21.セメテリ・エ・カステーロ~墓場の町と遠望の古城~
21.セメテリ・エ・カステーロ~墓場の町と遠望の古城~
古ぼけた手鏡を俺に手渡し、ルシウは行き止まりを指さした。
「鏡越しに、そこの張り紙してる辺りの壁を見てみな」
「おー……鏡、温かけー……」
「るああ! お前、もう、マジで最悪だな!」
鏡を頬につけると、またレバーを殴られたが、ミスリルの鎖衣が打撃を打ち消した。いいな、これ。
ジト目で睨まれて、俺は鏡を覗き込む。薄暗い路地、横手は古い民家の勝手口。奥の石積みの壁の、風雨で色褪せたもうやっていない芝居物の告知を映す……
「うん……?」
映ら……ない。鏡の“世界”には壁がなく、その先に下り坂が続いている。顔を上げると、鏡の外の壁も消えていて、別の“世界”への道が口を開けていた。
「るああ。“信じずの鏡”だ。本来はまやかしを見破るための魔法具だけど、アタシは隠し道の鍵に使っている。覗いた女が、それを自分の顔だと信じない、ってのが名前の由来だ」
真実を信じず、か。何て言うか、その、いろいろ深い話だよな。
ルシウが隠し道に足を進める。俺もゼ●ダの謎解き音を口ずさみながら後を追う、と、その下りの石段に足を踏み入れる寸前、少女は向き直り、両の手を俺に突き出した。
「どうした?」
俺が立ち止まると、ルシウはフードをぱさっとうなじに落とした。顔から、ここまで一緒に歩いて来た、打ち解けた表情が消えていた。
「るああ……ユーマあ」
「ここから先は、“封鎖区”だ」
赤銅色の頬を引き締め、白銀色の髪を風に遊ばせて、俺をじっと見つめる紅玉色の瞳。
「ここを越えたら、後戻りはできねー。逆に言うと、今なら間に合う」
ルシウは“世界”の檻を背に、俺を向き合う。
「るああ。もう一度、ここで、よく考えてくれ。“封鎖区”では何が起きるか判らねー。命の保証もねー。異世界監視人でさえもな。その上……」
「たぶん、人を殺させる。そんな仕事だ」
俺は監視人の向こう、隠し路の先に目を凝らしたが、暗い訳ではないのに、何故か様子を窺い知ることが出来なかった。まるで異世界の中の異界が、俺の認識がすることを拒んでいるかのように。
「うーぷす。なあ、ユーマあ。アタシはさ、お前がここまで来てくれただけで、もう結構嬉しーんだぜ? もしかすっとさあ、アタシ、ただ見送って欲しかっただけかもしんねーなあ。いひひ、ただの寂しんぼだなあ……」
そう言って、ルシウは真っ白な歯をにかっと光らせた。
「だから、やっぱここで帰ってもらおうか、なあ?」
確かに……
この仕事、この先に踏み込んでしまうと、俺自身が“世界観”を崩壊しかねない。それに“封鎖区”を放っておくとヤバいと言われても、“世界”が滅びるのと自分が死んでしまうの、主観で考えたら”同じ結末“なんだよなあ……
俺はしばし目を閉じて天を仰ぎ、中指と親指で眉間を揉むと――……
少女に向かって手を伸ばし、フードを被せて目元まで覆い隠してやった。
「うーぷすっ?!」
「お前さあ、自分がどんな顔してるか判ってんのかよ」
「るあ……」
ルシウは頭巾を上げようと慌てたが、俺の言葉を聞いて、両手でスカートの膝をぎゅっと掴むと、鼻を啜った。
確かに、俺の“世界観”には、これは全く大事過ぎる。俺の“世界観”なんて、精々格好つけて、困ってる奴を見過ごせないってくらいの、安っぽいヒロイズムだ。
だから今、この少女を独りで行かせてしまったとしたら――
俺は二度と、俺の““世界観”に顔向けできない。
腰を軽く揺する。すっかり軽い剣帯に、まだちょっと慣れていない。
「つまんねーこと言ってないで、行くぞ?」
「うーぷす。本当にいいのか?」
「何を今更」
俺はルシウの肩をぽんと叩くと――
「可愛いルシウちゃんに泣かれちゃったら、お兄ちゃん、何だって言うこと聞いちゃうよー?」
黙っていても“同じ結末”が来ちまうなら、こっちからぶっ壊しにいく方がいいに決まってる。俺は――……“封鎖区”に足を踏み入れた。
「るああ……」
背後でもう一度、大きく鼻を啜り上げる音がしたかと思うと、ルシウがとーんと石段を三段跳び越えて、再び俺の前に出た。
「うーぷす。お前、やっぱチョロ過ぎだぞー。酒場で言ってやったはずだぜー、悪い女に騙されねーよーに気をつけろってよー」
少女は俺を追い越し様に、そう毒づいていったが――……
どんな顔をしていたかは、残念ながら見逃した。
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その一歩で、”世界”が変わったと肌で感じた。
ふっ……と日が翳ったようだった。
感覚としてはそれだけのことなんだが、何なんだろう、本能に訴え掛ける違和感がある。例の怪談の決まり文句、「やだなー怖いなー」は、たぶんこういう感じのことなんだと思う。
「うーぷす。それが“世界観”ってやつさ」
それとなく、気づかせないほど僅かに、“世界”の目盛りを“不快”の方へ回されたような。
「なるほど、性格の悪そうな“世界か……んなっ?!」
「ユーマあ!」
石段の途中で何かを踏みつけ、ずるりと足が滑った。咄嗟にルシウが腕を掴んでくれたのだが――
……支え切れない。
引っ張られて落ちたルシウを、胸に抱き込んで尻もちをつく。幸いにも四段ばかり尻で滑落しただけで、二人の体は止まった。
「ふーい……しんぞーバクバク……」
「うーぷす。参った。ユーマあ、助けるつもりが助けられちまった」
ルシウが己の両手をまじまじと見つめた。
「なーふ……ここまで弱まっちまうのか……」
「そうか、“権限”が切れたのか……」
管理外の“世界”の異世界監視人は、“封鎖区”に入ってしっかり“権限”を失い、腕力も見た目相応しかなくなったようだ。
「少し慣れるまで、注意しねーとな」
俺は膝の上のルシウの頭巾を撫で、ふと、自分の踏んづけたモノを確かめた。
「……こいつはタチの悪そーな“世界観”だわ……」
自分の靴跡のついた、ずぐずぐに腐った動物の死骸に、さすがに顔が引き攣った。
いきなりセラド・オルトの洗礼を浴びた感があるが、とにかく気を取り直し、幼女を立たせてスカートの埃を払う。街並みは王都と変わらないが、理解る、ここはもう別の“世界”だ。
「それで、監視人さん、“核”ってのはどうやって探す?」
人、物か、“封鎖区”を破壊する要となるもの――“核”。それさえ壊せば“封鎖区”も壊れるとルシウは言うが、当て所もなく世界中を探すとなると、かなり骨が折れそうだぞ。ところが、
「るああ。探さなくても良さそーだぜ……見な」
そう言って異世界監視人が、音高く手を打つと――
ぐにゃりと、“世界”が変容した。
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二人が立っているのは、街を高台から見下ろす石段の半ばだった。
王都ではない見知らぬ街並み。薄暗く、吸血鬼でも出そうなゴシックでホラーな雰囲気、街が丸ごと外国人墓地であるかのような、クリスマスな悪夢の映画を思わせる。人の営みは全く感じられない。
「これは……!」
「なーふ。ユーマあ、ここが王都みてーに見えてたかい? なら“世界観”を引きずってたんだ。これが“封鎖区”の本当の姿、そいで……あれが見えるか?」
眼下の街は、今いる高台を起点に扇状をしている。石段を下りきるとそのまま、中央の大通りに出られるようだ。
ルシウの指差す先に遠く、灰色の空を背に浮かび上がるは、如何にもな、絵に描いたような、あからさまな、これが魔王の城でなくて何だと言わんばかりの、おどろおどろしい古城の影だった。
割と近い、そう思った。
あれなら小一時間ほどで行けてしまいそうだ。せめて途中に迷いの森的なの挟めよ。完全一本道じゃねーか。遠望する城がまた、崖に突き出た地形の先端にあるのも、ありがちでげんなりする。
「ルシウ……やっぱ、あそこか……?」
「るああ。たぶんな。この“封鎖区”、”世界観”は貧困だし、規模も小さい。この街とあの城しかねーし、あの崖がこの“世界”の果てっぽい。一人の人間の、それもかなり拙いイメージを拠り所にして“在”る“世界”のようだなー」
「だったら、まあ、“そいつ”さえ見つけて切ればいい……ってことか」
俺が桜花の柄に手をやると、ルシウは幼い横顔を難しくした。
「るああ。どんな姿でいるか――人の姿か、それとも魔物と化しているか、何か品物になって自らを隠してるかもしれない――それは判らねーが、ともあれ見つけ出して壊してしまえば、セラド”は存在を保つことができなくなる」
「ただし、”世界”として“在”ろうという執着は、相当強えぞ。油断は禁物だからな、ユーマあ」
幾分わざとらしい演出のように、陰鬱に沈む街から吹き上げる風が、竜の頭巾と少女の外套をはためかせた。言われるまでもない。
こんなところに来て油断できるほど、俺の肝は据わってはいない。
“封鎖区”の街にも住人はいた。或いは襲ってくるかと思ったが、その様子はなかった。活気はなく、話し声もなく、ただただ生きた影のように歩き回っている。その内、俺はそいつらの動きに、全く目的というものが感じられないことに気づいた。これじゃあまるで、ぜんまい仕掛けの人形だ。
ぞっとしたのは俺の前を通り過ぎた男が、こちらに顔を向けた時だ。そいつは俺を見た、しかし見ていない。ガラス玉のような目が、ただこちらの方を向いているだけだった。
「なーふ。あんまり見るな」
ルシウが肘で脇腹を突いた。
「ただの舞台装置くらいに思っとけ。あの手のモノは、深く見ると心を削られる」
俺はそいつから目を逸らした。そいつはしばらく無表情に俺――を透過したどこか彼方を見つめていたが、やがてまた物も言わず歩き出し、村人Aの役に戻った。
俺は思う。ドロドログチャグチャな怪物より、ほんの少しヒトニタリナイモノ、そういうのが、たぶん一番怖い。
追われるような気分で人形達から逃げ出し、町を抜けて、俺達は遥かに見える尖塔を目指して歩き出した――……
~“封鎖区~監視人の依頼~”・完、次章へ続く~