表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/162

14.エール・エ・ヴァン~温い麦酒と甘い葡萄酒~

挿絵(By みてみん)

【“封鎖区~監視人の依頼~”(1/8話)】

 陶器のジョッキのぬるい麦酒(エール)を干して、底でテーブルを叩く。さほど飲める口じゃない。たった一杯で、酒場(パブ)のがやがやした喧騒が心なしか遠ざかっている。

「……ちっ……」

今日の仕事の手落ちを思いながら、俺は忌々(いまいま)しく干し肉を噛む。




 ***********************************


 また都市城壁近くに狼の群れ(リュコス)が出た、何人かで見に行ってくれ――……傭兵ギルド長の顔を立てて受けた、安い仕事……のはずだった。


 四人の仲間と狼の群れは入り乱れ、二匹を相手取った俺の背後に、更に一匹が忍び寄った。俺は仲間の弓が射抜くまで、接近に気がついていなかったのだ。

 仲間と組んだ(パーティでの)仕事だ。援護し合うのが当然で、取り立ててしくじりをした訳でもない。礼に手を上げれば、向こうも手を振って寄越(よこ)して終わりだ。


 やらかしたこと(・・・・・・・)を知っているのは、自分だけだ。

 いつもなら、俺が後ろを取られて、気づかないはずがないんだ。



 問題は、俺があの時よそに気を取られていたってことなんだ。




 ***********************************


 (馬鹿か、お前は……)

己を(ののし)り、フォークを(つか)んで炙り干し肉(チャルケ)に突き立てる。たかが狼相手とは言え、戦闘中に考え事とは畏れ入る。どんな猛者(もさ)でも手練(てだ)れだろうと、喉にフォーク1本刺されば人は死ぬんだ。後悔しても巻き戻るほど、時間はお節介じゃない(・・・・・・・・・・)


 だが、言い訳になるが、それほどの気掛かりが――狼の群れの中に立って、ふと思いが漂うほど、気になっていることがあるのも事実だった。



 ……――二カ月ほど前、奇妙な体験をした。


 子どもの寝かせ話ではないけれど、俺は不思議な場所に迷い込み、不思議な人と出会った。そのことが頭を離れない。


 傭兵稼業(メルセナリオ)の仕事柄、眉唾(まゆつば)噂話(うわさばなし)はよく耳にする。しかし酒の座興の(てい)で仕事仲間に聞かせてみたものの、俺の体験のような話を知った者はいなかった。暇を作り、王都にあの場所があったはずの路地裏を(たず)ねてみても、見つかりはしない。こうなると、白昼の夢だったのか、そんな気さえしてくる。


 しかし俺は、どうしても、もう一度あの不思議な人に会いたかった。

 それで俺は頂けない仕事に腐って、飲めないエールを舐めているという訳だ。



 テーブルの木目を睨みつけていると、空いたジョッキに気づいたか、女給(カマレーラ)が傍らで足を止めた。

「どうするかな……じゃあ、もう一杯だけ頂こうか」

俺はチップも込みで、銀貨(アルジェ)をテーブルの端に押しやった。


 「ユマ・ビッグスロープ?」


 女給が俺の名を呼んだ。俺は顔を上げない。パブで傭兵が名を呼ばれるなんざ、どうせ(ろく)な用ではない。

「話を聞いてもらいたい」

お断りだ。ひとつに、今はそんな気分じゃない。二つ目に、

傭兵組合(ギルド)を通してくれ。直接の仕事は取らないことにしている」

俺が素っ気なくそう言っても、女給はそこから立ち去らない。

「なあ、ユマ……逢坂悠馬(オウサカ・ユウマ)

いい加減しつこいな、そう思っていた俺は、ぎくりと目を見開いた。



 「Raa(るああ)。逢坂悠馬あ。お前に頼みてーことがあるんだ」



 本名(・・)を呼ばれ、驚いて顔を上げた俺の前で、少女が髪をかき上げるように、ふわりと黒頭巾をうなじに落とした。

 やや(まなじり)の吊り上がった大きな目。真っさらな銅を思わせる、明るい褐色の頬。白に僅かに灰色を溶かした薄い銀髪は、灯りに照らされ今は金色にも見える。

 赤い瞳で俺を見下ろしているが、小さな女の子のこと、低めの椅子に掛けた俺とそれほど目線は変わらない。


 何てこった、尋ね人があっちから現れた。



 “ルシウ・コトレット”――……あれだけ探して見つからなかったものが、あっさり目の前に立っている。

こんばんは(サルウェ)お嬢ちゃん(チッカ)。一人で来たのかい?」

カウンターから強面(こわもて)店主(マスター)が、怒鳴り気味に声を掛けた。酔漢の喧騒に負けないようにと、加えて地声がでかいだけで、胴間声に他意はない。

「あっと……俺の妹(イルマ)だよ、マスター」

「ほう、そうかい、ユマの旦那の。へえ、こんな可愛らしい妹さんがいたのかい」

「いやあ、ははは……」

なぜか咄嗟(とっさ)にそう言ってしまった、


 ルシウは一瞬「はあ?」みたいな顔をしたが、

「……るああ。ユマお兄ちゃん、ルシウも何か食べていーい?」

小首を傾げて乗ってきた。ぐはあ、破壊力があり過ぎる。

「好きなものを好きなだけ食べなさい」

Oops(うーぷす)。どんだけ食わす気だよ」


 ルシウは俺がテーブルに置いた今日の稼ぎ、金貨(オウロ)3枚を見て呆れた。




 ***********************************


 料理の皿とジョッキ二つがテーブルに置かれた。


 俺はエールのお代わり、ルシウにはアルコールの低い甘いワイン(ヴァン)だ。

「るああ。お前、未成年だろー? 飲んでいーのかよ」

ルシウは骨付き鶏ももの(あぶ)りを、どこか物足りなさそうな顔で(かじ)り、俺のジョッキを指差した。

「17になったから自主解禁した。そろそろ誕生日過ぎてると思うんだよな」

Oh la la(うーららぁ)、17でもダメだろーに」

「ま、郷に入りては郷に従え、さ」

俺が無頼漢を気取ってエールを(あお)ると、ルシウがにやにやして自分の上唇を叩く。俺はこれまた無作法に、泡の(ひげ)を袖で拭った。



 彼女は俺の本当の名前が逢坂悠馬で、本来は高校2年生、異世界の都カルーシアに“異世界転移(オルト・トランジ)”してきたことを知っている。

 俺は彼女の名前と、彼女と出会った不思議な部屋の名前、“異世界管理局(オルト・クーストース)”という名称しか知らない。


 ルシウと出会ったのは……いや、あれは出会いってほどの話でもない。


 うっかり彼女の部屋に転げ込んで、ぽいと追い出されただけのことだ。あの時は仮にも元高校生男子、現傭兵の俺が、少女だか幼女だかに、いともたやすく首根っこ(つか)まれて捨てられたもんだ。

 つまりこの幼女、“見てくれまんまの存在”ではない。



 彼女は言った。“ルシウ”も“異世界管理局”も、“逢坂悠馬”には関係のない(・・・・・)ものだと。だから忘れろと。だが、俺には忘れられなかった。その神秘的な部屋と、謎めいた少女の思わせぶりな言葉が。


 俺は追い出されて、すぐにその部屋の扉を開いたが、既にか初めからか、そこは空き家だった――俺には“関係のない”場所。

 探しても、王都に彼女を知る者はなかった――俺には“関係のない”少女。


 二度と会えないかと思えば、余計に気に掛かり、探し歩いてたのに。



 それが目の前で骨付きをチキン齧ってやがる。


 あの……喜んだらいいの? ムカついたらいいの? 俺は焼き馬鈴薯(じゃがバタ)手掴(てづか)みで割りながら、

「で……どういう風の吹き回しだい、ルシウさん(チッカ)?」

意趣返しでもないが、ちょっと皮肉な表情を浮かべてみせた。

「俺はあの部屋とは“関係のない”、“面倒くさい奴”じゃなかったのかよ?」

傭兵暮らしで身についた、啖呵(たんか)のひとつも切ってやる。


 ところが。


 思いも寄らないことに、少女はショックを受けたように赤い瞳を見開くと、口をへの字に震わせて、(うつむ)いてしまった。

「るああ……そんな言い方しなくても……」

「え? あれっ、えっ?」

「アタシは……もう一度悠馬に会いたくて来たのに……」

テーブルに肘を付き、両手で顔を覆う。ま……まずい、泣かしてしまった……

「あ、いや、済まない! そんなつもりで言ったんじゃなくて……」

狼狽(うろた)えた俺は椅子を鳴らして立ち上がると、しどろもどろで弁解する。



 ルシウは指の間から赤い瞳を覗かせ、顔を上げた。

 上目遣いに俺を見ながら、小さな右の拳をきゅうと丸めると――

「うーぷす。マジかよ、お前。チョロ過ぎんだろー」

ぐいっと頬を乗せて、「はあ」とため息をついた。

「なっ……?!」

「るああ。お前、マジで悪い女に引っ掛からねーよーに気ィつけろよな」

「お、ユマさん。えらくちんまいのと痴話ゲンカかい?」

顔馴染みの傭兵、ザインのおっちゃんが通りすがりに冷やかして行った。



 神様(デイオス)、僕は生まれて初めて幼女をグーで殴りたいです。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ