27.ドラギオ・エ・カジオ~赤い竜と石の檻~
と、気づく。ぶつかった衝撃は柔らかい。
手探りで確認し、ぶつかったものを把握する。
もうこれで何回目だろう、灰色の闇の中で軽い体を掬い上げ、お姫様抱っこで竜の叫びの反対の方向へ、じりじり後退する。円舞台の縁を踏み外し、後ろ向きにステップを踏んで、ルシウもろとも手近な物陰に倒れ込んだ。
少女を傍らに下ろす、と、手足を引っ込めて縮こまる。
「…………」
「…………」
「……変なとこ触った……?」
「……うーぷす……触った……」
「……ごめん……」
「……るああ……」
お巡りさん、こっちです。待って。俺が幼女にイタズラしたみたいな感じになってない? 俺は思う。だったら、おっきいルシウさんの方が良かったよ?
口にしたら、たぶん一生口利いてもらえなくなるけど。
いや、だから、今はそんな場合じゃねーんだって。
ルシウが俺の胸に掌を当てた。「お返し?」とアホなこと考えた俺の体から、意識していなかった痛みが消える。知らない内に、崩れた柱の破片を結構被弾していたらしい。
「るああ。で、どーだ? ひと太刀浴びせた手応えは」
「切れたは切れたけど、指なんか全部落としても埒が明かない。桜花が石材さえ切れるっつっても、相手があれじゃあ一寸法師の針の刀だ」
「なーふ。いっそ食われて、腹の中から突っつくか?」
「そりゃいよいよ最後の手段だな……なあ、ルシウ。魔法であいつに頭下げさせるか、寝ッ転がらせるか、できないかな?」
「なーふ……あのデカさだろー。今のアタシの魔法の威力じゃ、何撃っても怯ませるので一杯一杯じゃねーかな……あ、そうだ」
ルシウが竜の折った柱を見て、ふと顔を上げた。
「石柱をあいつに倒すってのは、どーだろ? 相当な重量の柱が倒れてくりゃ、さすがにあいつも押し潰されるだろ。お前が桜花で切れ込み入れてといて、アタシが爆破すりゃ、たぶんイケると思うぜ」
ルシウが、深紅の竜、環状石柱、桜花と順繰りに指差した。
う……うーん、どーだろう……?
発想的には悪くないように思う。現実的かには疑問が残る。
「倒したとしてさ、都合良く当たるかあ、位置取りとかさあ? 相手もバカじゃねーし、倒れてくる柱をさあ。“うわー、倒れてきたー”って待ってないだろ?」
指摘すると、ルシウの赤褐色の頬が赤くなった。
「なーふ……じゃあ、自分で考えりゃいいだろー……」
「拗ねんなよ、子どもか」
「うーぷす。幼女が好きな癖に、このロリコ……」
「ちょ、言葉が過ぎますわよ」
そりゃ、命中さえすけば、ドラゴンの“伏せ”を拝めるかもだが……俺は円形舞台と竜を囲む環状石柱群を吟味する。
「そうだな……一本じゃまずダメだろうけど、あの辺まとめて倒せば、あわよくば巻き込める……かも?」
俺とルシウは、柱の台座の両側からそっと顔を覗かせた。
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竜は動物園のライオンのように、並んだ石柱の檻の内側にいる。三本か四本爆破すれば、支えている巨石環も崩れることを計算に入れて、よほどタイミングをミスらない限り、まさか掠りもしないってことはない。圧し潰せなくとも、それなりのサイズの瓦礫が降り注げばさすがに無傷では済むまい。
まあ、運任せは否定できないが、俺が誘き寄せれば、一か八かよりは目があるだろう。他に手があるでなし、やってみる価値はある。
「“異世界監視人の名の下に詠じ唱う”……」
“加速”、“防御”の魔法が撃ち込まれた。強化魔法もだいぶ重ね掛けしていて、何となく体に悪そうな気がする。
ルシウは自分にも幾つかの強化魔法を使うと、
「うーぷす。一度に倒すには、ちっと“仕込み”が要るからな。石舞台のあっちに引きつけて、合図したら連れて来てくれ」
「簡単に言ってくれるよな」
「うーららぁ。信じてるんだよ、相棒」
ルシウは歯を見せて笑うと、親指を噛み、血を滲ませた。
「術式に使うのか? 言ってくれりゃ、桜花を貸したのに」
「なーふ。アタシの指も落ちてしまうわ」
ルシウが血の流れる親指を立てた。俺は竜より深く息を吸って吐き、桜花の峰を肩に置いた。
そして目を見交わし、頷き合うと――
王を額づけるべく、円柱の後ろから身を投げた。
ルータ・ドラギオが、俺の目には少しのんびりと頭を巡らせた。“加速の加護”を受けると主観的には、自分が速くなったより相手が遅くなった、と感じる。たぶん身体だけじゃなく、感覚的にも速くなってるんだろう、よく判らないけど。
環状円柱のひとつに取りつき、楔状に刃を入れる。
気分は「また詰まらぬものを切ってしまった」の人だ。切り落とした石材が、水の中のように、妙にゆっくりと地面に達する。火竜が、完全に向き直る。
柱に体当たりさせちゃダメだ。先手に折られちゃ元も子もない。
身を翻して柱を離れ、桜花を構えて走る。ゲーム的“世界観”に縛られた竜は、俺の接近に“思考ルーチン”が切り変わったらしく、前脚を交互に振り下ろしてくる。自ずと頭の位置も下がってくるが、攻撃を狙うほどの余裕はない。
近接のパターン行動をあしらいつつ、当初の計画通り次の柱、また次の柱と、同じ場所へ目掛けて倒れるよう計算しつつ、祈りつつ、桜花を振るっていく。
何か、桜花には申し訳ない。一国を贖う価値の刀剣も、作業工具扱いされるとは夢にも思わないだろうに。
剣の心に思いを馳せていると、太い尻尾が宙に持ち上がった――打ち下ろされる。石畳が砕ける。怖いは怖いが、そんな大振り食うものか。巨大な竜にすれば、周りを小虫が飛んでいるようなもんだ。鬱陶しいだろ。ざまあみろ。
そうして予定の柱四本全てに、木樵の斧の切れ込みを入れると――……
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「こっちはOKだ、頼む!」
円形舞台の逆側へ走る。お次はルシウの番だ。
緋竜の足元を擦り抜け様、軽く桜花でひと撫でしていく。
竜の怒りを買う、ルーチンが変わる。ここからの役目は囮だ。
ルシウの準備の時間稼ぎに、ドラゴンの足元を立ち回る。魔法使いは細工した柱に駆け寄り、さっと噛んだ親指の血を擦りつける。言っていた術式の仕込みなのだろう。しかし……“ドラゴンの足元を立ち回る”、か。
よく考えたら、とんでもないな。ちょっと現実感が乖離しそうになるが、とにかく、足を止めなければ、勝てないが負けもしない。古い箴言にこんなのがある。
「当たらなければ、どうということはない」
と思っていると……
ドラギオが俺目掛けて、しゅっと唾を吐きつけた。
「熱ッ!」
こういう行動パターンもあるのか。芸の細かい真似しやがって。
知らなかった。ドラゴンの涎、超熱い。そして超臭い。茶色くて、べたべたしてて、しかもどこかで嗅いだ覚えのあるこの異臭……この匂いは確か……
あ……思い出した、高校の体育教官室……煙草だ――……
通ってた高校の体育教師が、教官室で、水入れたインスタントコーヒーの瓶に吸い殻捨てていて、ニコチンだかタールだかで真っ茶色になった、あれと同じ匂いがするんだ……でも、何で煙草――……?
「るああ! いいぞ、ユーマあ!」
ルシウの叫びに我に返る。そうだ、余計なこと考えてる場合じゃない。目線を送ると、ルシウは手を振りつつ頷いて、円形ステージ、環状石柱の外側へとたとた走って行く。また出番交代、俺のターンだ。
ドラギオの前脚を躱し切りつけながら、すこしずつ退き、奴を誘い込む。倒れる柱のできる限り近く、崩れる石環を最も浴びる位置へ。
立ち構える。太刀構える。俺を叩き潰さんと、赤き暴君が迫る――叩き潰されるのは、お前だ……!
「針千本飲―ます、だ。やれ、ルシウ!」
「るああ! “風と火よ” “弾けて混ざれ”――……!」