101.ミシェル・イン・ワンダーランド!
猫を追って走る幼女、それを追って走る少女。
「おーい……どこへ行くのだ、ミシェ……!」
「ねこさん! まっくろのねこさんがいるの!」
「黒猫~え?」
カイエン通りの商家街を、煉瓦造りの街並みを、数え切れない靴がすり減らした石畳を、猫が少女を引き連れて行く様は、どこか童話的な光景で、道行く人達の顔を綻ばせる。
おやおや、あのお嬢ちゃん達、どこか不思議の国まで走ってくんじゃないかね?
「ねー、おねえちゃーん」
「はあ。はあ……何だ、ミシェえ……?」
「ねこさんって、たってあるくぅ?」
「はあ? “長靴を履いた猫”でもあるまいに、猫が立って歩く訳が……」
「はいてるよー、おくつぅ」
「はああ? 訳の判らぬことを、って、どこまで行くのだ、これは……?」
猫を追いかける幼女を、追いかける少女。石段を下りて、通りを折れて。けれどもお嬢さん方、どうぞご用心。町には見えない境界線、あっちこっちに出入り口。
そんなに夢中で走ったら、気づけばそこは、もう別の“世界”――
曲がり角から路地裏に飛び込んだところで、レインは立ち止まっていたミシェルに突き当たりかけて、慌てて踏鞴を踏み、結果バランスを失って尻もちをついた。小さな子を怪我させまいと、己が身を犠牲にした幼きプリンセスの、心根の優しさを称えたい。
「ぶ、無礼者! そなた、王家の尻を地に着けるとは、これは謀反ぞ!」
ただし、文句を言うことは言う。
「ほら、おねえちゃん。おくつをはいたねこさん」
言われた方は何ほどにも思わず。
レインはのそのそ立ち上がり、スカートのお尻を両手で叩く。
「あー、もう……はいはい、お靴だな。それはあれだろう、脚の先っぽの毛の色が違って、まるで靴を履いているように見える……」
ぼやきながら顔を上げると、路地に積まれた木箱のひとつに――
黒猫が磨き上げた靴を履いた足を組み、頬杖をついて座っていた。
「ニャオ。何だね、君達は。人をさんざ追い回して、何か用かね?」
「…………」
「ね……猫が喋ったあああぁぁぁっ?!」
レインは叫ぶと路地裏の土に、折角はたいた薄いお尻をへたんと落とした。ミシェルは怪訝そうに、またまたかくんと小首を傾げる。黒猫は迷惑顔で少女達を見下ろして、「にゃーお」と鳴いた。
そんなこんなで黒猫氏に誘われ、いや、勝手について行って、少女が二人、不思議の“世界”へ……
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木箱に腰掛けるは長靴を履いた黒猫。路地に腰を抜かすはカルーシア第三王女。
にこにこ笑っているのは、不思議の国に迷い込んだ少女だ。
レイン(仮)ことブラネージュ姫は、信じられないものを見る目をしている。
「そ、そんな馬鹿な。猫が口を利くなどと、そんなことがある訳が……」
赤い目を丸くしていると、ミシェルの赤い目が覗き込んでくる。
「ねこさんはしゃべるよ」
「ふえ?」
ぽかんとしたレインに、ミシェルが自信ありげに胸を張った。
「おにいちゃんがよんでくれた、ごほんに、かいてあったもん!」
思わず黒猫に目を向けると、氏は頬を掻き掻き、
「にゃあ……まあ、喋りますね。現にこうして喋っております訳ですし」
「た、確かに」
「まあ、ショウ・ビズの世界に携わる猫と致しましては、お喋りと踊りくらいはひと通りこなせませんと」
「しょー……びず?」
「犬は喋りません、彼らはそれほど頭が宜しくありませんので。カオリンチュは話しますよ……にゃあ、おはよう」
黒猫氏が声を掛けると、表通りからのっそりやって来たカオリンチュが、面白くもなさそうに顔を上げた。
「……おはよう」
黒猫氏は肩を竦めた。
「まあ、あまり親しくはありません。カオリンチュは齧歯類、齧歯類と言えばつまりは大きい鼠な訳でして、如何せん我らとは古来より確執というものが」
と、そこで黒猫氏はふと言葉を止め、木箱の上にぴょこんと立ち上がると、二人のレディを前に胸に手を当て恭しくお辞儀をした。
「にゃあにゃあ、これは申し遅れました。私、トーマス・ブラウンと申します。以後お見知りおきを」
黒猫氏改めトーマス・ブラウン氏の流暢かつアップ・テンポな弁舌に圧倒され、
「これはご丁寧に。えーと……レインです」
「ミシェです!」
お辞儀を返したレインに続いて、ミシェルが元気にお返事できました。
猫に下げたレインの頭の中は、ぐわんぐわんに混乱している。
「そ、そーか、猫って喋るのか。知らなんだ……そう言えば、猫とそうじっくり接したことはなかったな。馬はどうなんだろう。城に帰ったら、話してみよう……」
王様とお目付けのレイスさんが心配しそうです。
ミシェルの頭の中は、まだまだ空きスペースが多いので、ちょっとやそっとのことが入ってきても大丈夫だし、ドアが小さいからそもそも全部は入ってこない。
「ねこさんは、どこにいくんですかー?」
大らかなインプットに基づくので、アウトプットもまた大らかである。
しかし幼女の無邪気な問いかけに、トーマス氏の顔が不意に曇る。猫の表情の微妙を、あなたに読み取れるとして、だが。
「にゃーお。猫は何処から来て、何処へ行くのか。それは我らにとって極めて根源的かつ、永遠の問い掛けであると言って過言ではないかもしれませんな」
「こと、私のような行き場を失くした猫にとっては――」
トーマス氏の沈んだトーンに、ミシェルがレインを振り返った。
「ねこさん、どうしたの?」
「うむ。どうやら猫氏は、行くところがなくて困っておられるようだ」
答えたレインも、さすが子どもと言おうか、猫が口を利くという“世界観”に早くも順応した様子だ。
「えー? そうだ、だったら……」
「ねこさん、ミシェのおうちにくればいいよ!」
少女がさも名案と叫ぶと、トーマス氏は緑色の目をまん丸にし、髭をひくひくと震わせた。
「にゃお! これは、何と御親切なお嬢さん! しかしながら、お気持ちは大変嬉しいのですが、このトーマス・ブラウン、路頭に迷っている訳ではないのです」
そう言って氏は、被っていない帽子の位置を直すような仕草をした。
「言うなれば、人生の道を見失っている、という訳でして、ごろごろ」
レインが眉根を寄せて、
「猫氏が“人”生とはこれ如何に、とも思うが、つまり氏の仰るのは“夢や希望を失った”とか、そういう意味であろうか?」
トーマス氏は我が意を得たりとばかりに膝を打ち、
「まさにその通り!」
声高らかにそう叫ぶと、木箱の上でタタッと靴の踵を鳴らした。
「にゃあ! 何と聡明なるお嬢さん方か! なれば私も語らざるを得まい!」
「どうかお聞き頂きたい、この“黒猫”トーマス・ブラウンの、華麗にして数奇なる半生の物語を――」
右手を高々と差し上げて、半円を描いて深々と黒猫のお辞儀。
「レディース・エンド・ジェントルメン――……題して第一幕“トーマス・ブラウンの歌”、開幕でございます」
(何か始まった……ッ?!)
レインお姉ちゃんが突っ込みをいれる前に――
「わーい、ぱちぱちぱちー」
観客の拍手。
(逃げ損なったッ?!)
そうです、お姫様。物語とは常に華麗にして数奇、そして唐突に幕開くものなのでございます。それが“人生”――……




