92.『あっちの世界』の手紙と金貨
スルーズの看病のため、昼夜問わず孤児院区画に居座った件については、後でアプコ・オースの責任者、ルードヴィク所長にがっつりお叱りを受けた。
「ソレラ・クララベル。私は師の教育者としての立場には一定の理解を示しているつもりだし、姿勢には率直に敬意を抱いていると申し上げたい」
長身だけどヒョロくはなく、しなるムチのようなルードヴィク所長は、いかにもなカイゼル髭を捻りつつ、デスク越しにあたしを見据えた。
「しかしながら、ソレラ。私どもの仕事に対しても、理解と敬意をお持ち頂きたいものですな。ここが軍の施設である以上、規則規律というものを軽く見てられては困るのです」
肘をついて手を組んだ上から、圧倒的威圧感の視線を飛ばす所長、
「申し訳ありません、サー・ルードヴィク。今後決してこのようなことは」
対して、スルーズを助けられなかった直後のあたしの鼻は、今思えば、だいぶ木で括ったものだったようだ。
軍人は小さく目を見開き、ふうとため息をついて、それから椅子の上でほんの僅かに姿勢を崩した。
「ソレラ。誤解がないよう申し上げておこう。我々兵隊というものは、師には、何やら矢鱈に規則規則と煩くに見えるやもしれんが、何も威張りたいからとしとる訳ではないのだ。どの規則も、きちんと理由があるのです、当然ながら」
いいですか、と軍人は自制された眼差しであたしを見据える。
「北方国では、男子は10歳にもなれば戦士としての技術を身につけている。油断した兵が少年兵に不意を突かれて……という例はあるんです、実際この砦でも、過去にね。ソレラが先生として見ている子ども達は、狼の仔なのだ。良いか、リュコスの仔は、小さくてもちゃんと牙を持っているものなのです」
そう言うと、ルードヴィク所長は椅子に背を預けた。ぎしり、と音がした。
「だから、我々は兵士として彼らを見張る。あのあどけない、幼気な子ども達をね。それが我らの責務であり、そのための規則なのだ。お判り頂けますかな?」
これを聞いて、あたしは少し反省した。
あたしは所長を典型的なヤな軍人、頭の固いわからず屋と思っていたけど、色眼鏡を鼻に乗っけていたのはあたしの方だったみたいだ。そりゃあ、国境の砦を預かってるんだもの、立場もあれば責任もあるよな。
結局あたしには物事の一面しか見ていなくて、彼の言う通り、アスガルドの子ども達には、あたしに見えていない知らない顔があるのかもしれない。だから、
「理解致しました、ルードヴィク所長。以後気をつけます」
今度は心から頭を下げた。ルードヴィク所長は椅子に掛け直し、重々しく頷いた。
「ご理解頂けたようで何よりだ。ただ……ソレラ」
そこで不意に軍人は、ちょっと見では気づかないくらいに、表情を緩めた。
「師は、あの子達を先生として見てやるのが良いでしょう。監視するのは我々の役目だ、任せてくれていい」
思わず驚きが顔に出てしまったらしい私を、所長はじろっと睨んだ。
「教会と兵隊、折角目が二つあるなら、それぞれ見るべきものを見ればいいと話しているだけだ。何もそんな顔をしなくて、良いでしょうに」
おっちゃん、ツンデレか。あたしは笑いを噛み殺すのに必死だった。
ルードヴィク所長は顔を顰め、それから窓の外に目を向けた。この日はこの地方にしては穏やかな天気で、雪も静かに空から降りてきていた。
「……――ソレラの看ておられた、あの少女は、残念しましたな」
所長があたしを振り向くと、もう彼は威圧的でも権柄ずくでもなかった。もしかするとそれも、あたしの心が彼に着せた幻だったのかもしれない。
「貴方は良い教化役です。力を落とされず、頑張って頂きたい」
そこで少し、厳しい責任者の居住まいを正して、
「もちろん、規則順守の上で、ですぞ」
ルードヴィク所長はカイゼル髭をぴんと撫でつけた。
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教化係のお仕事は、子ども達と直接関わるところだけにゃあ留まらない。むしろ縁の下の力持ち的業務が大半を占める。修道女は主の神聖なる雑用係だ。
しかもこの日は通常業務に加え、王都カルーシアからの輸送物資の受け入れにも立ち会わんとならんかったので、勤務時間は際限なく伸びる。こっちの“世界”に労働基準法はない。修道女は運命の眠れる奴隷だ。
アプコ・オース砦を運営するための物資は、王都から輸送隊が運んでくる。と簡単に言って、厳冬期の北方に物資を届けるのは、A●azonにモノ頼むのたあ訳が違う。過酷な寒さは言うに及ばす、道は遠く峻厳で、気まぐれに吹雪のひとつも吹けば、まさに命懸けの越冬隊だ。
一方アプコ・オース側でも陸の孤島と化す冬場は、月に一度の王都からの補給がまさに命綱。北方国もそこを心得えたもので、輸送隊商はしばしば襲撃に晒される。敵の生命線を断ち、ついでに戦利品もたんまりと来りゃ、襲う側にはひと粒で二度美味しい。
まあ、危険な仕事であるけれど、その分実入りもいいから、商人や傭兵の輸送隊参加志願者は多いらしい。てな訳で、王国軍と傭兵部隊が護衛する輸送隊は、運ぶ方も、待つ方も、襲う方も必死のパッチの月イチイベントって訳だ。
あたし? みな様の無事を神様にお祈り申し上げておりますわ。うふふ。
あたしら事務方の戦争は、無事荷物が届いてから火蓋が切られる。あれはこっちだ、それはあっちだ。あれがない、これがない。こうして毎度繰り広げられる、このドタバタ大騒ぎ。
(うーむ……毎回毎回効率の悪ィ。お前ら、ちょっとは学習しろよなあ。ここはひとつ、あたしがト●タ式でも導入すべきだろうか……?)
今度元の“世界”でいっぺんマネジメントでも読んでみるか……
そんなこんなで作業は続くよ、どこまでも。
孤児院で使う雑貨や衣料、特に薬草類を“魔女の薬草学”を駆使して入念にチェックし、ひとまずあたしの仕事は区切りがついた。薬品類は頼んだ全てに認可が下りた訳ではなかったが、まあ、半分しかないではなく半分はあるで参りましょう。
あの時、この薬があれば……という思いは当然胸を過るが、悲しみから心を食いちぎるような獰猛さは既に失せ、今は指先を少し齧られただけだった。
人いきれに少々くたびれたあたしは、荷受け場を離れて、ひと息入れることにした、と、その時のことだった。
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「あの……ソレラ?」
呼び止められて振り向くと、見知らぬ青年が微笑んで会釈していた。物資搬入の喧騒から離れて佇んでいる青年は、身なりからするに、王国軍兵ではなく金で護衛に就いた傭兵のようだ。
あたしの目を引いたのは、青年の顔貌だった。
カルーシア人ではなく、あたしの“世界”で言うところの東洋系、あたしとしちゃあ、何とも親近感の湧く顔立ちをしている。東方国の人だろうか。あたしは武器にはとんと疎いが、腰に下げている日本刀風の剣も、少なくともアプコ・オースで目にしたことはない。
筋肉マンではなく精悍な印象だが、物腰は柔らかく、傭兵暦は浅くなさそうだけど、よく見ると年齢自体は若そうだった。今のあたしよりは下だけど、鈴ちゃんよりはお兄さん、それくらいかと思えた。
こうして向き合う今は、こっちの方がお姉さんなので、あたしは天使の猫被りで応対する。
「どうかされましたか?」
振り向いたあたしの農耕民族的造形に、青年も少し意表を突かれたようだった。
「あ、その……砦の職員の方でしょうか?」
「ええ。そうです。何かお困り事でも?」
便所の場所でも判らんのだろーか。そう思っていると青年は懐から、
「まことに不躾なお願いがあるのですが……」
一通の封筒をあたしに差し出した。
「急ぎではないのですが、この手紙を、ここから出しては頂けませんか」
あたしは記された公用語の宛名に目を走らせ、
「まあ……うふふ、王都の殿方はまめでいらっしゃいますのね」
聖職者らしく慎ましやかに冷やかしてやった。つまり、女性宛てだった訳だ。青年は一緒ぽかんとしたが、
「あ、いや、違う……そうではないのです、ソレラ」
そりゃあもう、可笑しいくらい狼狽えた。
そうすると戦士然とした雰囲気がいっぺんに破れ、もう単なる高校生くらいの兄ちゃんにしか見えない。しかし、その反応は……中学二年が言うのもなんだけど、実にボーヤだぞ、兄ちゃん……
「実はそれは、自分の妹宛てでして……」
「あら、妹さんに」
しどろもどろの兄ちゃんは、人だかりから少し離れて肌寒いくらいに、無駄にかいた額の汗を拭った。と思うと、今度はとても優しい“お”兄ちゃんの顔になる。
「齢の離れた幼い妹でしてね。自分に手紙が来た時に羨ましがってしまって、仕事でよその町に行った時には、そこから妹宛ての手紙を出すよう約束をさせられてしまいまして……」
「まあ、そうでしたの。優しいお兄様ですのね……えーと……」
あたしは封筒の宛名に目を落とした。
「……――ブランシェ様」
「あ、いえ、自分は……」
ファミリー・ネームで呼ぶと、青年は一瞬何か言い掛けたが、
「……商売柄、家を空けることが多いもので、どうも甘やかしていけません。ですから、その手紙はついでの時で結構なのです。帰り旅が順調なら、自分の方が手紙より先に着く。それに妹はまだ字が読めない。それを読み聞かせするのは、どうせ私の役目なのですよ」
そう言って笑った。何つうか、イケメン……いや、イクメンだな、この人。
あたしは快く手紙を受け取った。今なら帰り便の郵便袋に突っ込める。ルードヴィク所長のゴッツい配達許可印を手紙に捺してもらえれば、小さい妹さんならさぞ喜ぶことだろう。
お兄ちゃんの方も喜んで礼を言い、それから世間話の調子で、
「ところで、ソレラ。聖職の方が、辺境の砦でどのようなお仕事を?」
「ふふ、主の光はこの”世界”の隅々まで、遍く照らすものなのです。この砦内には孤児院区画がありまして、私はそこでの仕事に携わらせて頂いております」
それを聞くとブランシェさんははっとしたような、少し複雑な顔をして、おもむろに懐に手を差し入れると……
金貨を一枚差し出した。
「これは……?」
意図を計りかねたあたしが首を傾げると、
「切手代です、ソレラ。あいにく細かいのがなくて」
お兄ちゃんはにっこり笑う。待て、切手代ったらお前、銅貨一枚じゃねーか。それに軍の郵便物に混ぜちまやあ実質タダだし、何にせよ貰えねーだろ、そんな大金。
「いえ、ブランシェ様。こんなにも頂く訳には」
あたしが慌てて受け取り拒否すると、
「あれ? 国教会は寄付ならいつでも受け付けて頂けると思いましたが」
しれっとした顔でそう抜かしやがる。
「傭兵の仕事をしていると、ま、時々罪滅ぼしと言うか験担ぎと言うか、神様にお賽銭のひとつもしたくなるもので。ははは、それに何と言っても、今の私はこの仕事で懐が温かいのですよ」
兄ちゃんは笑いながら、不意に、眼差しだけを真剣にあたしに向けた。
「ソレラ。自分の妹は、ここの子ども達と境遇が似ているのです」
そう言って、お兄ちゃんはまた笑顔に戻り、輸送隊の方へ振り返った。
「ああ、ソレラ。兵士相手に行商人が商売をしに来ている。ポケットの邪魔な小銭を、整理するチャンスですよ。どうやら、甘い物なんかも売っているようだ」
懐から銀貨銅貨を何枚か掴み出し、お兄ちゃんは行商の方へ歩き出した……なーにが、「細かいのがない」だよ。
あたしは金貨を胸に握り締めて、その背中に深々と頭を下げた。
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コトレットさんと出会ってから、あたしの目の前で”世界”が大きく開けたような気がする。
コトレットさんに出会って――……
スルーズと別れて――……
ルードヴィク所長の一面に気づいて――……
ブランシェお兄ちゃんと出会って――……
ああ、“世界”というグラスには、たくさんの葡萄酒が注がれているんだなって、病気のせいで人とは少し違う道を歩いていたあたしの、周りの景色が鮮やかに晴れた、そんな気がしていた。あたしは、グラスに注がれた葡萄酒の意味を知ったと思った。だから……
次にあたしが知らなくてはならないのは、グラスの葡萄酒が満たされていない部分のこと、空っぽの隙間の意味だった。




