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98.『あっちの世界』の父と子と

挿絵(By みてみん)


【葡萄酒はグラス半分(14/15)】

 “戦士の護り紋(ウゾル)”には祖先の霊が宿り、力と加護を与えるという――……


 いつかマグニが、誇らしさに頬を赤らめて、教えてくれたことだ。あたしは、それを日本人にも親しみ深い祖霊信仰だと理解したけど、刺青(ウゾル)の力は魔除け願掛け(そんなもの)ではなかった。彼らの祈りは、信仰ではなくもっと実際的な魔術だった。

「ど……どういうことだよ。あんた、本当に“雷神”ナントカって人なのか? 自分の子どもに、いったい何をしたんだよ……?」

混乱するあたしに、マグニの姿を借りた者が口を開く。その声を聞くほど、あたしははっきりと、喋っているのがマグニではないと感じた。


 「この子(・・・)は、この刺青のことを、何か話しませんでしたかな?」

 「マグニは……祖先の霊が宿ってくれるって、嬉しそうに言――……」


 あたしは目を見開いた。“祖先の霊”が“宿る”……それは、仏さんが守ってくれる的な意味じゃなくて、文字通りそう(・・・・・・)だと?

「待ってくれ、冗談だろう……?」


 「あんた達は、そのために(・・・・・)自ら命を絶ったってのか?」


 マグニ/トールは黙ってじっとあたしを見つめた。沈黙こそ雄弁な答えだった。



 何て戦い方をするんだよ、北方の戦士(ベルセルク)


 彼らは、自分自身が“祖先の霊”になるために、自決したんだ。父は死を選び、我が子の体に憑依(ひょうい)する。あどけない姿で油断を誘い、虎視眈々(こしたんたん)と隙を狙って、最後のひと太刀を浴びせるがために。


 何で、そうまでして戦うんだ、狂戦士達(ベルセルク)よ。


 「それは、“雷神”……勝つための戦(・・・・・・)いじゃない(・・・・・)だろう……?」


 虜囚(りょしゅう)として朽ち果てるのではなく、戦士として散るために。

「あんたはそれで良くても、マグニはあんたの道具じゃないだろう!」

「ああ、この子は道具ではないさ――……」

マグニ/トールは冬の海のような瞳で、あたしを見据えた。



 「この子らは、誇り高きオーディンの戦士(アインヘルヤル)だ」



 “雷神”の語気は異名に違わず、雲間を走る雷光のように鋭さを帯びる。

「アスガルドの子らは戦士だ、それは否定してくださるな。おつもりのないことは承知しているが、彼らを侮辱することになる」

重々しい言葉は、まるでひとつずつがハンマーのひと振りだ。

「我らは無理に彼らの体を奪ったのではない。我らと子らは護り紋を通じ、多くを語り合った。彼らは十分に理解し、覚悟を決め、そして定めを受け入れた」


 「それは――……だけど、子どもだ」

 「されど、戦士だ」


 マグニ/トールは鉄槌(てっつい)を下すように、断固言い放った。でも、あの子達は……あたしは、あの子達を……

「子どもだッ! 大人(あんた)の勝手で連れて行くな、“雷神”! 死んで終わらそうとすんな、残して行け、生かしておけ、“雷神”――……」



 「できんッ!」



 ついに――……“雷神”トールの雷が落ちた。

「それはソレラの考えだ。それは教会の考えだ。それは女の考えだ。それはカルーシア人の考えだ。それは勝者の考えだ。それは、我らの考えとは違う」


 「アスガルドの民には、誇りは死よりも重い。ここにいれば、いずれ子らはカルーシアに(くみ)することを強いられるだろう。娘達とて同じこと。理解してくれとは申さぬ、だから、そちらも理解せよと言うてくださるな」


 「我らは、相容(あいい)れぬ。故に、愚かにも100年をいがみ合うているのだ」



 「断てませんか(・・・・・・)、“雷神”……?」

 「断てませぬ(・・・・・)。このわしも愚か故に」



 そう言って笑ったトールは、とてもマグニに似ていた。マグニの顔で笑ってるんだから、当然なんだけど、その笑い方はやはり父子なんだと思った。


 ルードヴィク所長は言っていた、北方の子らは狼の子。北の狼、はぐれ狼。狼の引いた一線を、人は軽々しく越えてはいけない。

「ソレラもカルーシアの民ではないでしょう……その髪と目は、東方(エステ)の民だろうか……いずれ、我らの間に遺恨(いこん)はありませぬ。私が孤児院(ここ)でそなたを待ったのは、言い争うためではない、ただひと言、礼を言いたかったがため」



 「孤児院(ここ)で待てばお会いできると、この子ら(・・・・)が言ったがためだ」




 ***********************************


 “雷神”がそう言葉を閉じると、すうと護り紋様(ウゾル)の光が薄れ、少年の首ががくりとうな垂れたかと思うと、静かに顔を上げた。

「マグニ……」

気づけばあたしは手燭(てしょく)を取り落とし、少年の肩を抱き締めていた。少年の小さな手が、少し躊躇(ためら)いがあってから、あたしを抱き返した。

「ソレラ……」

「何を……やってんだよ……?」

「ごめんなさい、ソレラ」

「ナリ、お前もこっち来いっ!」

「え? お、おう……」

暗がりの少年が、びくっとして、それからおずおずと近づいて来た。あたしが捕獲して、頭を抱え込むと、悪戯小僧(あくたれ)は形ばかり抵抗して、すぐ大人しくなった。



 「お前ら、バカヤロー……こんなことしろって、あたし、教えたかあ……?」

 「ごめんなさい、ソレラ……」

 「ソレラ……な、何かいつもと感じ違うな……」

 「うるせーな、これがあたしの素だよ、バカヤロー……」


 「……あたしが止めても、行くんだな?」

 「……はい……」

 「自分達で決めたことなんだな?」

 「……はい……」

 「そうか……」


 「そうか――……だったら、仕方ねーよな……」


 もう、あたしは涙で何も見えなかった。だから少年達が泣いていたとしても、あたしには判らなかった。


 「ソレラ、本当にごめんなさい(オラ・エルト・マイン)

 「今までありがとう(オーリ・アーチェ)


 「さようなら(ローヴェ・オータ)――……」



 あたしは袖で、涙を拭った。

 少年達は、笑っていた。



 先生、さようなら。みなさん、さようなら――……




 ***********************************


 戦士の護り紋が再び輝きを取り戻し、マグニとナリは、行ってしまった。もう二度と、あの子達に会うことはないだろう、たぶん。

「ソレラ、我が子らが……いや、私自身も、そなたと会えて良かったよ」

戻ってきた“雷神”は、深くあたしに頭を下げた。

「娘のことも礼を言う。最期まであなたは、スルーズの傍にいてくれたと聞いている。あなたのおかげで、あの子の魂は救われた」

あたしは拳を握り締めて、もう外聞もなく顔をぐしゃぐしゃにしていた。

「誰も……救えてねえよ……あたしは、誰一人助けられなかったよ……」

“雷神”は静かに首を振った。

「いや、救うてくださったのだ」


 「この北の果て(ノルド)、この石の建物(ホルト)では、温もりとは得難いものなのだから」


 それを最後に、“雷神”とその息子はあたしに背を向けた。

「さらばだ、心優しき戦場の乙女(ヴァルキューレ)よ」

ああ、行ってしまう……戦士達が逝ってしまう――……

「“雷神”――……!」



 「それは、自分の子を犠牲にしてまで、しなければならないことなのかよっ?」



 北方の戦士(ベルセルク)が足を止めた。

「その問いには、部族の(おさ)としてか、父としてかで、別の答えを返そうよ」

振り返って(ほが)らかに笑って、部族の長(・・・・)は去って行った。


 「そなたに、フリッグ神の加護のあらんことを――……」


  “雷神”を腕組みして見送ったナリが、にやっと笑った。

「あんた、どことなく俺の女房に似てんだなあ。ウチの坊主も、最後に母ちゃんに甘えられて、嬉しかったと思うぜ」

そう言って、ナリは自分の細い胸板と腰をぱんぱんと叩いた。

「俺ァもちっと、この辺りがどっしりとしてる方が好みだがねえ。ま、嬢ちゃん(ソレラ)も後10年くらいしたら、脂の乗ったいい女になるだろうさ」

実年齢からだと20年後かよ……そこまで若く見えるか、日本人。

「“悪神”ロキ……あたしは砦にも大切な人がいる。あんたの武運は祈れねえ。けれど……あんたの魂に、救いが訪れるように祈るよ」

“雷神”の右腕と呼ばれる男は、実に稚気(ちき)(あふ)れた笑顔を広げて、

「ありがとよ。ついでにひとつ頼まれてくれるか?」

「何だ?」


 「ナリの代わりに、ジェネの親父に謝っておいてくれ――……」


 “悪神”ロキは身を投げるように陰に飛び込むと、溶けて消えた。



 そしてあたしと、存在する意味を失った孤児院(カーサ・オルバ)が残された。

 いや、ソレラ・クララベル(このあたし)も、もう存在する意味はないだろう。


 手燭(てしょく)の火は落とした時に消えていた。僅かな灯りと静寂の中で、目を閉じると薄闇は暗黒に塗り潰され、半ば予想した通りに――



 あたしはまた、アプコ・オース(カルーシア)側を離れた。




 ***********************************


 けれど、猪ノ口病院(あたしの)側に戻った訳でもなかった。


 あたしが来たのは、あの白日夢の”世界(オルト)”、赤い目の少女と出会った、明るいとも暗いともつかない、曖昧で朧気で胡乱な場所だった。少女は前のように、足元に大きな犬(カーネ)を寝そべらせて、(たたず)んでいた。


 柔らかく被った黒頭巾から、薄い白銀の髪を覗かせて、深い赤色の瞳が覗いて、じっとあたしを見つめていた。



 ねえ、異世界監視人(クストーデ)さん。”世界(オルト)”って、辛いね。


 「るああ。そうかい?」


 うん、あたしは、何もできなかったよ。


 「そんなことないだろう」


 ううん、できなかった。


 元の“世界”ではさ、あたしは死にかけててさ。あっちの“世界”じゃあ、みんなが死にかけててさ。なんか、辛いことばっかだな。意味がないよなあ。どっちの“世界”にもイヤになっちゃうよなあ。



 異世界監視人(クストーデ)は、少し悲しそうな目であたしを見ていた。その目をあたしは知っていた。その唇が動いて、(つづ)った言葉も知っていた。


 「あの子らと過ごしたお前の時間に、意味がなくなんてないよ」


 でも、あたしはあの子達の命を助けられなかった(・・・・・・・・・)


 「あの子達の心は助けたよ(・・・・・)



 「るああ。結果だけじゃないだろう? 結果だけなんだったら、いずれみんな死ぬ、いつか全ては消える……だとしたら、アタシは何のために――……」



 理解(わか)るけど……理解(わか)るけど、けれど、空っぽの部分が大き過ぎるよ。


 「“半分”だよ」


 “半分”――……


 「“グラスに半分の葡萄酒ヴァン・ヘミシュ・オー・ルヴェル”、いつだってそれは“半分”なんだよ」


 そう……なんだろうか。そう、なんだろうな。そう、思うしかないよね。


 「お前の“世界”にも、お前を待っている奴がいるぞ」


 あたし、こっちの“世界(オルト)”に戻っても死なない?


 「死なないよ、すぐにはね。こっちの“世界(グラス)”には葡萄酒(ヴァン)は半分」


 あっちの”世界(オルト)”で、また子ども達に会える?


 「別の子達、にね。先生(ソレラ)ってのは、出会って、別れて、見送る仕事だろう? あっちの“世界(グラス)”にも葡萄酒(ヴァン)は半分」



 「さあ、スズ。お前はどっちの“世界(グラス)”を選ぶ――……?」



 そうだね、あたしが選ぶのは――……




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