103.トーマス・ブラウン・ザ・カートゥン・キャット
さて、ここで黒猫氏の興行は、しばし幕間と相成って――……
トーマス・ブラウン氏が路地裏の木箱の上で、再び大仰に深くお辞儀をすると、レインことブラネージュ姫が止めていた息を大きく吐き出した。
「と……つまり、トーマス・ブラウン氏。氏は白猫嬢への真なる愛に目覚め、嬢の許へと帰り、末永く幸せに暮らしたのだな?!」
「にゃ? あー……その、まあ、ねえ……」
レインは観劇の感激余って、幕の間隙を縫い、トーマス氏の柔らか両肉球を取る。
「わらわは感動したぞよ、トーマス・ブラウン殿! おお、そなたはロマンスを語る詩人。黒猫殿、そなた、城に来る気はないか?」
「にゃにゃ?」
トーマス・ブラウン氏の手……前足が、お姫様に熱っぽく振られた。
「そなたのような猫、姉君達もお持ちではないからのう。くふふ……これは自慢できようぞ。どうじゃ、猫氏よ。わらわに仕えるならば、毎日巨人エビでも宝石鯛でも、望みのままに取らせようぞ?」
「にゃんと?! 宮廷付になって毎日エビに鯛の御膳とは、ううむ……これは心がくすぐられますなあ……」
「ねー、おねえちゃん」
盛り上がるレインとまんざらでもない猫氏の傍ら、ミシェルが唇を尖らせた。
「くろねこさんとしろねこさんは、いっしょにいないよね?」
「うん?」
「にゃにゃ?」
レインとトーマス氏は幼女のひと言に、揃って視線を巡らせた。ミシェルは頬っぺたを膨らませながら、トーマス氏を指差した。
「だって、くろねこさん、カルーシアにいるもん」
「あっ……!」
レインははっとして向き直ると、トーマス・ブラウンはひくひくっと髭を震わせた。それから、氏はがっくりと肩を落とす。
「これは……実は、そちらのお嬢さんの仰る通りなのです」
そう言うと黒猫氏は胸を張ってポーズを決めて、再び舞台の人となる。
「この黒猫めの昔語り、ここで終わればある種の寓意を含んだ美談と申せましょうが、ここまではほんの序章に過ぎません。そう上手くは運ばないのが人生の残酷さでございましょう」
「田舎町で気立ての良い幼馴染と、慎ましくも温かな所帯を持つ――……そんな幸せを目の前にしながら、喉元過ぎれば何とやら、自由気ままな黒猫は、またぞろ悪い虫が騒ぎ出すのでございます」
「お嬢様方、お待たせいたしました。愚かな黒猫の物語、本当に奇妙なのはここからでございます。第二幕の始まりと参りましょうか――……」
“黒猫”のトーマス・ブラウン氏は、先ほどまでは身振り手振りを交えながら、物語を歌い上げるように演じていたが、今度は木箱にすとんを尻を下ろして足を組み、軽妙な調子で語り始めた。
レインにミシェが、思わず歩み寄り、木箱に手を掛けて聞き入っている。
どうやら氏は舞台でオペラ・グラスの視線を集めるのと同じくらい、酒場で客の間を歩き回りながら、笑いとチップを集めることにも堪能であるようだった。
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さて、先ほど物語った年寄り猫の人生から、何がしかの教訓を得たつもりであったトーマス・ブラウンでありましたが、しばらくすると尻尾はむずむず、髭はうずうず、結局華やかな都会に舞い戻るまで、そう長くは掛からなかった。
「解せんなあ……白猫嬢との間に、愛はあったのであろう、愛は?」
にゃあ……これはいきなり、この“世界”三本の指に入る難題ですにゃあ。“愛”かあ……“愛”はねえ、“在”るんでしょうかねえ……?
ま、いずれにせよ
都にいては故郷恋し、故郷に戻っては王都恋し……勝手気ままの黒猫は、結局そんなふうにふらついていたのでございますよ。
さて、再び王都の猫になったトーマス・ブラウンは、かねてより憧れていたショー・ビジネスの“世界”に飛び込んだ。つまり、役者や歌い手、舞台演劇といったたくさんの光の当たる華々しい世界でございますねえ。
ただ、トーマス・ブラウンが足を踏み入れたのは、ただの舞台や演劇の“世界”じゃあなかった。トーマス・ブラウンはカートゥンの猫――……つまり、アニメーションの猫になったのです。
「カートゥン?」
「あにめーしょん?」
そうですな……まあ、童話や絵本、紙芝居のようなモノの中に入って演じる、子どもさん向けの、面白おかしい滑稽劇と、そのようにお考えください。
ともあれ、カートゥンの猫となったトーマス・ブラウン――黒猫トムは、“虚構の存在”であるという“世界観”を手に入れました。しかしそれは同時に、あるとんでもない“属性”を得ることでもあったのです。
“虚構の存在”であるということ――……それは即ち“死なない”ということと同義であったのでございます。
「死なない……? ど、どういうことだ、氏は、つまり、その不死身だと?」
その通りでございます。
お芝居で登場人物が死んでしまっても、役者が本当に死んでしまいはしませんでしょう? 死ぬという演技をする訳です。身も蓋もないことを申しますけれど、舞台の上では何が起こっても、作り事で本当のことではない。この“本当のことではない”ということを、少し難しい言葉で、“虚構”というのですね。
カートゥンというのは子どもさんの見るものですので、そこを滑稽に誇張して、笑いどころにしておるのですが、これがなかなかに過激でして。トゥーンの猫は首を刎ねられよーが、爆弾で吹き飛ばされよーが、決して“死なない”。
“死なない”からこそ、観客も笑って見ていられる。そりゃあそうです。お芝居が全て本当事だったら、悲劇なんてとてもじゃないが見ちゃあいられない。ま、世の中にはそうじゃない御仁もいらっしゃるようですが、そーゆーのはまだ穢れないお嬢さん方は知らんで宜しいのです。
とにかく、“トゥーンの猫”は決して“死なない”。“死なない”が故にいかなる火の輪も潜り、喩え尻尾が燃え上がろうと意に介さない恐れることなき道化……それが我々“トゥーンの猫”なのですよ。
「ほお~、これは驚いた。そなた、城の兵隊になる気はないか?」
「にゃ、兵隊……あ、あいにく私、荒事は不得手でして……」
「それにこの肉球では、剣が握れませんので……」
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それはさておき――……
このカートゥン、まあだいたいシンプルなドタバタ喜劇なんですけど、中でも人気の演目が“追っかけっこ”なのです。
「おいかけっこぉ? ねこさんとねずみさんの?」
そうそう、まさしくその通り。
例えば猫と鼠、或いは狼と羊、ぱっと見には強い方が弱い方を、追っ掛け回すって筋立てだ。
ところが実際のところは、やられ役は追い掛ける側、というのがミソでしてね。逃げる側はあの手この手で相手を出し抜いて、結局追う側がやっつけられて幕――強かったり偉かったりする方が、小さい相手にコテンパンにされる、というのが面白可笑しいのでございます。
故に、この“追いかけっこ”には、二つ約束事がある。
「おやくそくぅ?」
ええ、お話の決め事でございます。まず第一に逃げる者は決して“捕まらない”。これは鉄則でございます。何しろ、追う方は何度失敗しても宜しいが、逃げる側がしくじるとこれ、お話が終わってしまいますので。そして、もうひとつが――
さきほどから申しております、追う者は決して“死なない”ということ。
カートゥンの“追いかけっこ”、観客はとどのつまり、やられ役がこっ酷くやっつけられるのが見たいのでございます。だから、やられ方は派手であるほど面白い。例えば、ここに取り出したりまする、トーマス・ブラウンの身の丈はあろうかという大木槌――……
「な……? そなた、いったいどこから、それを!?」
こいつで私めの頭を、こうやってゴツーンと!
「危ないっ! やめ……うわあ?!」
「きゃあ~?!」
ガツン!
「ひゃあ! ‥‥って……猫氏……な、何ともないのか……?」
ふふふ、驚いたでしょう? もちろん、何ともございません。これが“死なない”ということ。トゥーンの猫はこれくらい、痛くも痒くもないのです。トゥーンの猫は、“虚構”猫。
耳の端から尻尾の先っちょまで、“嘘”で出来ているのでございますよ。




