16.レインガウ・エ・ポルト~馴染みの林檎と再訪の扉~
柱の後ろで息を潜め、神経を研ぎ澄ます。
敵の気配を探る……いや、奴らに気配はない、音で計れ――……
右側が多い。息を吸って、吐き、抜刀。
覚悟を決めて柱の陰から躍り出て、掴み掛かる腕を、切る――
「うええ、気持ち悪いィ」
すぱりと断ち落としたのは、俺の技量か、得物の切れ味か、それとも相手の朽ちた肉体のせいか。“墓場の骨食いお化け”――いわゆる屍食鬼達は体の部分を失っても意に介さない。
刃を返して胴を切り払い、石造りの古城、荒れ果てた廃墟の晩餐の間を勢い任せに駆け抜ける。ちょっとした廊下の幅はある、むやみに立派なテーブルの向こうに、大扉が見える。どうにか確保したいところだが……
あいにくお客様達はお腹が空いていて、ディナーのメインディッシュに“俺達”をご所望だ。
見てくれはゾンビ、つまり形は人間な訳だから、正直、切って気持ちのいいものじゃない。頭数はざっと見て15足らず。ぼろぼろの正装しているのが物悲しい。そして戦うに当たり、何より閉口するのが――
匂いだ。人間の腐った匂い、これには心が折れそうになる。
「るああ!援護するぞ、ユーマあ!」
柱の陰から火炎が床を走った。俺の利き手の反対側で、数体の動く死人が火に呑まれる。死体BBQのでき上がりだ。
「って、臭えッ! マジかクソ、臭ッ!」
思わず左の革手袋で鼻と口を覆ったが、これは臭いってもんじゃない。
ゲロ以下の匂いがプンプンしやがる。
振り返ると、柱の陰から覗いていたルシウがびくっと飛び上がった。たぶん、俺が相当すごい顔をしていたんだろう。
「何で燃やすんだよ! ちったあ考えろ、ポンコツ!」
「るあっ?! せ、折角アタシがフォローしてやろーと……」
「余計なことしないで、そこでお兄ちゃんの活躍を見なさいよ……ッと!」
頑丈であってくれ願いつつ、俺は長いテーブルに跳び上がり、
「とっ……とととっ……」
腐った食い物の乗った食器を蹴散らかして疾走する。まあ、こんなに不味そうな料理が並んでは、俺達を食いたい気持ちが理解らないではない。
もちろん、お皿に乗ってやる気はないけれど。
「せあああああッッ!」
気合を吐いて刃を右斜め下段に払い、足元に群がったグール3体ばかりの首を刈り取る。残り、七つかそこらだ。
テーブルの端をスライディングで滑り降り、王様席の裏に背を預ける。
「はあ、はあ……何で俺、こんなとこにいんのかなあ……?」
後悔先に立たず、後の祭り、覆水不返。高校受験の時に覚えたことわざが頭を去来する中、“死体BBQ”ってよく考えたら牛肉も魚介も、食材って動物の死体であることに変わりはないな、とか、現実逃避を始めた俺がいる。
「はあ……やっぱやめとけば良かったかなあ……」
思い起こせば、時を遡ること、今日の正午過ぎの――……
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……――王都カルーシア新市街、コンツラート通り。
王都最大の市の立つ目抜き通りの両側に、露店の天幕がはためいている。肉に野菜に日用品、屋台料理、武具や骨董品を扱う店が軒を連ね、客の方も、威勢のいいおばさんから目つきの鋭い連中までが売り子と掛け合いをしていて、目にも耳にも活気に溢れた光景だ。
「さて、今日も王都は全てこともなし。いい風が吹く……か」
だが今日の俺は、買い物に来た訳じゃなかった。歩きながら軽く腰を揺らし、剣帯の位置を直す。行先は、カルーシア地区異世界管理局出張所。
酒場で異世界監視人と再会してから、俺は昨日と一昨日でギルドの仕事に区切りをつけ、身の回りを軽く整理して、そして誰にも告げずにここに来た。
この異世界に転移してきてからの家族も同然である、アーシャや、クリストフ老人にも、だ。
覚悟を決めた……ではないけれど、ルシウの話を聞いた限り、万が一ということはあるだろう。その時は、流れ者がふらりと消えるだけ。珍しいことじゃないと思って忘れてくれるだろうか。
樽に山盛りになった果物を、ひとつ取って銅貨を指で弾く。
「おっちゃん、レインガゥひとつ貰うよ」
「お、兄さん、毎度ゥ。こっちの発音覚えたようだねェ」
髭面の店主がにかっと笑った。さすが客商売だな、顔を覚えられると嬉しいものだ。赤い果実、元の世界でいうとこの林檎にかぶりつく。幸運の女神が微笑んで、今回はひとつ目で口に入った。
俺は以前この店でこの果物を買い、うっかり取り落として、転がっていくのを追いかけて路地裏に足を踏み入れたのだった。
そう、そこの曲がり角から――……
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通りを折れると人っ子一人いなかった。
前の時はここで、異世界転移直後にひと悶着あったゴロツキ三人組と、したくもない再会を果たした。何となく、またいるかなと思ったが、さすがに二度ある事も三度目はなかった。
裏通りはひっそりしていた。市場の騒めきが遠くから運ばれてくるのが、余計に静けさを際立てる。
俺は一軒の空き家の、前に立った。忘れもしない。この扉のことは。
あの日この扉を開いていなければ、俺はカルーシアの舞台裏を垣間見ることはなく、世界を監視する存在にも会わず、今再びここに立っていない。
あの出来事は偶然だったのだろうか。クストーデは、転移者は“運とトラブルの数値が”異常”だとか零していた。異世界転移の経験者はみんなトラブル体質なのか、それともトラブル体質だから異世界転移なんか経験するのか。
そして今度この扉を開けば、おそらく二度と“こちら側”には戻れない。開かなければ二度と“向こう側”を覗けない。俺は――……
……――扉に、手を掛けた。
がちゃり、隣の家の扉が開いた。
「るああ。来てくれたんだな、ユーマあ」
いつもの黒頭巾姿のルシウが顔を出した。あれ……あれれ?
「どした? こっちだぞ、ウチは」
よくよく思い返すと、前の時はそう言えば、落ちたレインガゥを踏んづけて背中から扉に倒れ込んだんだっけ。開けてないな、前回も、自分では。
人の記憶っていい加減なもんだ、うん。
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招き入れられた異世界管理局は、こちらは記憶に違わず異様な空間だった。
部屋の照明自体は灯していないが、壁の三面に受像機が、上から下まで何十と嵌め込まれ、青白い光を放っている。中世ヨーロッパ的世界観を持つカルーシアなのに、ここだけが元の世界をすっ飛ばして、近未来的である。
前の訪問ではじっくり見る余裕はなかったが、縦横に並んだ画面には王都らしき風景が――こっちはどこかの鄙びた田園風景が――石像や祭壇、あれは神殿か遺跡だろうか――さまざまな場所が現れては変わり、次々と映し出されている。
まるで世界中に設置した、監視カメラの映像を眺めるようだ。
異世界管理局、確かにその名に偽りはないらしい。
「よく来てくれたなー。礼を言うぞ、ユーマあ」
ルシウがフードを後ろに落とす。月明かりの下のように、銀色の髪が青みを帯びて光る。
「うーぷす。それにしても、えらく大層な恰好で来たな」
ルシウは俺の装束を見て、目をぱちくりさせた。
E.武器:細身軽量の片刃剣
E.防具:騎兵用胸甲(軽量加工品)
E.兜 :鉄の帽子
E.盾 :甲冑籠手(左腕のみ使用)
傭兵仕事の装備一式、俺の勝負服に身を固めて来た。
物々しく聞こえるかもしれないが、一般的な傭兵にしては、かなり軽装の部類に入る。哀しいかな、東洋人の体格に、西洋人的なカルーシア人ほどの筋力はなく、重装備はしたくてもできない。籠手を小型盾の代わりに運用しているくらいだ。
ところがこれが逆に、“最低限の軽装で戦場を駆ける武人”的な評判を取ることになっているから、もうよく判らない。
ルシウの赤い目が、呆れたように俺を見る。
「お前、今から行く訳じゃねーんだぞ。明日の遠足楽しみ過ぎな小学生かよ」
「行くと決めてから準備に戻ると、決心鈍りそうだからさあ。あ、そうだ。これ手土産に焼き菓子買ってきた」
「うーぷす、こりゃお気遣いどうも……やっぱりお前、どっか天然だよなー……」
完全武装で菓子屋に寄った意気は酌んで欲しい。
「そっちこそ小学生とか言うなよ。もっと異世界らしい喩えはないのか?」
「えーと……白薔薇の乙女を巡る決闘前夜の、パーシヴァル・センジェルジオ卿かよ……?」
「それはこっちでは通じるやつなんだな?」
自分で言うのも何だが、両方がボケると話が前に進まない。
と、ルシウが手を差し上げ、きゅうと握り、ぱっと開いた。
それを合図に、俺が立っている舞台が瞬時に場面転換をする――……