28.ドラギオ・エ・ヴェゼ~赤い竜と祈りの口づけ~
身構えたほどの音はしなかった。
どん、どん、と遠くの花火大会のような、腹に来るやつがほぼ間を開けず4回。ぱらぱらと、細かな破片が顔に、肩に降り掛かる。
赤い竜も、奴が心や感情を持つのかは判らないが、それでもぴくりと反応して視線と鼻先を宙に巡らせた。
「ぐあ……」
みしり……不穏な軋みを合図に、革手袋で革頭巾を抱え、石舞台の外へ跳ぶ。
「……圧し潰されろ――……」
四本の石柱の倒壊が始まった。
思惑を逆に裏切って、期待した以上の瓦礫が竜の頭上に降り注いだ。巨石リングの爆撃を受け、怯んだドラゴンに2本の石柱が斜交いに倒れ込んで――
「「圧し潰せ!」」
二人で叫ぶ。空の王者を大地に屈服させる。
ついに暴君が頭を垂れた。既に俺は地面を蹴っている。
ドラギオがいるのとは、反対の方向へ――……
押し潰された巨竜が、苦し紛れに振った尻尾――その八つ当たりを食った円柱のひとつが、倒れる向きを変えたのを、俺は見ていた。その方向には……
ルシウ――……
伸ばした手が、少女の控えめな膨らみに触れた。
突き飛ばした。
見開かれた真っ赤な瞳が、褐色の頬が、白銀の髪が離れていく。
良かった――……
直後、両足が激痛に食われた。
***********************************
そのまま地響きと粉塵に飲み込まれる、視界を失う、が、自分の脚がどうなったかは、見えなくても理解る。間違いなく、理解りたくないことになっている。
うつ伏せの下半身は、石柱の下敷きになっていた。おぞましいのは、倒れた柱と地面の隙間がほとんどないことだ。もはや折れたかどうではない、原形を留めているかが怪しい。
それで“痛い”で済んでいるのは、ダメージが大き過ぎて感覚がマヒしてるんだろう。この状態では、むしろ神様の慈悲かもしれない。
悲劇的な下半身から目を背けると、真正面でルシウが尻もちをついていた。
いろいろと無防備なことになっているが、あいにく幼女のパンツを嗜んでいる余裕はない。呆然自失の異世界監視人は、
「……怪我はないか……?」
俺が声を掛けると我に返り、這うようにして俺の肩に手を当て、治癒魔法の光を注ぎ込んだ。その手首に触れ、何とか笑ってみる。
「……何本あっても足りないのは、腕じゃなく、足の方だったな……」
「バカ言ってる場合かよ!」
真っ青な顔と真っ赤な目で怒られた。
「奴はどうなった?」
「柱2本に潰された、さすがにすぐには出て来れねー。けどユーマあ、何もお前まで下敷きにならなくてもいいものを」
言葉はひどいが、ルシウは目に薄っすら涙を浮かべていた。
そんな顔をさせたくなくて、こんなところまで来たってのに。俺はかなり姿勢に無理を強いて、少女に手を伸ばし……桜花を差し出した。
「ルシウ……お前がやってくれ……」
「る、るあ……アタシが……?」
少女は目を丸くした。
「ちょいと頭に刺してくる簡単なお仕事だ、子どもの力でも桜花ならやれる」
「いや、でも、お前の手当てを先に」
「あっちが先だ。急いでくれ」
「柱から逃れられたら終わりなんだ、今しかない」
精一杯腕を突き出し、ルシウに手の物を押し付ける。
「やってくれないと、桜花で足を断って這って行かないとならない」
そこまで言うと、少女はおずおずと刀の柄を取った。それでいい……
ドラゴンが死んで、プリンセスを守れれば、それがナイトの勝利なんだ。
***********************************
俺の下半分は、既に感覚がない。
痛みが生からの警告なら、さしずめ死に足首を掴まれたってとこか。寒い。崩れた柱の下、見えないとこで、たぶん致命的な量の血が流れている。
治癒魔法を切って、ルシウが戻るまで持つかは判らないが、監視人に人間である“核”は壊せない。今回はクエスト失敗、“GAME OVER”だ。
今は死ぬのが怖くないのではなくて、ちゃんと理解ってない、ただ実感がないのだとは判っている。下半身は冷たい。痛みもない。目の前に竜がいる、現実感もない。じゃあ、死ぬのとガメオベラの区別がつかなくてのも、ゲーム脳のせいじゃないよな。だったら……できれば、俺が怖さに気づくその前に――……
それに、このまま二人、共倒れになるなら……
「行け、ルシウ。行って生き延びろ」
ルシウだけでも助かれば、それで御の字だと思う。俺の傍らに膝を着くルシウは、そしておもむろに――
桜花を地面に置いた。
「るああ……イヤだ。ユーマ、お前を死なせるのはイヤだ」
今度は俺が見張る番だった。クソめ、やべーのがバレている。
「だ……けど、このままだと二人ともやられてしまう。俺は気合で持ち堪えてるから、まずは止めを刺してこいって……」
「ユーマ……!」
説き伏せようとした言葉が、真剣な声で遮られた。見上げれば、涙を抱えた緋色の瞳、その赤い目に掛かった薄銀の前髪、震えている赤褐色の頬。そんな……悲しそうな顔をしなくてもいいのに。
目の前で膝を立てた少女のスカートの内側、それが最期に見る光景なのだとしたら、人生はそう悪いものではないのさ。そう考えた俺に、ルシウが静かに、しかし強く問うた。
「ユーマ。お前、アタシのことが好きか?」
えぇ……今それ訊くの……?
しかし少女の視線は真剣そのものだ。けど、まあ――……
死ぬかもしれないって時だ、言い残す言葉があってもいい。
「……そうだな。好きかな、ルシウが」
俺がそう口にするや、ルシウの瞳が強い光を帯びた。おれは理解する。
異世界監視人の問いには、遺言を聞くより先の、意味があると。
ルシウはばっと地面に這いつくばり、俺と顔と顔を突き合せた。
「るああ。ユーマあ、こっち向いて、できるだけ口を大きく開け」
「何、口……?」
「いーから黙って言われた通りにしろ」
有無を言わせない語気に、歯医者の治療よろしく思い切り口を開く。
異世界監視人は唇に、親指の血をさっと擦り付けると――……
首を傾けて、俺の口に自分の口を、ぐいっと押し付けた。
それは厳密にはキス――……ではなかった。
唇を重ねている訳ではない。
俺の開いた口に、ルシウが口を突っ込んできているから、する側される側が逆になった心肺蘇生、人工呼吸の形だ。といって、ルシウは息を吹き込んで来ることもなく、ただ、彼女が何事か呟いているのを感じる。
何をしているか訊こうにも、訊けない。と、ルシウが音量を上げて、
「るああ。いいか、アタシが口を離したら、余計なことを考えるな」
「石柱を退かして足を抜け。それから、桜花を掴んでドラゴンをぶっ殺せ。全て終わるまで息は吐くな。理解ったな?」
頭の内側で声が響く。妙な感覚だ。俺は力を振り絞って頷きを返す。
判った。理解らないが判った。何も理解できないが、この状況だ、お姫様にやれと言われりゃナイトは何だってやるさ。ルシウがまた声を落とす。少女の囁きが脳に焼き付く。頭を満たす。脳を焼き尽くす。心を支配する。
やがて、少女の口が口から離れた。感覚のない両足に、最後の悪あがきを命じる、すると、巨竜をも押し潰す石柱は、天井高く跳ね上がり――
円形舞台に突き立つ勢いで落ちていった。
……――は?
今……何が起きた?
身を起こし、戒めを解かれた足を探る。圧し潰されたはずの足は、骨が折れているどころか、傷ひとつ、痛みさえもない。同時に全身を包んでいた寒さが消え、逆に温かく……いや、むしろ熱い、革手袋の中が汗ばむほど体が火照ってくる。何なんだ、これは……
力が溢れてくる……?
これが、話に聞く”覚醒 “とかいうやつなのか――……?
立ち上がると、ルシウも続く。訊きたいことは山とあるが、黙って差し出された桜花を握る。今の俺には、“息を吐くより先”にやることがある。
足を踏み出すと、走るより速く歩くことが出来た。
石舞台に足を掛ける。ドラギオが斜交いの円柱、石の首枷から頭を持ち上げ、喉も裂けよとばかり咆哮、閃光とともに炎の息を吐いた。
これまでで最大級の火炎塊を正面に、俺には確信があった。
今の俺にはそれさえも可能だと。
桜花一閃――左薙ぎのひと振りは、竜の息吹を切り払う。
そして瓦礫から脱しつつある竜の鼻先を掴み、難なく円形舞台に叩きつけ、石畳を砕く。左手に竜の頭を押さえ、右に桜花を掲げた俺は――
「…………」
気の利いた台詞のひとつも吐きたいところだが、息が吐けないから仕方がない。俺はただ黙って、静かに桜花を竜の眉間に突き入れ、捻った。
火竜はかっと眼を見開く、瞳孔が収斂する。全身を硬直させ痙攣して、そして弛緩する。尻尾だけがしばらく往生際悪く跳ね回ったが、それもまもなく止んだ。
***********************************
俺はとうとう、本当に、レッドドラゴンを殺した、らしい。
桜花を引き抜き、切っ先を振るうと、赤い飛沫が石畳に染みた。
革服の袖で刀身を拭い、鞘に納める。桜花がなければ詰んでいた。礼の言い様もないけど、酒でも供えて拝もうか、無事にカルーシアに戻れたら。
そこで不意に緊張の糸が切れた。両腕をだらりと天を仰ぎ、大きく息を吐く。
「……あ……」
そして俺は“全て終わるまで息は吐くな”の意味を理解した。
振り向くと、ルシウが駆け寄ってくる。少女は俺の顔を見て立ち止まると――
「るああ……上手くいったあ……」
泣き笑いのような顔で膝から舞台にへたり込んだ。
「おい、ルシウ……」
呼び掛けた途端、よろめいて、足がもつれて、俺も石舞台に倒れ込んだ。仰向けに転がると、そこには真っ白な歯、ルシウのにっとした笑みがあった。
こうして下から見る笑顔には見覚えがある。初めて異世界管理局出張所を訪れ、ルシウと出会った日――少女にぶん投げられ、床に転がって見上げたのがこの笑顔だった。
そして二人、声を上げて笑い出した。




