18.セラド・エ・イマジカ~『封鎖区』と『世界観』~
“封鎖区”――……?
上を向いたルシウの褐色の頬を、淡銀色の髪がさらさらと流れた。少女の横顔は幼く、赤い瞳は反射光で紫に染まり、口にする言葉はどこか音楽的で、見惚れている俺の心に沁み込んでくる――……
「るああ。”世界”ってのは休みなく変わるもんだ。ある部分は成長する。ある部分が衰え滅びもする。それは場所に、自然に、現象にも、人にだって、あらゆるものについて言えることさ。まるで、ひとつのオルトがいっこの生き物であるかのよーにな」
「だけど稀に、異質なモノが生まれることがある」
「それは、”世界”とは調和できねーものだ。異質過ぎて“世界”の一部にはなれねーで、周りを押し退けて、自分の場所を作ろうとする。それは”世界”の内っ側に、“別の異世界”が生じるようなもんさ」
「なーふ。そして内側にできちまったオルトは、外側の“世界”にいい影響は与えねえ。じくじく根っこを腐らせるか、構造を歪めちまうか。るああ。”世界”にとっちゃ、タチの悪ィ病気みてーなもんなんだ」
「だからアタシ達は“異質の異世界”を空間的、時間的にガッチガチに隔離する。この“世界”に存在はしているけど、誰にも行けねー場所なのさ」
「それをアタシ達は“封鎖区”と呼んでいる。そこにあるのは“世界”の檻で……」
「底にあるのは“世界”の澱さ――……」
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……――俺はいつしか、催眠術に掛かったように前後に体を揺らして、ルシウの言葉に耳を傾けていた。
気づけば腕を取られ、少女の方へ大きく体を傾けている。そして幼女は爪先立って、俺の耳を唇であむっと挟んでいた。
「……って、うわあっ?! 何してますの?!」
「るああ。こーするとハナシの伝わりがいいんだよ」
ルシウが顔を離し、唇に人差し指を当てて笑う。
「脳に直接イメージが焼き付くのかなあ?」
「さらっと怖えこと言うなよ」
俺は耳を指で引っ張りながら顔を顰めたが、触ったら判る。
これ、めちゃくちゃ赤くなってる奴だ、両耳とも。
ルシウも判ってるな。知らんふりしてるけど、目ぇ笑ってるし。
「るあっ?」
「クソめ……まあいい。その、“封鎖区”か? ヤバそうなのは何となく理解ったけど、俺に何をしろと?まさかカメラが壊れたから――」
俺は壁の映らないモニターを見上げた。
「配線繋いで来い、ってんじゃねーんだろ?」
ルシウも同じ黒い画面を見上げて、きゅっと目を瞑り――
再び開いた赤い目は、もう笑みを湛えてはいない。斜めに俺に向けられた視線に、瞳の赤と青の光が混ざり合う。
「るああ。実はなー、これ旧市街なんだよ、映ってんのは」
「ヴェ……って、お前、王都のか……?」
旧市街はカルーシア建都からの地区、新市街は近年になって……いや、そんなことより、その不発弾みたいのが、この王都にもあるって?
「それは、ヤバくないのか?」
「なーふ。もちろん魔術的に隔離してあるから、誰にも行けねー、見えねー、存在を感じることもできねーよーになってはいる」
「ヤバくないのか」
「いや、実はそーでもねーんだ」
「ヤバいのか」
ルシウは小さな手をきゅっと丸め、猫のように頬を擦った。
「うーぷす。普通の“封鎖区”だったら、管理局の管理下に置けば、まあ、とりあえず大丈夫なんだけどさー」
「そのセラドは、“破局の因子”がある”世界”なんだ」
ハキョクの、インシ……?
意味は何となく察するが、不穏な響きを恐れるべきか、中二病的な香りを突っ込むべきか。監視人の顔を見る限り、真面目な話のようだ。
「るああ。”世界”ってのー、それぞれにそれぞれの“様式”っての? 在り方っていうかさ……そうだな、お前には“世界観”って言った方が伝わるかもしれねーな」
“世界観”。
異世監視人曰く、”世界”は”世界観”で出来ている。
或いは、魔法とドラゴンの存在する”世界観”――……
或いは、奇怪な機械文明の発達した、”世界観”――……
或いは、夢物語と幻想に彩られた”世界観”――……
或いは、歴史と戦争の織り成す”世界観”――……
“世界”はそれぞれ”世界観”を持ち、”世界観”が”世界”を構成している。
「なーふ。“破局の因子”ってのは、その“世界”そのものを滅ぼしちまう属性の“世界観”のことだ。魔王だ災害だ古代兵器の暴走だ、何だっていいけど、あるだろ? そいつを何とかしなきゃ世界滅亡ENDになっちまう、“そーゆーの”が。旧市街の“封鎖区”はその手の“世界観”を持った“世界”なのさ」
“滅びの世界観”――“破局の因子”の行き着く先に“世界”そのものの消失がある以上――……
「なーふ。勝手にブッ飛んじまう分には、却って手間が省けるんだけどさあ。と、アタシ達だって“世界”ひとつ完全に抑え込める訳じゃない、隔離したっつっても、100パー安全とはいかねーからさ。何かの拍子に“封鎖区”の“世界観”が外に漏れてきちまうことだって、ねーとは限らない」
……――“封鎖区”が“世界”と共存することはできない。
「その状態で、ガソリンに火が点きゃあ……」
ルシウは握った拳を俺に突き出すと、「ぼんっ」と言いながら、掌を上に向けて咲かせるようにぱっと開いた。
「そこでアタシ達は、当該“封鎖区”を完全に“廃棄”しちまうことに決めた。前置きが長くなったけど、お前に頼みてーことってのはそれなんだ」
「ユーマあ。”世界”をいっこ破壊するから手伝ってくれ」
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ルシウちゃん、本日一番の笑顔で、両手を胸の前できゅうと組んだ。
「……大きく出たなあ」
俺は嘆息した。幼女の依頼が異世界でインフレ過ぎる。ルシウちゃんが笑顔を固定している。さて、何から正したものか。
「なあ、異世界監視人。それって、人間にどーこーできるレベルの話じゃないだろう、もはや」
それこそ魔王か古代兵器、或いは中●隆聖辺りを使うべきだ。
「るああ。破壊っつっても、丸ごとドカンとやる訳じゃねえ。その“世界”の“核”というか、要になる部分をピンポイントで崩すんだ。コツさえ知ってりゃ、そこまでの力は要らねーんだ」
固いビンの蓋の開け方かよ。
「ユーマとアタシの二人なら、やれるはずだ」
「急に、そんな“長い冒険を共にしてきた”感を醸されても困る」
いや、そもそもの話よ。
「お前の、エルーカだっけ? それ使えば一発で済むんじゃないの? 要らないだろう、俺の剣なんか」
監視人の“権限”は、この“世界”の理をも支配する、究極の魔法であることはさっき実演済み。謂わばお前が大魔王だろ。今更傭兵の手が必要とは思えないんだが。
俺の指摘に、ちょっと唇を尖らせたルシウは、俺をからかう小悪魔幼女でも、異世界監視人でもなく、
「なーふ。それが済まねーから頼んでんだよ、ユーマあ」
赤い瞳を少し伏せた、ただの頼りなげな少女に見えた。
その口元、表情に見覚えがある……
そうだった。この依頼を持ってきた頭巾の陰に、この口元と伏せた目を見たから、俺は、今日異世界管理局に来たんだ。ルシウは銀色の髪に指を突っ込み、後ろ頭をわしわしを掻き回した。
「るああ。実はセラドには二つ厄介な点があってな……」
幼女がびしっと俺に二本指を突き付けた。
「まず、”世界観”は人の心が“核”になって生まれるもの。“封鎖区”を破壊するのに壊さなくちゃならねー要の部分っつうのは、たいていの場合……」
「……人間なんだよ」
“人間”を“壊す”……それって、つまり……
「第二に……これがお前に手を借りてぇ一番の理由なんだが、アタシは“封鎖区”では“権限”が一切使えねぇくなる」
ルシウは空中で抓むような仕草をすると、三叉の捩じれたフォークを取り出した。少女がそいつをひと振りすると、今度はすっぽ抜けず、スプーンに戻った。
「“封鎖区”はアタシが受け持っているカルーシアとは“別の世界”だ。要するに、アタシには“封鎖区”を管理する“権限”がない」
異世界監視人の“権限”は“封鎖区”では失われてしまう。
「るああ。そこではアタシは、歳相応の可愛い女の子でしかねーんだよ」
Oops。ルシウははっきりと、自分を“可愛い女の子”と言い切った。