春来たる
〈プロローグ〉
どんな人にも春来たる。希望に満ちた人にも、絶望に打ちひしがれる人にも、毎日楽しく過ごす人にも、日々憂鬱に過ごす人にも。今年も例外に漏れることなく春が訪れたことを、桜の花びらが知らせる。
俺は桜を見上げながら歩いていた。地元の見慣れているはずの景色のはずなのに、1年も地元を離れていると不思議と新鮮な景色に見えた。
この桜並木の道を抜けると、転校先である公立N高校がある。これから毎日通ることになるこの道も、少しの間は楽しめそうだと思っていると道の向こうから甲高い金属音が響いてきた。
カァンと鳴り響くその音は聞き間違えるはずのない、金属バットが硬球を叩く音だ。
そうか、この高校はグラウンドと校門が隣接しているのか。
俺は眉をひそめ、ポケットから音楽プレイヤーを取り出しイヤホンを耳に入れる。音楽を流して周りの音を遮断することに徹する。
俺がこの道を嫌いになった瞬間であった。
俺は野球が好きだ。金属バットの音も、ボールがミットにおさまる音も、汗ばんだ体にへばり付く土も、スパイクで土を踏む感覚も。全て好きだが、見るのは嫌いだ。体がうずいて衝動が抑えられなくなりそうなるのを堪えて、必死に音楽に耳を傾け下を向いて歩く。
あと少し歩けば玄関に辿り着く。その一心で歩みを進めるが、ふと振り返ってしまう。
そこに広がっている景色は青い空の下、白球を追いかける少年。
バットを無心で振る少年。圧倒的に繰り広げられる青春劇に思わず唇を噛みしめ、涙を堪える。
やっぱり野球部のない高校にするべきだったな、と後悔する。
しばらくその風景を眺めた後、僕は玄関へと歩みを進めた。
今年も例外なく、俺にも春来たる。