15.メルセナリオ・エ・クストーデ~傭兵と監視人の依頼~
三杯目のジョッキでテーブルを叩き、向かいのルシウを睨んだ。そろそろ目が据わってきた自覚がある。ルシウは葡萄酒をちびちび舐めながら、目を逸らす。
「うーぷす。そんな怒んなよお……」
「要件は何だ?」
「るああ。お兄ちゃあん、怒っちゃやだあ……」
「帰るぞ?」
俺の声音と目つきから本気と悟り、ルシウは頬っぺたから丸めた拳を離した。
それから軽く額を叩くと、幼女は表情を引き締めた。
真顔になるとルシウは見た目相応の年齢には見えず、どきりとさせられる。
「うぷす。おふざけが過ぎたな。こっからは真面目な話だから」
ルシウは腰を浮かせて、テーブル越しに身を乗り出して――
人差し指と中指で、俺の口に触れた。
「お前も素面で聞いてくれ」
何をしたのか、少女に触れられた途端、エール3杯分の酔いが一気に醒めた。
ルシウは俺から酔いを奪った指を、ぺろりと舐めた。その仕草、10歳かそこらのガキとは思えない艶めかしさで、目を逸らせない。
「折角のほろ酔い気分、重ねて悪いな、逢阪悠馬あ」
「……悠馬でいい。ユマが良けりゃ、そっちでも」
精一杯の平静を装うと、
「うーぷす。じゃあ、間を取って……ユーマちゃん?」
ルシウ赤褐色の頬に、にっと笑った白い歯が映える。
俺も笑ってしまう。
王都では、間に伸ばしの入る名前は女性っぽく聞こえる。だから俺もここではユウマではなくユマの発音で名乗っていて、ユーマと呼ばれた日には仕事柄やりたくなくても鼻のひとつも折ってやらないといけなんだが……参ったね。
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少し空気が和んで、俺は飲み物と摘む物を追加で頼んだ。今夜は何杯飲んでも潰れる心配はない。
注文を取った女給が席を離れると、
「るああ。まず最初に言っとく」
ルシウはそう言って、少し目を逸らす。
俺は少女の、伏し目がちの宝石みたいな赤い瞳に見惚れる。心のどこか昏い部分が、一瞬、あれを奪って、自分だけの蒐集品にしたくならないか、そう囁く。
「ユーマ、お前も察しているかとは思うんだけどな」
「るああ。アタシは、異世界監視人。この”世界”を管理したり、監視している側のモノなんだよ」
ただの人間ではないとは思っていた。俺が迷い込んだ、“異世界管理局”と称した部屋、壁中にモニターの並んでいて、異世界の中の異空間と言うか……
そもそも、その名称よ。“異世界”言っちゃってるし。
不思議な部屋の主である彼女も当然、世界に特別な役割を持つ存在なのだろう、とは考えてはいた。
「うーぷす。けど、ユーマ。頼み事しようってのに申し訳ねーが、“決まり”でな、異世界管理局について、多くは言えねーんだ。“そちら側”の者には」
「そこを飲み込んで、話を聞いてくれるかい?」
俺は――……異世界管理室に迷い込んで、この“世界”の舞台裏があることを知って、もっと知りたいと思った。
もっと知りたいから、俺は異世界監視人ルシウ・コトレットに会いたかったんだと思っていた。けれど……瞳の大きな赤い釣り目が、真剣な光を湛えて俺を見つめてくる。
そうか。俺は彼女の瞳が見たくて、また会いたいと思っていたんだ。
俺は頷いた。ルシウの赤い瞳を、まっすぐに見つめながら。
俺が承諾すると、ルシウは安堵したような笑みを見せた。
「るああ。ありがとう、ユーマ」
「礼を言うのは、仕事が終わってからだなァ」
俺は照れ隠しにわざとぶっきらぼうに言い、
「で、何をすりゃあいい? ま、可愛いルシウちゃんの頼みなら、何だって二つ返事でOKだけどな」
軽口を叩くと、ルシウはまた白い歯を見せた。
「うーららぁ。嬉しーこと言ってくれるよ。けど、ダメだぜ、ユーマあ。内容も聞かずに安請け合いしちゃあさ」
俺は気づく。少女の子どもらしい開けっ広げな笑顔の――
「下手すりゃ死ぬ奴だからさ――」
目は笑っていない。俺は動揺を見せまいと、ジョッキで顔の下半分を隠す。
「俺達の稼業は、多かれ少なかれそうさ」
「うーぷす。これは多かれの方さ」
ルシウはテーブルに手を着いて立ち上がり、俺の方へと身を屈めた。
「アタシがお前に借りてーのは、言うまでもなく剣の腕だ。なーふ。アタシら異世界管理局の者には、とーぜん”世界“を管理するに足る力がある。そのアタシの力の及ばないモノってのがあって、そこをお前にやってもらいたいって話だ。曖昧な言い方で悪ィがな」
異世界監視人は、真っ赤な目はマジなまま、にぃっと笑った。
「いっひっひ、仮にも異世界監視人の依頼だ。ダンジョンのドラゴンを退治してくれなんて、遊びみてーのは持ってこねーぜ?」
自分の喉がゴクンと鳴る音が聞こえた。ざわざわとした酒場の喧騒が、すっと遠くなる。周囲から取り残されたように二人、しばし言葉もなく見つめ合う。
やがて、ルシウは脅しみたいな顔をやめて、身を起こした。
「るああ。詳しい話は、酒場じゃあ何だ。日と場所を改めよう。はっきり言うよ、危険な仕事だ。場合によっちゃ、命に関わるようなことだって、十分にあるんだ。きちんとハナシを聞いて、じっくり考えて決めてくれ。気が進まなけりゃ、今この場で断ってくれても構わねえ」
ルシウはそう言うと、首に手を回して黒頭巾を銀髪に被せた。
確かに……安請け合いできる依頼ではなさそうだ。
ドラゴンってレベル幾つで倒せるんだ?
そもそも、俺が今レベル幾つなんだ……えっ、ドラゴン? ちょっと待って、ここの異世界ってドラゴンいるの? そういう“世界観”だっけ??
いやいやいや、一回落ち着こう、逢阪悠馬。まだ慌てるような時間じゃない。依頼人も、まずは仕事の中身を聞いてからだと言ってるし……依頼人は、この場で断っていいとも言っている。
深入りしない方が身のためか、そう考えている逢坂悠馬も確かにいる。つまり、自分は“主人公”なのか、と。もし俺が“なろう小説”の“主人公”だったなら、ここから華々しい大活躍が始まるはずだ。しかし“その他大勢”だったとしたら、あっさり死んじまうかもしれない。悩みながら顔を上げた俺は……
黒頭巾の下に、不安そうに引き結んだ幼い唇を見た。
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そして俺は肚を決めた。
ドラゴンは怖い。命は惜しい。だけど我ながら呆れたことに、どうやら俺には自分の生きる死ぬより、幼女が泣きそうな顔をしていることの方が重要らしい。紳士じゃん。或いはバカじゃん。
ここで依頼を蹴れば、今度こそ二度と彼女と会うことはない。俺が“あっち側”を窺い知る機会も、永遠に失われるだろう。
「たった一度の異世界生活、思うように生きなくてどうする……?」
俺の思いは知らず口に出ていたようだ。
「なーふ……バカだなー。命が惜しくねーのかよ、呆れるぜ……」
フードの陰で少女の唇が、少し上擦った声で悪態を吐いて、笑った。
ルシウは席を離れ、テーブルを回り込んで俺の隣に立った。
「いひひ、忠告はしとくぜ。ちっとでも怖気づいたら、そのままこの話は忘れろ。これはイベントでもシナリオでもねーからな」
宝石の瞳で少女が俺を見下ろす。
へっ、肚を括ればこっちは中二病のゲーム脳だ。死ぬのとゲームオーバーの区別もついてねーや。不敵に見返してやると、ルシウはにっと笑って、腰を曲げ、俺の耳に触れるほど唇を近づけた。
「それでも、その気があるなら……異世界の剣士、場所は覚えてるな?」
「るああ。カルーシア地区異世界管理局出張所で待ってるよ」