26.ドラギオ・エ・クオレ~赤い竜と作り物の心~
思い出すなあ、狩りゲー初めてやった頃。
初めて大型モンスターと戦った時、傍に近づくのも超怖かったもんな。リ●レウスの部位という部位全破壊できるようになっても、思えば、あの時のドキドキ感が一番楽しかったかもしれないな。
それが今の僕です。ちっとも楽しくねーや。
いっそ強引に切り込むか? 頭の中でそう囁く奴がいる。最悪一発貰っても、最悪ベースキャンプ送りで、まだ2回チャンスが……ねーわ、アホンダラ。危ねえ、またゲームとごっちゃになってるよ。
俺は頭を振り、ゲーム脳を封印しようとして――
「ゲーム……いや、そうだ、ゲーム……?」
ふと、ある閃きに足を止めた。
「るああ。どうした、ユーマあ?!」
何事かと呼び掛けるルシウと、近い柱を手で合図した俺の間を、炎の壁が遮る。防御魔法の青い薄明光と竜の赤い熱閃光が、俺の周りで交錯する。
柱の陰で熱風を頬に受けながら、俺は竜の挙動を観察している――俺の考えは、たぶん正しい。竜の肺活量が尽きた。焦げた草を踏み、熱気の中へ走り出す。
「ルシウ! しくじったら、看護婦さんを頼む!」
「るあっ? 白衣着ろってこと……??」
着てくれる気があるなら、是非見たい。
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真っすぐに突っ込んで来る小さい奴を、ドラギオの縦に細い瞳孔がじいっと見つめている。無視だ。円形舞台の縁を踏み越える。深紅の暴君の姿勢が前傾し、謁見に威を誇示する。
「うーぷす! ユーマあ、来るぞ!」
まだ無視だ。俺は構わず間合いを削る。
竜の吐息に濃い煙が混じり出した……まだ行ける、はず……頭が僅かに上下に揺れる……1回……2回……3回……
……――ここだ、来る!
ドラギオの口が開く……喉の奥から白熱の光が迫り上がる――俺は体を左方向へ投げ出す――炎塊が、一瞬前まで俺がいたところを飲み込んだ――地面を転がり、俺はそのまま環状石柱に沿って心臓に鞭をくれる。
全速力で竜の無防備な側面に回り込む。
前庭の巨人、晩餐会の死人達。
どっちも扉のこちらまでは追って来なかった。まるでゲームのようだと、その時の俺は思った。たぶん、その印象は的を射ている。
ルシウは言っていた、この“封鎖区”は「いい加減な”世界観”で出来ている」と。ここの“世界観”の持ち主は、おそらくゲームから得たイメージで“世界”を構築している。モンスターは“敵キャラ”だから、エリアを跨ぐことはしないし、倒しても次から次に出現する。
そして、ドラゴンにも――……
行動に明確なパターンが、3回首を振ってから炎を吐く“癖”があるんだ。
しかも、ブレスを吐く間は、体の向きを変えない。
元の世界にいた頃、よく言われたな。「ゲームばっかり上手くなって、何の役に立つの」って。ここを生き延びるために、ちょっとは役に立ったよ、母さん。
ただ……現実がゲームと違うことがひとつあって、人間はいつまでも全速力で走り続けられない。マズい、さすがにそろそろ息が上がって……
突如、ふっと体が軽くなった。肺腑に新鮮な空気が染み渡り、心臓の鼓動が怖いくらい静かになる。何ぞ、これ? 話に聞くランナーズ・ハイというやつか?
「るああ。ユーマ、もういっちょ行くぞ!」
遠くからルシウの声がして、俺を熱い光が打つや、肩と腕の筋肉がバンと張るのを感じた。俺が切り込む気だと察して、強化魔法の援護だ。いいね、以心伝心、お兄ちゃんは嬉しいよ。
ルータ・ドラギオの眼が、ぎろりと俺を追う。
だが、その肺の中身が尽きるまで、お前が動かせるのは視線だけだ。
俺は、竜に迫る、迫る、迫る――
……って、何だよ、このバカデカいトカゲは。
近づけば理解る。作りモンだけど、生きている。
こんなモノが現実にいるなんて。そんなモノと戦っているなんて。ほんの数か月前までは、それこそゲームの“世界”の話だったのに。
「まったく、冗談みたいだぜ……」
そう言や、作られた“世界”である“封鎖区”って現実なんだろうか? カルーシアって……“異世界”って現実なんだっけ……?
ごちゃごちゃ考えている間に、俺は二本の足に運ばれ……
竜に迫る。前屈みでも、竜の頭の位置はまだまだ高い。
桜花を片手から両手持ちに切り替え、大上段に振り上げるや、跳ぶ。これ、部活中に仲間で編み出し、主将からケツに竹刀食らった“大冗談”の技だが――
「まったく、“冗談”じゃねーよなッ!」
桜花の刃が渾身の弧を描く。その刃、竜の鱗に弾かれるか、切り裂くか――……
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天羽緋緋色“荒神切”桜花――……俺の拙い剣の腕を補って、その刃はドラゴンの鱗を裂き、肉を切り、骨を断った。そのまま、後ろも見ずに走り抜ける。
……――どさり。
重いモノが落ちた音は、人の二の腕ほどもある、竜の指。命懸けで紅蓮の巨竜に特攻して、致命傷どころか、手傷とも言えない、たかが指一本。
されど、指一本。まずは、ひと太刀だ――
竜の首の下を潜って、前方の柱まで駆け抜け、そこでやっと振り返る。竜の足元に丸太のような指が横たわり、前脚からの熱い血溜まりが、石舞台にもうもうと湯気を上げる。俺の戦果だ。
息を吐き切った竜は頭を巡らせ俺を見るが、痛がっているやら、怒っているやら、さっぱり判らない。虚構から作られたドラゴンの心に、感情はあるのだろうか。一撃与えた達成感は大きいが、奴を倒すにはまだまだ遠い。
「……次は首を貰うぞ」
俺は桜花の峰を肩に担ぎ、肩越しに赤き竜を睨め上げた。
「指切りげんまん……ってな」
相手に理解らないのをいいことに、そう嘯いて、柱の陰に引っ込む。
剣を持つ手に震えが来た。大きく息を吸って吐き、己の頬をひとつ張る。
よし、桜花の刃は通用する。次は決定打を入れることだ。持久戦は分が悪い、時間を掛けるほど俺の首が締まる。やっぱり、何とかして転倒させ、頭をぐさりとやるのが現実的だと思うが……柱から様子を窺う。
ドラギオの姿が思ったより近くにあった。
その意味に気づき、身構えた瞬間、ドラギオの巨体が石柱にぶつかり、へし折った。くっ、そりゃそうだ。竜は火を吐くだけの固定式砲台じゃない。奴は第二次世界大戦ドイツ軍、VIII級の超重戦車だ。舐めて掛かると俺の方が針千本飲まされてしまう。
地面が揺れ、思わず膝をつく。
石柱の高さは竜の頭よりある。幸い倒壊する方向は逸れたが、支えられた巨石環が崩れ、ひと抱えはある塊が幾つも落ちてくる。
「やばい……」
膝を屈した姿勢、咄嗟に出来るのは、手の物で打ち払うことぐらい。
ただしその手の物、天羽緋緋色“荒神切”桜花――
夢中で振った刃は、あろうことか石の塊に音もなく入る。一刀両断――手には、こつん、と小石の当たった感触しかない。俺の左右に落ちた石材の断面は、まるで磨き上げた大理石だ。
「……マジか……」
刀に刃毀れはおろか、紋の曇りすらない。まさか石さえ切るか、東方七つ秘宝。
呆れ俺の周りに崩れ落ちる石柱、舞い上がる粉塵に包まれる。
その奪われた視界の中で、不意に、脇腹に衝撃を受けた。
やられた……永遠と思える一瞬、灼けるような痛みさえ感じた気がした。