10.開店――「いらっしゃいませ」
いらっしゃいませー、定食屋“ちか”へよーこそー。
当店はどこにでーもある商店街の。どこにでーもある定食屋さん。
お昼はビジネスマンの味方、がっつりリーズナブルな日替わり定食を。夜は一品料理で、どっぷりリーズナブルに一杯を。親子二代のお店はちょっぴりボロ……こほん、味がありますけど、料理の方の味は保証しちゃいます。
この私、定食小町にして商店街のアイドル、若桜知佳ちゃんがね!
と言っても、厨房に立つのは二代目店長の笹島健介なんですけど。
あっ、二代目って言っても、旦那様ではないですからね! そりゃあ、まあ、いずれはねえ、ケンさんのことは、先代ことお父さんもお気に入りだし、私の方はそういうつもりも、なくはないんですけど……こほん。
と、とにかく、定食屋ちかは地元に愛される、どこにでもある食堂なんです。
たったひとつ、あることを除いては――……
商店街のお肉屋さん、毎週金曜日は揚げ物の安売りの日なんです。“フライ”デーだからって。駅前の大型スーパーは、毎月9日10日はお客様感謝デーでポイントが2倍貰えちゃう。
そして定食屋ちかは、水曜日が定休なんですけど、何とその日だけ――
入口が異世界に繋がっちゃうんです。
そうなんです。何を隠そう定食屋ちかは、“異世界定食屋さん”なんです!
へへーん、驚きました?
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古き歴史の街、王都カルーシア。
お店の入り口を開けてその通りを見た私、もっとびっくりしました。たまげるって、“魂消る”って書くんですってね。
私あの時、たぶん魂が消えていたと思います。
だっていつもの商店街が、石畳で、異国情緒に溢れていて、外国人観光客さんばかりで、馬車が通ってるのですもの。私、黙って引き戸を閉めちゃいました。
もう一度開ける。やっぱり外国。そーっと閉めて、間髪容れず開けるっ!
外国っ!
ネットで、冷蔵庫に生首が入っていて、何度も開け閉めする怖い話を読んだことがあるんですけど、私、その気持ちが理解できます。
それで仕込みをしているケンさんを、厨房から引っ張り出したんですけど。
「ケンさん、鉄板焼き大ちゃん(お向かいさん)がないの!」
「……?」
ケンさんが入口を開けても、やっぱりそこは見たこともない町で。いつも無口な職人肌のケンさんのあんな顔、後にも先にもあの時だけ。うふふ。
結局その日は、入り口の鍵を掛けて、時々開けたり閉めたりして、過ぎて。夜になっても帰れないものだから、ケンさんには泊まってもらって。ケンさん、お父さんにだいぶ飲まされていたみたいだけど。
翌朝、恐る恐る入り口を開けてみて……
いつもの商店街だった時の安堵ったら。ケンさんも狐に抓まれたような顔で。
商店街の人に訊いたら、昨日は一日ちかの入り口は閉まったっきりで、電気も点いていかなったから、出掛けているんだろうと思っていたとか。結局何だったんだろうって、私もケンさんも首を捻るばかりだったんですけど……
次の水曜日にもまた起きるとか。
そしてその次の水曜日にも起きるとか。
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水曜日が来る度に、ちかの入り口は見知らぬ町に繋がって、いろんなことが少しずつ判ってきたんです――……
1.ちかの入り口は毎週水曜日、朝の9時前後に知らない町と繋がる。
2.真夜中を過ぎると、元に戻る。
3.知らない町は、外国のどこかではないらしい。
4.知らない町はカルーシアというらしい。
5.言葉は通じる。字も、違う文字だけど読める。
6.カルーシアではリンゴのことをレインガゥという。
7.時々お店に入ってきちゃう狸みたいな生き物はカオリンチュという。
常連さんに詳しい人がいて、それとなく訊いたんですけど、ああいう場所って“異世界”っていうんですってね。
何だかアニメとか小説とか、いっぱい勧められちゃいました。
私もある日ついに意を決して、外に出てみたんです。
と言っても、前の通りだけですけど。
通りの端までだーっと走って行って、Uターンして逆の角までまた走って、それでお店に戻ってみたのです。大冒険。超ドキドキしました。
するとやっぱり、そこは現代のどこかの国、ではないように思えました。
何て言うか……そう!
ド●ゴンクエストとか、ああいうゲームみたいな町なの。
剣とか、みなさん普通に武器を持ち歩いてらして。私の割烹着の方が目立っちゃてて。もしかすると町の外にはモンスターがいて、あの人たちはそれを倒しにいかれるのかもしれない。それでレベルアップして、魔法が使えるようになるのかもしれない。
そう思うと、やっぱりここは異世界(?)なんだなって。
そんな訳で、元の世界では定食屋ちかは水曜が定休日になっちゃって、しばらくして、まあ、予想はしていたんですけど、うずうずしてたのかなー。
料理人の腕が鳴る、というやつかなー。ケンさんが言い出したんですよ。
「こっちの世界の客を入れてみよう」って。
だから私、こう返したんです。「まあ、お口に合うかしら」って。
「知佳ぇ……」
テーブル席に腰かけて話を聞いていたお父さんが、ため息をつきました。
「オメェのそういうとぼけたとこ、死んだ母さんそっくりだなァ」
「向こうのお口を、俺の味に合わせてやりますよ、お嬢」
ケンさんがカウンターの内で包丁を研ぎながらそう言うと、お父さんはゴマ塩頭をぽりぽり。
「ま、店長はオメェだ。好きなようにやってみるといいや」
そして昼日中のビールをグラスに注いで、にやっと笑ってこう言うんです。
「オメェのそういうとこは、若え頃の俺にそっくりだ」
こうして異世界定食屋ちか、開店の運びと相成った訳でございます。
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おかげ様で、これが結構繁盛しているんですよ。
まあ、初めは物珍しさが先に立って、お客様もちらほらだったんですけど、口コミで評判が広がって、常連さんもついてきて、今や王都カルーシアのグルメランキング第一位! ……は、ちょっと盛り過ぎちゃいましたけど。
でも、異世界(?)の人も、私達と何も変わらないんです。
串カツ、さくっ。唐揚げ、じゅわわっ。焼き鳥……焼き鳥の音って何だ? とにかく私が言いたいのは、美味しいは正義、ってことなんです。
見知らぬ世界の見知らぬ国の、おとぎ話みたいな恰好をしてる人達が、ジョッキ片手にお料理に夢中になって。商店街のおじさん達と、何も変わらない。
ううん、こっちの世界の人達の方が、ちかの味を喜んでくれているみたい。
何を出しても最高美味しがってくれるから、ケンさんもはりきっちゃって、この頃では水曜日を楽しみにしているみたい。ポーカーフェイスだけど、どんどんメニュー増やしてるんだもん、ケンさんてば判り易い。
でも……ちかの料理がうけるの、当然と言えば当然な気もするんです。
何て言うか、こっちの世界は私達の世界と比べると……そう、“昔”なんです。時代が違うと言うのでしょうか。
例えば、江戸時代の人にカレーを食べさせたら、たぶん、すごくびっくりするじゃないですか。おソースひとつ取っても、昔の人が想像もしなかった味だって。だから、私達の世界の食べ物をこっちに持って来ることは、えーと、何だっけ……
そう、“チート”。
アニメとか本を勧めてくれた常連さんが言ってた、ゲームでズルして強くなること。物語では、そういうチートで大活躍するようなお話があるそうなんですけど、ちかのお料理ってそれなんじゃないかって、ちょっとモヤモヤしてるんです。
活き活きと包丁を握るケンさん見てると、とても言えないんですが……
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「どーしたの、ティーカちゃん」
お客さんの声で、はっと我に返ると、ザインさんがだいぶできあがった顔で、抓んだパリパリチーズ焼きを振っていました。
そう、今日は水曜日なのです。
ティーカちゃん、というのはこっちでの私の呼び名で、女の人の名前には伸ばし棒が入るのが王都風なんですよ。
それと、チカって“チッカ”って聞こえて、それはこっちでは“お嬢ちゃん”とか“小娘”って意味になっちゃうんです。店名なら定食屋“娘っ子”でもいいでしょうが、さすがに私は●●才、“お嬢ちゃん”はちょっと……
ザインさんは赤ら顔で笑いながら、
「何だか浮かない顔だなあ?」
「いえいえ、そんなことないですよ。あ、ザインさん、お飲み物は?」
「だなァ……じゃあ、もう一杯スパダー貰うか」
「こっちはソツローク」
「はい、喜んで―」
向かいで指を立てたのは、お連れ様のツベエさん。
お二人とも衛兵さんで、異世界定食屋オープン当初からの常連様。お昼も夜もよく連れ立っていらしてくださいます。
ちなみに“スパダー”というのは私達の発音では“ス●パードライ”、“ソツローク”は“焼酎ロック”のこと。メニューはかなと漢字で、こちらの文字とは全然違うのに、なぜかお客様には読めてしまう異世界の不思議。
と、足元に何か、ころころと飛んできた。
「おっと、これは失礼」
カウンター席で銀杏を割っていた、商店主のダライさんが振り向いて肩を竦める。
「やあ、これ難しいね」
「でも美味しいでしょう?」
厨房でケンさんが笑う。
自分で気がついているのかな? 水曜日のケンさんは、いつもよりよく喋るし、よく笑うってことに。
ダライさんはまた慎重に一粒、銀杏割に挟んで、ぐっと握った。
「ああ、確かにね。けどね、マスター。そこが殺生なところなんだよ」
「と、仰ると?」
割れた殻をふっと吹いて飛ばし、ダライさんが片目をつむる。
「店を開けているのが漁師の曜日だけなんてさ。私など、この熱燗恋しさに一日千秋、何度枕を濡らしたことか……」
ダライさんがきゅっとお猪口を呷ると、
「ダライの旦那の言う通りだ、テンチョー」
テーブルのザインさんが気炎を上げます。
「店さえ開けてくれりゃよ、俺ぁ毎晩だって飲みにくるぜ」
「お前それ、カミさんの前でも言ってみろよ」
威勢のいい相方に、ツベエさんがぼそり。
ケンさんが苦笑します。
「そりゃあ、そうしてぇのも山々なんですがね、ウチみてえにここらじゃ手に入り辛いモノも扱いますとね、その、仕入れと仕込み勘定に入れると、週に一日が精々なんで……」
「まあ、そうだな。ちかの料理は、よそではちょっと食べられねえもんな」
ザインさんが矛先を納めかかると……
「そこだよ、テンチョー。この店はどういった伝手で、どこで仕入れをしているのだい? それにお代もバカに安いし、これでやっていけるのかね?」
今度は商店主のダライさんが、ぐいと太鼓腹を乗り出した。
「そこは、その、企業秘密ってことでご勘弁を……」
おーおー、苦しい言い訳をしておるわい、と笑いを堪えていると……
厨房からひと睨み。慌てて空いたグラスを引き、濡れたテーブルを拭く。
とその時、お店の入り口が開いて――新しいお客様のご来店です。
「いらっしゃいませー、お一人様……?……ですか……?」
テーブルから笑顔を上げた私は、その瞬間、不思議な感覚に襲われたんです。
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ご来店されたのは、女性のお客様。黒いマントというのか頭巾というのか、絵本の魔法使いが被っているアレを、頭からすっぽりとお召しになっている。お客様が髪をかき上げるようにフードを後ろに落とすと、輝くような銀髪が溢れ出る。
不思議というは、私がその人の年齢が判らないこと。
広いお店じゃありません。その人はほんのすぐそこにいるのです。
少し吊り上がった大きな目。からっと揚がった唐揚げみたいな、光沢のある狐色の肌。ほとんど白と見紛うような、淡い銀色の髪。
瞳の赤い色まで見えているくらい、近くにいるというのに。
その人が若いのか、年を取っているのか判らない。
幼いと言えるような少女に見える。
妙齢の、グラマラスなご婦人にも見えるし、とてもお年を召したお婆さんにも見えるのは、髪の色のせいでしょうか、違うのでしょうか?
黒頭巾さんは陽炎のように姿を揺らめかせながら、私の前まで歩いて来る。
向かい合って立っていてもなお、その人の姿は――背丈さえも――わたしの目は捉えない。眩暈がするような一瞬に、その人は深い肌の色に映える、白い歯を見せて笑う――……
「Raa。一人で悪ィけどさ、寄せてもらっていーかい?」