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93.『あっちの世界』のグラスのもう半分

挿絵(By みてみん)

【葡萄酒はグラス半分(9/15)】

 アプコ・オース孤児院であたしは、子ども達に教義と勉強を教える以上に、多くのことを教えられて過ごしている。


 これでも子どもの扱いだって、結構上達してしてきたんだぜ。


 例によって修道女(ソレラ)の聖なるお尻にタッチし、不敵なナリに、あたしは天使の微笑を(たた)えながら呼吸を計り――少年が息を吐いた瞬間、一気に距離を詰めた。

「あっ?!」

はい、捕獲―。細い手首と肩を取って、

「ナリは女の人のお尻が好きなのねー、だったらお胸はどうかしらー?」

歌うように言いながら、豊かな……まあ、14歳(あっち)と比べりゃ多少は成長の見られる胸に、少年の頭を抱き寄せてやる。

「わふっ?!」

「もー、赤ちゃんみたいねー、先生に甘えたかったのかしらー?」

そう言って少年の耳元に口を寄せ、小声で低く、


 「諦めな、小僧(チッカ)。このまま絶対に逃がさんぞ」


 囁いてやると、ちょっと動きに迷いが伝わってきたが、くぐもった声で、

「ま、参った……ごめんってば、ソレラ……」

悪戯(いたずら)坊主が降参した。

「おっおぅ……ロキの息子が負けた」

「すごい、先生。“雷神”より強いかも」

フォルセティとフスンが、目を丸くして顔を見合わせた。



 ジェネ隊長に聞いた話では、ナリの父のロキという人は、マグニとスルーズの父親である“雷神”トールを長とする部族の軍師、知略策謀に長け、“雷神”の右腕、或いは“悪神”ロキの名で恐れられていたのだそうだ。曰く、

「“雷神”トールの雷が轟くところ、“悪神”ロキの影が走る」

しかしカーサ・オルバの子ども達が言うには、ロキはかなり稚気(ちき)(あふ)れるおっちゃんらしく、子どもにしょーもない悪さを教えたり、酒飲ませたり、勝手に狩りに連れてってトールを呆れさせるのが常だったそーな。曰く、

「“悪神”ロキのおふざけが過ぎりゃ、“雷神”トールの雷が落ちる」

どんなことにも二面性がある。ルードヴィク所長に教えられたことだ。



 ナリはそんな“悪神”の血を引く、生粋(きっすい)悪戯(いたずら)小僧、ふざけ者(トリックスター)サラブレット(スレイプニル)。ここの他の子ども達と同様、ナリも父親のことをとても誇りにしていて、父親のような戦士になることを夢見ている……今はもっぱら、“戦いではない方の才能”を伸ばしているよーだが。


 まあ、まだまだチッコに負ける椋田鈴ちゃん(ソレラ・クララベル)ではないがな。


 何つーか、ここんちの母ちゃん大変だったろうな。息子も悪ガキ、親父も悪ガキなんだもの。けれど二人との日々は、彼女にとってグラス半分の葡萄酒(ぶどうしゅ)だったはずだ。彼女が今どうしているかは知らないが……


 確かなことは、彼女の傍には夫も息子ももういない。



 ”雷神“も”悪神“も、今はもう(とら)われの神々だった――……




 ***********************************


 グラスから急に手を離して、床に落とせば、当然割れてしまう。

 怖いのは、手にしているものが、壊れ物(グラス)だと気づいていない時。


 グラスを持っているのに気づいてなくて、急に背中を押された時だ……



 さて、その日、目が覚めて――病院側(こっち)の“世界(オルト)”からカルーシアに来てすぐに、(とりで)内の落ち着かない様子に気づいた。兵隊さん達が、朝っぱらからこうもバタバタしてるのもいつにないことだし、表情は暗く、声は低く、どうにも只事でない雰囲気が漂っている。

 が、(とりで)の中の軍の問題(アレコレ)国教会(あたし)が口を突っ込んでいい領域ではない。気にはなったけど、向こうから知らせてくるまでは、とりあえずこっちは通常営業だ。身支度(みじたく)を整え、孤児院区画(カーサ・オルバ)に入る。


 厳重な扉3枚で外と隔てられた孤児院は、今はまだ、普段と変わらない空気が流れていた。ただ、今朝はまだ朝食が運ばれてきていないらしい。いつもなら食事当番の兵士が運んできた質素な食事を、子ども達と一緒に取ることになっている。あれ、今ふと気づいたんだけど、あたし、一日6食メシ食ってねーか?


 しかし子どもらには本日一回目のメシ、育ち盛りだ、無いじゃ困る。



 みんな困惑してるし、マグニは考え事に沈むように自分の手に目を落としてている。フォルセティもフノスも、ブラギ、ヴィーザル、ヘルモード、ホズ……どの子も問いたげにあたしの顔を見つめるが、あたしにも状況は判らない。ナリが耳慣れない北方国の言葉で悪態を吐き、テーブルに頬杖をつく。

「先生え、腹減っちったんだけどぉ? 何なの、カルーシア人は時計が読めねーのか、それともビンボーで捕虜(ほりょ)のメシの用意も出来ない訳?」

“悪神”の息子は、弓の弦を引く仕草で、見えない矢を天井に飛ばした。

「ソレラ、俺に弓貸してくれない?」


 「この時期でも、カオリンチュくらいだったら御馳走するよ」

 「駄目よ、カオリンチュは」


 あたしは半分くらい上の空で、悪ガキを(なだ)めた。

「カオリンチュは教会のシンボルだから、先生は食べられないわ……」

野生動物のくせに警戒心のまるで足りないカオリンチュは、あまりに軽食感覚で捕食される様子から、自己犠牲精神を買われて国教会で神聖視されている。

(このパンをカオリンチュの肉、葡萄酒をカオリンチュの血を思いなさい、てか)

いずれにせよあたしは、あのデカいビーバーみたいな奴、食うのは抵抗あるな。



 そんなことを話していると、遅ればせに孤児院区画の分厚い扉が開いた。




 ***********************************


 けれど入って来たのは朝ごはんではなく、我が愛するおっちゃん(オンク)警備隊長の(カピタン)ジェネ・ビーヴ。数人の部下を連れたジェネさんは、いつになく険しい顔で子ども達を見渡し、私に言った。

「申し訳ない、ソレラ。少々問題が起きましてな。孤児達を部屋に戻し、先生もご自分の部屋で待機して頂きたい。あー……子ども達よ、聞いての通りだ。腹が減っているかとは思うが、済まんが朝メシは今少し待ってもらいたい」

「あの……何かあったのでしょうか?」

あたしは兵士達の只ならぬ様子に、思わずそう問うた。思えば、この質問はあたしが下手を打った。ジェネ隊長が躊躇(ちゅうちょ)した一瞬に、傍らにいた大柄な若い兵士があたしの問いに答えた。 


 「はっ! ソレラ、昨夜捕虜(ほりょ)の集団自決がありまして――」


 飛び出した言葉の意味が染み渡ると、あたしの息が、子ども達の顔が、孤児院の空気が凍りついた。

 この(とりで)において、捕虜(ほりょ)とは北方国(アスガルド)人の戦士――……つまり、この孤児院に収容されている子ども達の、父親(ペーレ)達を指す。



 ジェネさんは若い兵士の肩を(つか)んで振り向かせると、いきなり床に殴り倒した。孤児達から息を飲む音、小さな悲鳴が上がる。

「馬鹿野郎。少し考えてから口を開け」

ジェネさんが低い声で言うと、

「……! も、申し訳ありません!」

若い兵士は己の失態に思い至り、身を起こしながら詫びた。その頬は、早くも腫れ上がりつつある。

 子ども達は。幼い子達は何のことか判っていないものの、ある程度の歳の子は驚き青褪(あおざ)めている。特に族長トールの子・マグニと、ロキの子・ナリは、唇を血の気を失うほど結んだ、痛々しい顔をしていた。


 カピタン・ジェネは沈痛な面持ちで奥歯を噛んでいたが、顔を上げ――

「全員……敬礼ッ!」

空気を震わせるような声で、号令を飛ばした。殴られた兵士も跳ね起きて、隊長以下4名、胸を張り、曲げた肘を内に向けるカルーシア式敬礼の姿勢を取る。

「諸君!」

ジェネ隊長は、背筋を反らせるほどぴんと伸ばし、孤児達に向かって叫んだ。


 「諸君のお父上達は、偉大な戦士であり、その誇りを貫き、立派な最期を遂げられた! 我々はアスガルドの誇り高き戦士達に、敬意を表する!」


 兵士達はそのままたっぷり10秒姿勢を崩さず、子ども達に真剣に、そして一人の人間として礼を尽くした。




 ***********************************


 それからジェネさんは、部下達にそれぞれ指示を与え、自分は孤児院区画に残った。副隊長のペピートさんが立ち去り際、

ジェネ隊長(カピタン)捕虜(ほりょ)に敬礼は軍律違反ですなあ」

そう言って、苦笑いをした。

「何だ、ペピート。お前、俺と一緒に営倉でイモの皮を剥きたいのか?」

「なァに、黙っとりゃ判りませんで。まあ、隊長が来いと申されるなら、私はどこへなりお供致しますが」

ジェネさんも苦笑して、「さっさと行け」と追い払う。ペピートさんはあたしに軽い敬礼をして、残りの兵を連れ部屋を去った。



 孤児院区画は……子ども達は静まり返っている。



 「ソレラ――……」

部下達が行ってしまうと、ジェネさんは隊長の顔(カピタン)からおっちゃん(オンク)になって、

「まことに面目(めんぼく)ないことだ。まずは先に先生にお伝えするつもりだったんだがな。若いのに釘の刺し方ぁ足りなかったようだ。済まん、俺のせいだ」

「いえ、そんな……」

上手く言葉が出て来ない。あたしは……ソレラだから、今、子ども達を……守らなくちゃならないのは、あたしなのに……


 「(ひげ)のおっさん……」


 いつのまにかナリが傍らに来ていて、ジェネさんを見上げていた。

「おっさん、俺の親父も死んだのか?」

ジェネさんは敵国の少年の目を、じっと覗き込んだ。

「……ああ。お前の親父さんも死んだ」

ナリは敵国の兵士の目を、じっと見返した。

「そうか。親父は立派に死んだか?」

「ああ。“雷神の右腕”の名に恥じない最期だったよ」

少年と兵士はじっと見つめ合い――……少年は、笑った。

「そうか。だったら良かった(・・・・)



 「何がっ! 何が、良かったの!?」



 気づけばあたしの口から叫びが飛び出していた。ナリも子ども達も、ジェネのおっちゃんも、普段は温厚柔和な先生(ソレサ)らしからぬ、感情的なあたしの声に驚いた視線を集めた。

 「しまった」と思ったけど、気持ちはすぐには静められなかった。肉親の死を知ったばかりの子ども、その死に直接的にしろ間接的にしろ関わっている男。どう考えてもあたしが一番蚊帳(かや)の外なのに、たぶん一番動揺してしまっている。


 (モルテ)というものへの覚悟が、誰よりも足りない。


 戦士を父に持つ子ども達、兵を活計(たずき)にする男、この厳しい“世界(オルト)”に生きている彼らは、多かれ少なかれ、“死”というものの扱いを学んでいるのかもしれない。けれど、本来はあの平和な”世界(オルト)”に生きているあたしは、病院という普通よりは少し“死”の身近な場所で多くの時間を過ごしていても、それでも目の前に突きつけられたこの死(・・・)を受け止めるには幼過ぎた。


 本当のあたしは、孤児院の先生(オトナ)なんかじゃなくて、ナリやマグニとは二つ三つしか齢の離れていない、ただの中学生(コドモ)なんだ。

(そうだ、マグニ――)

びっくりした子ども達の中から、青い目のマグニの顔を探す。そうだ、マグニは、ついこの前、(スルーズ)を失くしたばかりだ。


 また、じゃないか。本当に、(ひと)りぼっちになっちゃうじゃないか。

 神様、何でこの子から、取り上げてばっかなんだよ。

 

 マグニを見つけた。マグニは、静かで、どこか思い詰めたような顔をしている。それは……いったい、どういう感情なんだ? あたしは少年に問い掛けようと、一歩足を踏み出す――



 と、その視界が唐突に、ぐにゃりと歪んだ。



 同時にふっと音も遠ざかった。何かこう、頭がぐらんぐらんするような感覚だけど、眩暈(めまい)とは……気を失いそうなのとも違う感じ……意識ははっきりと保ったまま、自分の体を離れるような、これは、まさか――……



 あたしは初めて、目を覚ましたまま、“異世界転移”しようとしている……?




 ***********************************


 あたしは目を開いた。気持ちの悪い浮遊感を引きずり、ほんのしばらく見当識を失ったけど、長くは続かなかった。

 ほぼ真っ暗に近かったけど、頭側の壁付けライトを点ける前に、自分が病院のベッドに寝ているのは判った。常夜灯を灯すとオーバーテーブルの、愛用のカエルちゃんマグカップと目覚まし時計が見えた。


 午前3時半――……


 あっちで夜ベッドに入ると、いつもは朝方にこっちで起きる。今回はイレギュラーな“転移”が起きたから、おかしな時間にこっちに戻って来てしまったようだ。



 そこであたしは、“転移”前の孤児院の状況を思い出した。



 戻らなくちゃ――


 向こうの自分(ソレラ・クララベル)が今どんな状態でいるか判らないけど、たぶん気を失っているんじゃないかと思う。そんな場合じゃないのに。

 情けない14のガキ(こんなあたし)だけど、今は、ソレラ・クララベル(こんなあたし)があの子達の傍にいなくちゃいけないんだ。


 頭から布団を被り、目を固く閉じる。(たかぶ)った神経に、眠りはなかなか訪れなかったけど、やがてあたしは黒い闇の中へ落ち込んでいき――……




 ***********************************


 ……――時計のアラームの音で、目を覚ました。


 「え……?」

目を開けたあたしが見たのは、朝の光、真っ白なシーツ、薄ベージュのカーテン、オーバーテーブルの時計とカエルのマグカップ……

「ここ……こっちの“世界(オルト)”……?」



 あたしは今……この夢を見始めて、“異世界転移(オルト・トランジ)”が始まって以来初めて……二つの“世界(オルト)”を行き来することなしで目を覚ましたのだった。




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