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102.トーマス・ブラウン・ザ・ストレンジ・キャット

挿絵(By みてみん)


【ミシェルの絵本(3/9)】

 気ままな黒猫、トーマス・ブラウン。尻尾が自慢の、トーマス・ブラウン。



 トーマス・ブラウンの好きなもの。


 温めたミルク。天気のいい日。風に揺れているカーテンの(すそ)。魚。それから食後の優雅な毛繕(けづくろ)い。そして何より。自由でいること。



 「ミシェ、おさかなきらーい」

 「にゃあ。体にいいのですよ、お魚は。カルシューウムが豊富で」



 トーマス・ブラウンの嫌いなもの。


 鏡。尻尾に触ろうとする男の子。ビスケットをくれる女の子は好き。ピアノの音と、空き缶の転がる音。そして何より、束縛されること。



 「むう、尻尾を触ってはダメなのか」

 「ごろごろ、ご婦人のヴァストに断りなく手を触れるようなものですよ」

 「そ……それはいかんな……」



 トーマス・ブラウンは、自由で気ままな黒猫(カッツェ)(ひと)りでいるのが好き、誰かといると窮屈(きゅうくつ)。誰かのことを気にするのも、誰かに気に掛けられるのも、面倒、窮屈(きゅうくつ)(わずら)わしいと、独りで平気、寂しくない。

 勝手気ままの、トーマス・ブラウン。今日も今日とて塀の上、誰も届かぬ屋根の上。ツンと空見て闊歩闊歩(かっぽかっぽ)。澄まして気取ってとことこと、自慢の尻尾をゆらゆらと、素敵な(ひげ)をひくひくと。



 「ミシェはひとりぼっちはやだなあ」

 「にゃあ。ですねえ。けど、その時はそうは思わなかったんですよ」

 「大事な人の一人もおらんかったのか?」

 「にゃあ……その時は、気づいていなかったんですよ……」



 そこにはトーマス・ブラウンを愛する娘がいた。


 気立てのいい、幼馴染の白猫は、絹のリボンに金の鈴、飼い主のお婆さん(アヴィア)のくれた宝物。料理上手で世話好きで、トーマス・ブラウンにしてみれば、こんな困った相手もいない。


 嫌いってんじゃないけれど、つきまとうのは止めてくれ。


 ついて来られちゃ迷惑だ、(ひと)りでいるのが好きなのさ。白猫歩けば鈴が鳴る、ちりんと鳴ったら黒猫逃げる。(しば)られるのは、大嫌い。誰かのことを気にするのも、気に掛けられるのも。



 「えー」

 「えー」

 「ははは、まあまあ」



 そこでトーマス・ブラウンは町を出た。遠くの大きな街へ旅立った。目指すは王都カルーシア。ぴかぴかに磨いた長靴(レボット)金貨(オウロ)を3枚、古ぼけたトランクを片手に下げて、後に残した置手紙。


 親愛なる白猫へ、後に残した白猫へ。家族へ友へ、白猫へ。みんなに残した置手紙、心残りは何もなく、みんなを残して歩いて行った。てくてくとことこ歩いて行った。自慢の尻尾をゆらゆらと、素敵な(ひげ)をひくひくと。



 「あ。今更だけど『~だにゃあ』とか語尾に付けた方がいいかにゃあ?」

 「そういうのいいから」

 「いらにゃい? ああ、そう」



 さて、街道を行く黒猫(カッツェ)、目指す町も間近という頃、トーマス・ブラウンは年老いた猫に出会った。道端に座った年寄りの猫に出会った。


 見知らぬ他人に挨拶するようなトーマス・ブラウンではないけれど、年寄り猫は具合が悪そうで、しかも自分と同じ黒猫だったので、見て見ぬふりもできず声を掛けた――爺さん、どうしたんだ、と。

 年寄り猫が答えた――腹が減って動けないのだ。旅の途中で、持っていたパンを捨てて来たから、と。トーマス・ブラウンは驚いた。


 何だってそんなことをしたんだ?


 『その時は腹が減っていなかったし、邪魔だったから捨てたのだ』


 後で腹が減るとは、思わなかったのか?


 『腹が減っていない時に、そんなことを考えるものか』


 トーマス・ブラウンは弁当包みから、パンの(かたまり)を年寄り猫に差し出した。年寄り猫は口の中でもぐもぐ礼を言って受け取った。

 どこへ行くのかと訊けば、トーマス・ブラウンの目指す街、王都カルーシアに行くのだと言う。トーマス・ブラウンは肩を(すく)めて、年寄り猫を後に残して、とことこてくてく歩いて行った。



 「おかしなおじいさんねえ」

 「にゃあ、どうでしょう? まあ、その時は私もそうは思いましたよ」




 ***********************************


 王都カルーシアで、暮らし始めたトーマス・ブラウン。


 新しい街でもやっぱり気ままな黒猫。気ままな黒猫は自由で楽しい(ひと)りぼっち、寂しいことなんてこれっぽっちもなくて、故郷のことなんて思い出しもしない。

 そういえば白猫から手紙が届いていたけど、後で読もうと机にしまい込み、そのまま忘れてしまっている。今日はレストランでディナー、明日は劇場でマチネー。手紙に挟まれた故郷の花は枯れて、楽しい毎日が過ぎていく。



 「猫も観劇なぞするのか?」

 「もちろん。猫とショー・ビスは切っても切れないものです」


 「ブロードウェイでミュージカルに出演している友人がおりますよ、にゃお」

 「ぶろーどうええ?」




 さてさて、ある冬の朝(イヴェール)のこと。


 吐息が雲になって漂う、真っ当な猫であれば暖炉の前で、毛布(ブラケッタ)にでも包まっているべき日のこと。

 トーマス・ブラウンはいつかの、年寄りの黒猫と再び出会った。年寄り猫はこの雪の積もった寒い朝、コートも手袋もなしで凍えてた。トーマス・ブラウンは年寄り猫に訊ねた――爺さん、どうして上着を着ないんだ、と。


 年寄り猫は答えた――上着は春に捨ててしまったのだ。と。


 何だってそんなことをしたんだ?


 『その時は暖かかったし、邪魔に思って捨てたのだ』


 いずれまた、冬が来るとは考えなかったのか?

 そうすると、老人はこう問い返した。


 『お前は冬が来ることを、冬が来る前に、知っていると言うのか?』


 そして年寄り猫は、黒猫の答えも待たずに行こうとする。トーマス・ブラウンは年寄り猫を呼び止めて、金貨(オウロ)を1枚差し出したけれど、年老いた猫はもう自分には要らないものだと言う。

 トーマス・ブラウンは遠ざかる背中を見送りながら、年寄り猫の言ったことの意味を考えた。


 しゃりん、しゃりんと雪が降る。ちりん、ちりんと降り積もる。いつか、どこかで、その音を聞かなかったろうか。ちりん、ちりんと降り積もるその音。



 「何とも不思議な老人であるな。単なる愚か者でもないように思えるが」

 「かわいそうなおじいちゃんだよ」

 「にゃー、どうなのでしょうねえ」


 「それも彼の望んだ“世界(オルト)”にゃのかもしれません“にゃ”」

 「それいらない」




 ***********************************


 それからしばらくして、トーマス・ブラウンは教会(イグレシア)の鐘で目を覚ました。ひとつ二つ、寝床で鐘の音を数えて、黒猫は今朝の鳴り方は(とむら)いの鐘だと気づいた。


 トーマス・ブラウンは家を出ると、何となく協会の方へ歩いて行った。黒い服に黒い靴、黒い尻尾のトーマス・ブラウン。黒猫いつもの正装は、改まった席にも打ってつけ。トーマス・ブラウン、訳もなく街を見下ろす教会へ行った。


 葬儀はもう終わっていて、ひっそり静まり返った教会。トーマス・ブラウンは神父に訊ねた――誰が死んだのか、と。


 神父は答えた――あの、変わり者の年寄り猫をご存知か、と。

 トーマス・ブラウンは薄曇(うすぐも)りの空の下、墓地へと足を運んだ。



 あの、おかしな年寄り猫。黒猫は真新しい墓の前に立った。石みたいに偏屈な爺さんだったけど、とうとう石みたいに冷たくなっちまった。そこにはたった一人の嘆き哀しむ影もなく、たった一本の捧げられた花もなく、ただ気ままな黒猫が一匹立っているばかり。


 トーマスブラウンは神父に訊ねた――あの年寄り猫には、家族や友人はいなかったのか、と。

 神父は答えた――あの変わり者の年寄り猫は、若い頃に、家族も友人も捨ててしまったのだ、と。

『あの年寄り猫は、誰かを愛することも、誰かに愛されることも、面倒、窮屈(きゅうくつ)(わず)わしいと、家族も友人も捨ててしまったのだ』


 『いずれ冬が来ることなど、考えもしないで……』


 トーマス・ブラウンは、墓石に刻まれた名前を見下ろした。



 【トーマス・ブラウン、ここに眠る。彼は自由で気ままな黒猫だった――……】



 神父が首を傾げた。

『おや、そう言えば、あなたはあの年寄り猫と、同じ名前のようですな』


 トーマス・ブラウンは、走り出した。

(私はまだ、間に合うのだろうか……?)



 トーマス・ブラウンは走った。走って走って、どんどん走った。一度も立ち止まらずに、一度も振り返らずに。野を越えて、山を越えて、どんどん走ってると、日が沈み、また日が昇って。

 ぴかぴかの長靴(レボット)もいつか脱ぎ捨てて、コートの裾も綻びて、自慢の尻尾に草の実さえひっついたけど、トーマス・ブラウンは構わず走り続けた。



 二日目の日が暮れる頃になって、ようやく故郷の町が見えてきた。


 道の終わるところに、誰かが待っているのが見えてきた。



 ちりん――……金の鈴(トインカ)が鳴る音が聞こえた。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回はまた(サンホラ的な意味ではない方の)メルヘン色濃いお話ですね! これがどう影響してくるのか、トーマスの話はどうなるのか!気になって夜も眠れず昼寝して過ごしそうですw [一言] 書いて…
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