1/52:正しい行いは、必ずあなたを幸福へと導く。
「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す。」
――山田風太郎
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俺は、どうしようもない罪人だ。
だから、きっとこれから地獄へ行くのだろう。
暴走した大型トラックは対向車線に飛び出して、俺はその目の前で宙にふわりと浮いている。
トラックはゆっくりとではあるが確実にこちらへと向かってきていて、あと数瞬のうちには俺の身体をバラバラのグチャグチャにするはずだ。
たまの休みに二度寝をしていた今朝のことが嘘のようだった。
あれから半日も経たずにこうしていきなり死ぬなんて、本当に人生はわからないことだらけだった。
しかし、怖くはなかったし、理不尽だとも思わなかった。
むしろ心のどこかで当然だと感じていたし、もっと言えば、これでようやく終わってくれると安堵している自分がいた。
死の直前に見る走馬燈という俺の人生のダイジェスト版が、脳裏に像を結んでは消えていく。
だがそのほとんどはピンボケしてしまっていてなにがなにやらわからない。
俺という人間がどういった姿勢で己の人生に取り組んできたかがもろに現れてしまっていて、さもありなんという気分にさせられた。
「愛してますよ。クガミネ」
……。
ずっとぼやけていた映像が焦点を結んだのは、俺が出会った中で最も美しい人、先代のとびっきり素敵な笑顔だった。
あれだけ焦点の合ってない映像が延々と続いていたのに、俺を拾ってくれたあの人だけはバッチリ鮮明に像を結んでいて、我がことながら気恥ずかしくなる。
その後も脳裏にひたすら浮かんでくるのは、ひたすらあの人が俺にくれた沢山の言葉たちだった。
「正しい行いは、必ずあなたを幸福へと導く」
「困っている人がいたのなら、助けを求められたのなら、躊躇うことはありません。助けなさい」「人を助けることは正しいことです。そして正しい行いはあなた自身を豊かにします」「正しいことを、もしあなたが選べないのだとしたら、それはあなたが弱いからです」「あなたはどうしようもなく弱いから、もっともっと、強くならなくてはいけません」
「分かりましたか、あなたとわたしとの約束ですよ」
「――」
このとき、俺はなんて答えたのか、覚えていない。
だが結果を見れば、この約束が果たされなかったことは一目瞭然だった。
俺の大切な人。
そして、俺が壊してしまった人。
……俺は罪人だ。
その罪を一言で表すのなら、弱いというものになるだろう。
弱いということは罪だ。
大罪だ。
俺がもし強かったら、こんなことには、こんな人生にはならなかったはずだ。
もし強ければ、あの人だって壊れてしまうことはなかった。
……。
あまりに俺は弱く、罪を重ねすぎてしまった。
だから、このていどのことで許してもらえるなんて、到底信じちゃいなかった。
未だ終わらない引き延ばされた最後の時のなか、俺はこの現状を作り上げた原因に視線を移す。
そこには十歳ていどの女の子が尻餅をついていた。
燃えるような赤髪をツインテールに縛り、萌えるような碧眼はまん丸に見開かれて俺を写す。
肌は砂浜のように白く、淡いピンクで縁取られた口元には小さな白い歯が行儀良く生え揃っている。
言っておくが、俺はロリコンではない。
ロリコンではないが、トラックからこうして身を挺して救い出したその子はやっぱり綺麗だった。
あの人の次くらいには綺麗かもしれない。
十年先の美女のために死ぬ。
そのために俺のこのクソみたいな人生があったのだと思えばいくらか気は晴れる。
それにしたってクソ過ぎるという気がしないでもないが。
……今さらこんなことをしたところで、俺の罪が軽くなるとはさすがに思えない。
ただそれでも、許されることはないかもしれないが、俺はほんの少しだけ地獄で胸を張ることができるだろう。
だから、その子に俺は感謝の気持ちしかなかった。
こいつのおかげで、俺は少し救われた。
正しい行いは、必ずあなたを幸福へと導く。
あまりに遅すぎたが、あの人のその言葉の意味が、今になってようやく腑に落ちた気がした。
……それにしても、なげぇな。
いい加減、そろそろ一思いにやってくれ。
これ、まさかとは思うが俺の身体がトラックに跳ねられて全身バラバラのグチャグチャになる瞬間ですらこのスローモーションの時の中でじっくりと味わうなんてことはねーよな。
クソが。
確かに俺はそれくらいの仕打ちをされてもおかしくないくらいのことはしているが、しかしなるべくならそんな死に方は避けたいところだった。
長い長すぎる。
早く俺を地獄へ送ってくれ。
できることなら、天国に送って欲しいなんてことは言わないが、できることなら地獄でもなく、跡形もなく俺を消し去って欲しい。
頼むからそうであってくれ。
まかりまちがって輪廻転生なんてことには万に一つもあって欲しくはなかった。
嫌だ、それだけは嫌だ。
もう一度産み落とされて一からなにもかもやり直すなんて、そんなことはごめんこうむる。
いくらなんでもそこまで酷い目にあうようなことはやっていないと信じたい。
いや、やってるけどな……。
……それでも、もし、輪廻転生の輪に巻き込まれてしまうのならと考えたとき、ふっと頭に思い浮かんできたのは、ずっとピンボケしていたあの人と出会う以前の、俺が唯一はっきりと思い出せる望みだった。
往時はあれほど強く願っていたはずだったのに、今では遠い昔の夢物語のように感じる願い。
もし生まれ変わるしかないのならば、どうか、どうかせめて、俺を魔王の仲間にしてください。
……こんな弱いやつ、仲間になんかいらねえか。
次は、もっと強く生まれたいものだ。
そうすれば、きっと俺を必要としてもらえるはずだから。
必要としてもらえたなら、俺にも居場所ができるはずだから――。
最後の最期で、結局こんなことを願うなんて、俺も進歩がないな。
生まれついた心根が変わることなんて、きっとないのだろう。
こんなこと、あの人に知られたらきっと怒られるだろうなと苦笑いしながら、俺はそっと瞼を下ろした。
「〈疾風刃〉!」
かけ声と共に、圧縮された空気の固まりが俺を吹き飛ばす。
吹っ飛んだマイボディはそのまま五メートル以上宙を舞い、コンクリの壁に正面から叩きつけられた。




