
「うーぷす。『好きかな、ルシウが』……だってさ! きゃー!」
くっ……殺せ……!
頬っぺたのひとつも捻ってやろうかと思ったが、その頬が銅色よりやや赤みがかっていることに気づく。
「そりゃあ、泣きそうな幼女に、好きかって詰め寄られりゃあなあ」
「るあっ?!」
ルシウが両方の人差し指を口に突っ込み、「いーっ!」と歯を剥いた。
「なーふ! 演技だし。ばーか、ロ●コン!」
「自分からチューしといて、それはなくない?」
相も変わらず、わあわあと言い合いになる。だけど……
それでも俺達は、二人なら“竜殺しの英雄”にだってなれるんだ。
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俺は身を起こして、赤い竜の亡骸を仰ぎ見た。漫画とかの知識だけど、ドラゴンの鱗や革って、物凄く高額で売れたりするんだよな。これ丸ごとで、実はひと財産なんじゃねーのかな。
と言っても、纏まった量を運べもしないし、欲がないじゃないけど、大金持ちになりたい訳でもない。記念に鱗の一枚くらいひっ剥がしてくか、とも思ったが、“世界観”外のモノをカルーシアに持ち帰ってもややこしいことになりそーな気がするので、ここはすっぱり諦めるとにしよう。
「で、次はどっちだ、異世界監視人?」
この神殿の遺跡的な中庭、ぐるりと見渡してみたが、外周壁には入って来た扉さえ既にない。どこへ向かって進めばいいんだ、これ。
「もしかして今倒したのが“核”だった、とか?」
「うーぷす、チューじゃねーし……」
「それはどーでもいいから」
「なーふ。だとすりゃ、“封鎖区”に何らかの変化が起きるはずだが……」
だったら、この“封鎖区”のゲーム的な “世界観”から考えれば……
円形舞台の祭壇に仕掛けがある、とか……
立って、差し出した手を掴んだルシウを、引っ張り起こす。
ともあれ祭壇を見てみよう。何となくそおっと竜から離れる。死んだと理解ってても、近寄りたくはならない。祭壇にの仕掛けが王道なら、死せる竜がかっと眼を開くのもまたお約束だ。
改めて見ると、改めて呆れるほど巨大だ。巨人の時も感じたが、
「この“封鎖区”の魔物のサイズ感さ」
「るああ?」
「デカい奴から虐められる感あるよなー」
そう言うと、ルシウがぎょっとしたように振り向いた。
「……? どうかした?」
「るあ……いや、何でもない」
ルシウが目を逸らした。この誤魔化す感じ、一度目じゃないと思う。
話せないことなら、訊きはしない。彼女は異世界監視人、気安く言葉を交わしていても、俺の方から踏み込んではいけない領域があるはずだ。
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俺は素知らぬふりをして、さっさと話題を変えるべく肩を竦める。
「いやあ……にしても、よく勝てたわ、コレに。ったく、ここまで命懸けとはな、何か割に合わない仕事な気がしてきたぞ」
すると、ルシウが首を傾げた。
「るあ? なあ、そう言や報酬の話したか?」
「あれ……してない?」
依頼を受けるかどうかで悩み過ぎて、報酬のことを頭から忘れてた。
「なーふ、どんだけお人好しに出来てんだ」
ルシウは心底呆れた顔をしたが――
「じゃあもう、柱に挟まれた時に見せた、アタシのパンツでいい?」
「いい訳あるか。どんだけ価値あるんだ、お前のパンツ」
「……うーぷす……やっぱり見てた……スケベめ……」
「ブラフ……だと……?」
俺が項垂れると、幼女は楽しそうに背中をぱんぱん叩く。
「ま、心配すんな。無事に元の”世界“に戻ったら、エルーカでお前の願いを何でも叶えてやるからさ」
「願いを何でも……?」
龍を倒したら、尻尾から剣じゃなくて球が出た。さすがにぽかんとしてると、ルシウが「いひひ」と勝ち誇るように笑った。
「まー、さすがに例外と禁忌はあるけどさ、別に王様にしてやってもいいぜ、なりたけりゃな。ま、このルシウさん、魔法のランプにサービスで負ける気はねぇ、たいていのことなら三つ叶えてやんよ」
ナ●ック星の方のボールだな。
富か名声か、はたまた永遠の命か……降って湧いた幸運に幾つか“そーゆーの”が頭に浮かんだが、よく考えると、どれもそんなに欲しいものでもない。
だったら――そうだ、ひとつ欲しいものがある。
「桜花は……ダメ?」
天羽緋緋色“荒神切”桜花。俺の思うままの太刀筋を描き、意のままに竜鱗をも切り裂く、黄金より美しい刃、正直言うと、この仕事が終われば手放すことが、惜しい気持ちが既にある。
監視人がさすがに眉間にしわを寄せたが――
「なーふ。どーしてもってなら、うーん……ダメだとは言わねーけど」
「マジ?」
言ってみるもんだ。いいのか、東方七つ秘宝だぞ?
「ただ、十分に考えろよ。それを持つのが、どういうことかってのはな」
「…………」
ルシウの言葉の重みが、胸を突いた。
そうだな、桜花は“ただ強い武器”じゃない。正しく使えば、一国を切り取る刀だ。生半可な思いでは、振り回されるのは剣ではなく、俺の方だろう。俺には分不相応、だな。腰を揺すり、剣帯と下げ緒を直す。
「……やめとくよ」
そう言うと、監視人は少しほっとした顔で笑った。
「それがいいな。そのクラスの武具は、それ以外の全てを犠牲にして、そうしてやっと持つモノなのさ」
「改めて、俺にちょうどいいのをお願いするよ」
「うーららぁ」
ルシウはきゅうと拳を丸めると、平たい胸をどんと叩いた。
「ユーマには 何度も危ねーとこを助けられたからな、そいつは報酬とは別に、これぞって奴を見繕ってやるよ」
「一番いいのを、頼む」
そういうと、ルシウは満面の「にっ」を返した。
そして二人、祭壇の前に立った。
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俺の腰、ルシウの鳩尾の高さの祭壇は、石畳の隙間から伸びた蔦に絡みつかれている。生贄を捧げる台座のようだ。
蔦を少し毟り、積もった塵を払うと、天板一面に見たこともない文字がびっしり刻まれている。王都公用語、エクリット文字なら俺も読み書き出来るから、これは古代語か異世界語か、とにかく俺にはお手上げだ。
「読めるか?」
「……読める、読めるぞ!」
「やかましい。目をつつくぞ」
「るああ……ごちゃごちゃ書いてあっけど、要は、碑文に手を当てて祈れば、どっか次の場所に飛ばされるよーだな」
「捻りがないけど、理解りやすくていいな」
ここまで来れば躊躇いもない。先へ進むだけだ。
二人頷き合い、祭壇に手を伸ばしかけて――……
ふと、何か聞こえた気がした。吹き過ぎる風の声か、それとも……?
ルシウも顔を上げる。二人、無言で耳を澄ます……
ばさっ――……
聴こえた。気のせいじゃない。ルシウと顔を見合わせる。
「……うーぷす……」
「……冗談だろ……」
見上げた吹き抜けを、月光を背にしてゆっくりと降りて来る影がある。その巨大な姿は、見間違えるはずもない。
深紅の火竜、お代わり。
「くっそ、マジか“封鎖区”! クソゲー過ぎか、ふざけんな!」
「るああ! ユーマ、祭壇祭壇! とにかく触れ触れ!」
既に尻尾が屋内に垂れ下がってきている。焦りまくりながら、幼女のちっちゃい掌に、皮手袋を叩きつけるように重ねて、「ここではない何処かへ行きたい」と心の底から願った。
「「せーの、バルス!」」
その瞬間、俺の視界は暗転して――……
暗闇の中を、どこかへ運ばれる感覚だけが残された。