17.カフエス・エ・フィーユ~珈琲の黒と真っ黒幼女~
途端、俺はやたら優雅な雰囲気の応接室にいた。
アンティーク調というかヨーロピアンクラシックというのか、柔らかな照明が降り、壁には暖炉まで設えてある。いままでいたモニター部屋より明らかに広い。ともかく、身を鎧った傭兵は実に場違いである。これは……俺達が“移動”したのか、それとも空間を“入れ替えた”のか……?
いずれにせよ、“魔法”だ。この幼女、あっさり使ってくれやがったが、この異世界には”魔法“がある……てことは、やっぱりドラゴンもいるんだろうか?
「るああ。まあ、折角だから茶でも淹れよう。座りなよ」
椅子を勧められたが、これまた優美かつ上等そうで、武骨ないでたちが傷をつけまいかと冷や冷やする。
背凭れに身を預けないよう気を遣っていると、テーブルにカップが置かれた。強い芳香が鼻をくすぐった。
おっ、こいつは……コーヒーじゃないか!
王都では紅茶はピンキリで流通しているが、異国品の珈琲はあまり出回らず、そして高価だ。転移してから飲んでないから、これは素直に嬉しい。
「こっちじゃなかなか口にしねーだろ?」
ルシウがにこっと笑った。こうしてると、フツーに可愛いのにな……
「るああ。そう言やさ、コピ・ルアクって知ってる? ジャコウネコのフンから採れるコーヒー豆」
「聞いたことあるな。高級品なんだっけ」
「そうそう。えーとな、ある男がコピ・ルアクを何回もジャコウネコに食わせると、もっと高級なコーヒーになるんじゃねーかと考えたんだよ。それで出てきた豆をまた食わせるんだけど、三回目に食わせたところでジャコウネコが死んじまうんだ。で、ネコの腹を裂いてみるんだけど、うーぷす、そこにはフンしか詰まっていませんでした、と」
「何の話だよ?」
「別に。何となく思いついただけ」
カップに口をつける。ああ、旨いな。
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さて、幼女のお茶とお菓子のおもてなし、という絵本的なこのひと時、もったいないけどそう楽しんでもいられない。
今の瞬間移動で、俺は”何を“依頼されるのかより、”どうして“依頼をするのかに疑問が変わった。
「なあ、ルシウ。お前やっぱり魔法を使うよな? それと、思い出したんだが腕っぷしも俺より強い。前は投げ飛ばされた上、部屋から放り出されたんだからな」
「うーぷす。そーだっけ」
幼女が悪戯っ子のような顔で笑う。
「とぼけんな。その、異世界監視人か? そいつがどれほどの力を持つかは知らないが、ただの人間に、何を頼みたいことがあるんだよ?」
結んで開いてで空間を転装することができる魔女っ子が、たかがちっと名の売れた傭兵風情に?
ルシウはカップの把手じゃないところを、両手で挟み、ふうふうと息を吹き込んでから、珈琲をひと口。にっこり可愛い笑顔を浮かべた。
「るああ……その“頼みたいこと”なんだけどさあ」
「もしかすると、人殺し……になるかもしんない」
人殺しになるかも、と来たよ、この真っ黒幼女は。俺は珈琲を啜る。ええと、悪魔のように黒くて、地獄のように熱くて、天使のように純粋で……byタレーランだったっけ。
可愛い顔して笑いやがって。にっこり(暗黒微笑)だよ。
俺は仕事で人を切った経験はあっても、命を取ったことはまだない。そもそも傭兵のシノギは護衛や捕り物が大半で、本気で人間と殺し合うのは、非正規軍に入って金で戦争に行く奴ぐらいだ。
とは言え、人が死ぬところ自体は、もう何度か見てはいる。慣れたとは言わないし、慣れることはないだろうが、高校生が初めて死を目にした時の衝撃……前の世界の常識は、さすがに昨日に置いてきた――が。
(……人殺しに、なるかもしれない……)
まだ何も聞いていない。事情も、理由も、目的も。だが、その全てを納得したとして、俺に、人を殺す覚悟ができるんだろうか。
異世界監視人は俺の顔をしばらく見つめていたが、カップを置くと、スプーンを取り、ぱくっと口に含んだ。
「るああ。確かにこの“世界”では、アタシはたいていのことを思うままにできる」
唇から引き出されたとき、それはフォークに変わっていて――
「アタシには、”世界”そのものに対して、監視と管理の“権限”があるからな」
更に見えない指が、三叉の先端を、別々の方向へ捻じ曲げていく――
「アタシの“権限”はこのオルトの“現象”を、ほぼほぼ完全に支配できる。言っちまえば万能の魔法、究極のイカサマさ。だけど……」
「るああ。監視人はこの“世界”の出来事にも、人間にも、基本干渉はしない」
「例えば、ユーマ、アタシは今お前に好意を持っている。勘違いすんなよ、ラブって意味じゃねーぞ。けど、お前が死んだらたぶん悲しーと思う。それでも、アタシはお前が死ぬのをここで見ていたとしても、助けることはしねーんだ」
ルシウが俺を見て、少し寂しそうに笑う。や、ちょっと待って。何か俺の死亡フラグを立てないで。
「それが“権限”より強え“世界の法理”なのさ」
ルシウはそう言って片目を瞑ると、
「アタシが干渉するのは、オルトそのものに不具合が出そーな場合だけだ。時間の乱れ、構造の歪み、“世界”の運行にトラブルが起きないように監視し、微調整を加えるオシゴトなのさ」
渦巻きフォークを指揮棒のように振りながら言った。
「なーふ。ま、早い話が審判役だ。ゲーム自体にゃ手は出さなねーが、違反や反則があったら笛を吹く。要するに――……るあっ」
ちゃりーん。振り回したフォークがすっぽ抜け、床を滑ってった。
「思うままになってねーじゃん」
俺がそう言うと、ルシウは磨いた銅色の頬を膨らませた。
オルト・クストーデさん、ちょいむくれで話を続ける。
「なーふ。まあ、けれど、そんなアタシにも儘ならぬものがあってな」
「フォークか?」
「るああ!」
「痛い痛い、ちょ、ゴメン、痛いって」
幼女の柔らかい拳でぽかぽか叩かれた。何だこれ、ご褒美じゃん。
と、ルシウが両手をぎゅっぎゅっと開いて結んで――
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俺は再びモニターの並ぶ、無機質な管理局にいた。
「なーふ。遊んでる場合じゃねーんだっての」
「あ、俺のコーヒー……」
ルシウはカップを手に取っていたが、部屋の転換で、俺のはテーブルごと消えてしまった。
ジト目で俺を睨みつつ、ルシウは空中から新しいのを取り出してくれる。
「……紙コップだ……」
「なーふ。贅沢言うな」
俺は差し出された飲み物を啜り、無意識に紙コップの縁を噛みながら、壁のモニターを眺める。
王都大聖堂前の広場……こっちは港の方だな……妙に薄暗い町並みだな、ここも王都か?……街道……森林、草原……雪、これは随分と北の方らしい……刻々と切り替わり、世界中の“どこか”が映し出される中に――
「うん?」
ひとつ、何も映っていないモニターがあった。
右側の壁の、上の端の方。いずれも異国情緒溢れる風景が並ぶ中、ぽっかりと空いた黒い画面は否応なく目を引く。
「壊れているのか?」
一歩近づいて背伸びしてみると、画面にザザッとノイズが走った。
どうやら電源(?)が入っていないのではなく、映像が映っていないだけのようだ。ルシウが俺の隣に立って、同じ画面を見上げ、ある言葉を口にした。
初めて耳にした単語は、何だか不吉な響きだと感じた。
俺はこの先幾度となく、自分の直感の正しさを思い知ることになる――……
「るああ。あれは“封鎖区”だ」
「ユーマ、あれが、お前に頼みてぇ仕事なんだよ」