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99.『どっちの世界』に生きたとしても

挿絵(By みてみん)


【葡萄酒はグラス半分(15/15)】

 あれから、10年が過ぎた。



 あたしはあの頃の、ソレラ・クララベルと同じ齢になった。


 あたしは――こっち(・・・)の“世界”に帰って来た。

 そしてあの夜以来、あっち(・・・)の“世界”に行くことはなかった。




 ***********************************


 あの夜あたしが倒れたのは、心因性の疲労から来た発作だった……らしい。特に(さわ)りが残ることもなく、後になれば笑い話になる程度のものだった。

 ちなみに“笑い”の主な部分を担ったのは、心配してくれたあまり泣き過ぎて、(しま)いに目を回して、隣のベッドで共に一夜を明かしたらしい柚子ちゃんだった。今でも史緒さん、和音、柚子ちゃんと会うと、鉄板のネタだ。

「お前ら、いい加減しつけーぞー、10年も前のことをよー」

それぞれ何とか無事大人になって、幸い全員、スポーツ選手にはなれない程度に元気にやっている。けれど、顔を合わせれば猪ノ口病院の子どもの頃に戻る。とは言え、今では会うのは年に一度か二度くらい……


 何もかもが過ぎて、良くも悪くも変わる――……


 今あたしは、公立高校で社会の教鞭(きょうべん)を執っている。とうとうこっちの”世界(オルト)”でも先生(ソレラ)と呼ばれる立場になったって訳だ。わはは。



 病院(こっち)と過ごした数年間、孤児院(あっち)で過ごした数か月。その経験は、あたしに幾つかの“先生”への道を示した。

 例えば、医者の“先生”。うーん、“魔女の薬草学(ウイッチ・クラフト)”がこっちでも使えりゃあ、もうちょい考えたかも? 幼稚園とか小学校とか、それとも福祉施設の“先生”。これはすごく悩んだんだけど、ひとつ強い思いがあって、その道には進まなかった。


 ある部分で“親の代わり”を演じる“先生”は、あの子達(・・・・)先生(ソレラ)だけにしておきたかったんだ。



 自分がこっちの”世界(オルト)”を選んだのか、あっちの“世界(オルト)”から逃げたのか、それは今でも判らない。

 こちらに戻ってすぐは、ずいぶんそのことを考えたけど、それからの人生で幾つも選択を繰り返して、“選ぶ”ってのには“プラスを拾う”と“マイナスを避ける”が入り混じるってこと知り、一概に白黒はっきりするもんじゃないんだと知った。


 けど、訊いてみたいよ。あの人に、あたしは正しかったのかって。



 あの夜以来、あたしがコトレットさんと会うことはなかった。




 ***********************************


 あの銀色の髪、銅色の肌、宝石の目をした異国のおばーちゃんは、次の日も、そのまた次の日も、二度とあの裏庭の木陰のベンチ、あたし達の指定席に姿を現すことはなかった。


 先生や看護師さん達に訊いても、コトレットさんを知っている人はいなかった。


 史緒さん達に訊いても、コトレットさんを見掛けたことがある奴はいなかった。


 そんな人は、猪ノ口病院に入院して――存在して(・・・・)いなかった。



 コトレットさんは、幻だったのだろうか……?



 でもあたしは、あの人の手の温もりを覚えている。にっと白い歯を見せる笑顔を覚えている。信じられないような、ガーネットのような真っ赤な色の、その瞳を覚えている。

「るああ。スズさんなら、きっと大丈夫さ――……」

そう言ってくれたコトレットさんの声を、今でもはっきりと。


 あたしは、コトレットさんはあっち(・・・)側の人だったんじゃないかと思っている。或いは異世界監視人(クストーデ)と名乗る、コトレットさんと同じ髪と目の色をした少女がいるの領域の。或いは……コトレットさんとあの少女は、同じ人だったのではないかと。 


 全ては遠い日の憶測に過ぎず、確かめるすべはない。


 あたしに言えることは、あの短くも不思議な少女時代のいち時期に、コトレットさんは確かにいて、“異世界”(カルーシア)は確かにあって……



 マグニ、ナリ――……あの子達は確かにいた、ただそれだけだ。




 ***********************************


 勤めている学校が、2学期も終わりに近づいたある日――……


 廊下の窓から見える空も曇天(どんてん)で、こう冷える日の校舎は石造りのアプコ・オース砦を思い出させる。

(もうすぐクリスマスかあ……)

町も、テレビから流れる音楽も浮かれ浮足立って、終業式を控えた生徒達も糸の切れた風船のようだが、このあたしにはとんと浮いた話がないのは何でなんだぜ?


 これが本当の“お独り様の鈴ちゃん(シングル・ベル)”……って、やかましいわ。

 そもそも、12月は“先生が走る”って書くんだ、忙しーんだよ、バーカ。


 「あの……椋田先生?」


 と、階段を上がって来る声に呼び止められた。知っている声、生徒ではない、大人の女性の声。つまり保護者。でもあたしは、その人の混乱した、憔悴(しょうすい)した、悲しみに沈んだ声しか聞いたことがない。


 「逢坂君のお母さん……」


 振り向いたあたしに、生徒の母親が深々とお辞儀をした。



 その生徒――逢坂悠馬(オウサカ・ユウマ)は二ヶ月前、学校から忽然(こつぜん)と姿を消した。


 彼がいなくなったのが体育の授業中、教科書や弁当はおろか、制服すら残したまま、少年の行方は今日に至るまで手掛かりも知れない。

 部活は剣道部、成績は中の上ってとこだけど、よりによって担任の教える社会だけがちょい悪い。目立って前に出るタイプじゃないけど、人の手が荷物で(ふさ)がってると、さりげにすっとドア開けてやるような奴だった。あたしは初めて顔見た時から、誰かに似てると思ってるんだけど、誰だっけなあ……


 生徒達の間からは、「あいつ、異世界転移したんじゃないか」という、あたしとしちゃあ笑えねえ話も出てきている。


 母親は担任として会うたび、顔に心労を深め、あたしにできることは根拠のない(はげ)ましと、逢阪が戻った時のためにあれこれ整えておくことぐらいで……



 それは久しぶりに、アプコ・オースの夜の無力感を思い起こさせた。




 ***********************************


 けれど、今日の彼女の声は、あたしの耳にはどこか晴れやかに響いた。


 そして、これまでになく穏やかな顔をしていた。言うなれば、それは“納得のいく結末を迎えようとする人の顔”だ。あたしは、これと同じ表情を見たことがある。


 (“雷神”トール……“悪神”ロキ――……)


 「先生、聞いてください。あの子から……悠馬から手紙が届いたんです」


 そう言って彼女が差し出したのは、不思議な手紙だった。封筒は羊皮紙か何かで出来ているようで、しかも封蝋(ふうろう)なんてしてある。男子学生にしてはハンクラ的と言おうか、妙に小洒落(こじゃれ)たセンスの代物だ。しかも、切手が貼っていない。


 うん……? あれ、この(ろう)()してある刻印、どこかで……


 「先生、あの子は……どこか遠い世界にいるのだそうです」


 心臓が、久しぶりに胸の中で跳ねた。遠い、“世界”だって?


 「この手紙は、昨日訪ねて来た子が届けてくれたのです。魔法使いみたいな恰好の、赤い目をしたお人形のような女の子でした」


 その言葉は、否応なく彼女(・・)を連想させる。


 それってまさか、あの“お節介な異世界監視人(クストーデ)”?

 それとも……もしかして、コトレットさん、あなたなのか……?



 あたしは恐る恐る、逢阪の手紙を受け取った。

「先生、あの子の手紙には、何と言うか、漫画かゲームのようなことが書いてあって、私には何のことか半分も理解(わか)りません。ただ、あの子は遠い世界にいて、元気に暮らしていて……」

その封筒を手に取って、ざらっとした皮の感触に、あたしの記憶が甦る。


 「もう、二度と戻って来ることはないのだと」


 そうだ、あたしはこの刻印をした手紙を、以前に受け取ったことがあるんだ。



 『急ぎではないのですが、この手紙を、こちらから出しては頂けませんか』


 あの傭兵――妹思いのお兄ちゃん(ブランシェさん)、あの人が――……

 逢坂悠馬、お前、カルーシア(あっち)に行ってたのか……!



 こっちとあっちの“世界(オルト)”では、時間の繋がりも、流れ方もデタラメだ。あっちとこっちで浦島太郎、あの病弱だった少女は10年の時を超えて、“異世界”に消えた教え子と出会っていた……あたしはあの時の未来、現在のカルーシアに“転移(トランジ)”していたってことなのか……

 しかも、逢坂悠馬のあの堂に入った傭兵っぷりからすると、あたしと出会ったのは、今よりまだ少し先のあっちの彼なのだろうと思われる。いずれにせよ……



 逢阪、お前は、そっちを選んでしまったのかよ……?




 ***********************************


 逢坂のお母さんは、少し陰りのある微笑みを浮かべた。あたしは知ってる、それは痛みを堪えて笑う顔だ。あたしは子どもの頃に、そうやって笑う親達を何人も見てきた。それは喪失(そうしつ)を受け入れた、悲しくも、気高い母親の顔だ。

「なぜでしょう――……突拍子もない話なのに、私には判るんです、あの子の書いて寄越したことは本当なのだと。あの子はどこか遠い“世界”に行ってしまって、でも、元気にしているのだと。おかしいと思われるでしょうが……」

「いいえ、思いません」

あたしは頭を振った。

「きっと、“お母さん”だから、ですよ」


 あたしがそう言うと、彼女ははっとして顔をして、

「そう……かもしれません」

ちょっと困惑したように笑う。

「なぜなのでしょう。この親でも信じられないようなお話が、椋田先生にはご理解頂けると、なぜかそんな気がして……」

言葉が切れて、二人とも、見るともなく窓の外へ目を向ける。


 「あ……」

 「雪――……」


 いつのまにか、雪が降り始めていた。



 性悪な冬の女王様(イヴェール・レジナ)――アプコ・オースの吹雪(トルメンタ)とは比べるべくもないけど、あたしはひらひらと舞う雪に、マグニ、ナリ、孤児院の子ども達、そして逢坂悠馬の顔を思い浮かべる。逢坂のお母さんが、窓に手を当て、呟いた。

「きれいですね……雪は、寒いけど、とてもきれい……」

あたしは思わずこう返していた。


 「何事も、“グラスに半分の葡萄酒”なんですよ――……」


 彼女が問いたげに微笑んで首を傾げた。

「“きれいだけど寒い”、じゃなくて、“寒いけどきれい”だって、笑って歩いていくしかないんです。何があっても、どこにいたって(・・・・・・・)

あたしは笑い返した。いつもの生徒や父兄向けの”天使の猫被り“ではなく、にっと歯を見せる、あたしの特別な笑い方。

「逢坂さん、この手紙を拝見させてください。それで、もしお時間がおありだったら――……ひとつ私の子どもの頃のお話をお聞きくださいませんか?」



 「私が逢坂さんのお話も、悠馬君の話も、全て信じられる理由を……」




 ***********************************


 結局あたしは、折角“異世界転移(オルト・トランジ)”を経験していながら、このありふれた、つまんない世界で生きることを選んでしまった。


 今でも時々、いやずっとかな、あたしの選択は正しかったのかどーか、疑問に思ったり後悔したりしながら、あたしはこっちで生きている。絶対に答えの出ない問いだとは、理解(わか)っている。たぶんあっちに残ったって、あたしは同じよーに首を(ひね)り、不平を漏らして生きていくんだ。


 ただひとつ、願い事がかなうなら、もう一度コトレットさんに会いたいな。


 もし会えるなら、問い詰めてやるんだ。本当は、どっちの“世界(オルト)”が正解だったんだよって、半分こにした肉まんを差し出しながら。

 でも……訊く前から、答えは判ってるんだけどね。コトレットさんは、白い歯を見せて、にっと笑ってこういうのさ。



 それもまた――……“グラスに半分の葡萄酒ヴァン・ヘミシュ・オー・ルヴェル”さ、ってね。

                            挿絵(By みてみん)

                      ~“葡萄酒はグラス半分”・完~

次章【ミシェルの絵本】


傭兵ユマの妹ミシェル、カルーシア第三王女ブラネージュ姫。ひょんなことから出会った幼い少女二人の前に現れたのは、長靴を穿いた喋る黒猫……?!


挿絵(By みてみん)

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