19.ペンデオ・エ・ビコローチェ~坂道、路地裏、袋小路~
王都の目抜き通りを挟んだ西側――王都の3分の1ほどの区域を、カルーシアっ子は旧市街、もしくは古都と言い慣わす。近世になって発展した新市街に対し、建都当時からの古い町だ。
“旧”だ“古”だと言っても、そこにあるのは由緒を誇る貴族の邸宅、情緒と活気を併せ持つ町家や市場。古都にある旧聖堂は後の時代に新市街に建てられた大聖堂と比べるとやや小さいが、こちらの方が趣きがあって良いという人もある。旧市街はただ古いのではない。歴史を積み重ね、成熟していると評するのが正しい。
さて、そんな旧市街の歩き方だが、まず気がつくのが、町全体がひどく入り組んだ構造をしていることだろう。
計画に基づいた新市街の区画と対照的に、往時は町に暮らしがあり、暮らしが町を育んだ。行き当たりばったりな成り立ちだ、とも言える。
上り坂下り坂、細道小道、袋小路に高架の交差、上って下って、行ったり来たりの、通りゃんせ……そこに住まない者には、ちょっとした迷い道に思えるかもしれない。いや、もしかすると住人さえ知らない道、気づかない角、秘密の場所なんかが、あったりするんじゃなかろうか。
それとも隠された、“封鎖された区画”が……
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石段を下りながら、腰を揺する、剣帯の据わりを正す。
「なー、ルシウぅ。ここ、さっきも通ってないか?」
かくいう俺も、今いるアカメリ区に土地勘はない。案内人の監視人のフードのてっぺんを見下ろしながら、似たような小道や路地を曲がったり折れたりしてると、だんだん同じところをぐるぐる回っているような錯覚に陥ってくる。
「るああ。通ったぜ」
「通ってんのかよ」
ルシウが面倒くさそうに振り返った。
「なーふ。言ったろ、“封鎖区”は魔術的に隔離してるって。決まった道順踏まねーと近づけねーよーになってんだよ。さっき通ったところと、今の歩いてるここは、同じ場所だが違う場所だ」
「なるほど、正しいルートじゃないと行けないのか。まるでゲームみたいだ」
こんな場合だが、ちょっとわくわくしてきた。
ルシウはにっと笑うと、道を折れる。
後に続くと、袋小路だった。
「何も知らない奴に迷い込まれでもすると、厄介だからな。そこの行き止まりに見える壁も、実は通り抜けられるようになっている」
「おお。映画で見たことあるぞ、それ」
間近で見ても、どうしたって古びた煉瓦の壁だ。両手で触っても、質感がある。しかし、頭からそうっと壁に突っ込むと……かん。俺の鉄帽子が音を立てる。
「るああ。ウソだよ」
「てめえ、ぶん殴るぞ」
振り返ると、幼女は角を曲がって逃げ去るところだった。
しかし俺は知っている。ルシウの瞳の大きな赤い目に、不安の陰を差していることを。そして同じものは、俺の胸にも重圧となって存在している――……
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“封鎖区”では力のほとんどを失ってしまう、ルシウはそう言った。
“世界”の理を管理する絶対的な“権限”も、通用するのは“こちら側”だけでの話。管轄外の“世界”に持ち出すことはできない。
「なーふ。まあ、多少の魔法くれーは使えるけどさ。前にお前を投げ飛ばした腕力も、あっちじゃ出せねーの」
ルシウは「いひひ」と笑うが……
「“封鎖区”でのアタシは、精々がか弱い魔法使いってとこさ」
判っている、強がりだ。そんなの傭兵が丸腰で戦場に出るようなものだ、怖くないはずがあるか。
その上、ルシウには“できないこと”がある。
即ち、それは俺が“やらなけりゃならないこと”だ。
ルシウには――……異世界監視人には人間を殺すことができない。
「うーぷす。アタシ達監視人は、人の生き死には干渉できねー。“しない”じゃなくて“出来ない”んだ。こればっかりは例外のねえ、監視人の大原則だよ。だから、るああ……言い辛えけど」
「最後はお前に手を汚してもらう……ことになると思う」
もしかすると人殺しになるかもしんない――無事にことが運んだとして、最後にはそれが待っている。君は刃を握らせて、人を殺せと教へしや、か。少女の血の色をした瞳が、瞬きもせず俺を見つめる。
「それでも、やってくれるか?」
俺は腰を揺すって、下げた得物の具合を確かめた。そう言えば、この宝石みたいな瞳をもう一度見たくて、ルシウを探してたんだっけな。俺は深く考えることなく、
「ああ、やろう」
口から答えを放り出していた。
そして俺は、これからこのまま“封鎖区”に向かうことを提案した。自分に考え直す時間を与えたくなかったからだ。ルシウも少し驚いたようだったが、
「うーぷす……そーだな。善は急げというもんな」
自分に言い聞かせるように呟き、黒頭巾を纏い、しっかりと襟を合わせた。俺も鉄帽子の鍔を抓んで被り直す。
そして二人は異世界管理局を後にして――……
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……――まずは腹拵えに、コンツラート通りを冷やかした。
腹が減っては戦はできぬ、露店で鮭に似た魚の燻製を挟んだパンを買い、ぱくつきながら旧市街を目指す。包みの蝋紙から垂れた脂に塗れた指を、大聖堂前の広場の噴水で洗いがてら、ひと休み。
今日は陽気がいい。暑くなりそうだ。ちょうど来ていたワゴンの出店で、よく冷えた紅茶を求め、ルシウに手渡す。
「うーぷす。ありがと、幾らだった?」
「いいさ、コーヒーのお返しだ」
二人で噴水の縁に腰掛ける。細かな飛沫が降り掛かるが不快ではない。噴水の底には銅貨や硬貨に混じり、時々銀貨がきらりとウインクを寄越す。
太った齧歯類が足元に寄って来て、カテットの包み紙の匂いを嗅ぎ、脂で顔にひっつけてぐるぐる回り始めた。国教会のシンボルになっている動物だけに、大聖堂周りに棲む奴は人に慣れて図々しく、あまり逃げない。
うーん……これってデートじゃね?
これは傍目には異世界監視人と傭兵、冒険者のパーティには見えるまい。どうしたってお兄ちゃんと妹のティー・パーティーだろう。“禁断の地”へ赴く緊張感が、良くも悪くも抜けてくる。
「そう言えばさ、この世界本来の”世界観”って、結局どんな感じなんだ? 魔法があるのかないのか、いまいちはっきりしない」
「なーふ。そりゃあ、人それぞれだよ。人が百人いりゃあ、百の“世界観”があるんだから」
ルシウは地面に着かない足をぶらぶら、麦わらのストローで紅茶をぶくぶく。
「今ざっとこの広場見渡しただけでも、“魔法とドラゴン”とか“妖精と喋る動物”とか、幾つも“世界観”があるぜー」
「や……見たことないんだけど、ドラゴンも妖精も……冷た!」
ルシウがコップからストローを上げ、冷水の吹き矢を飛ばした。
「なーふ。そりゃあ、お前のカルーシアにいねーからさ」
「“封鎖区”になるよーな特異なやつでもなけりゃ、ひとつの“世界”にいろんな”世界観”が同時に存在するのは、別におかしなことじゃない」
もう既に理解は追いついてないが、
「それで矛盾は起きないのか」
「起きねーな。考えてみな、お前の世界でさ、テレビで遠い国の戦争のニュースをやってたとして、その戦争、本当にやってるって、お前に断言できるかい?」
そりゃあ断言でき……え、“る”? “ない”のか?
「逆に、隣に住んでるオジサンが、会社でどんな仕事してるか知らねーだろ? モンスター狩ってるかもしれねーぞ」
「隣のおっちゃん、事務系……」
「なーふ。魔法職かもしれねーだろ。要は、”世界観”ってのはいわば他人の人生、意外と自分にゃ関係ねーものなのさ」
もう、たかが人間ごときには計り知れないな。
「ま、そこに生じる多少の矛盾くらいは、“世界”が微修正してくれんだ」
「……“世界”ってのは案外いい加減に出来てんだなあ」
「ばーか。精密に出来てるから、齟齬なく回ってんだよ」
ルシウに“下から見下ろす”ような目で小バカにされ、俺は返す言葉を冷たい紅茶で飲み込んだ……うん、冷たい……?
近世レベルの時代背景のカルーシアで、“氷入り”の飲み物……?
屋台車へ目を向けると、売り子のお姉さんがにこっと笑って手を振った……うん、深く追求するのはヤメよう。
もう、たかが人間ごときには計り知れないから……