海上の出会い Ⅰ
現実世界がゲーム化の浸食を受けてから、重度の障害を持っている人や、要介護の認定を受けている老人、言葉もまだ話せない赤ん坊や小学生にも満たない小さな子供たち。そういった人の姿というのは一切見かけることはなかった。
小林はそういった人たちがどうなったのかを調査している『フレンドシップ』というギルドに所属しているという。
「小林さんッ、あの、お年寄りの人や入院してた人はどうなったんですか!? わ、私のおばあちゃんが入院中で、でも、病院に人はいなくて……」
矢継ぎ早に美月が質問を投げかける。離れ離れになった家族や友達がどうなったのかも気になるが、入院中の祖母は動けるような体ではなかった。そのことはずっと美月の胸の中につっかえていた。
「すまない……。僕たちも全く手掛かりがないんだ……。行ける病院は行きつくしたけど、入院中の患者は一人も見つけられなかったよ……。でも、こう言ったらなんだけど、餓死した死体すら見つけられなかったのは何らかの希望があるんじゃないかって思っている」
小林が申し訳なさそうに返答する。入院している人を見つけることができなかったのは悔しいが、逆に死体すらないというのも不可解だ。
「小林さん、それはどこかで生きてる可能性が高いってことですよね?」
小林の話を聞いた彩音が確かめるようにして言葉を口にする。
「僕たちはそう思っている。『フレンドシップ』の見解としては、世界がゲーム化したと同時に家族や友達が並行世界に行ったことと同じように、自立して動けない人たちは専用の並行世界へ連れて行かれたんじゃないかっていう意見だよ」
「でも、確証はないんですよね……?」
小林を含む『フレンドシップ』の見解に対して彩音が疑問を投げる。少し楽観視しているところがあるような気がしたからだ。
「八神さんの言う通り、証拠はないよ。ただ、皆が並行世界に連れて行かれているわけだから、今のこの世界にだけ、自立できない人がいないっていうのはおかしいと思うんだよ。たしか、人の数が多いから並行世界に人を振り分けたっていう説明が最初にあったと記憶してる。だったら、均等に振り分けされているのが自然なんだよ。この世界にだけ、自立して動けない人がいないっていうのは不自然なんだ」
現実世界にゲーム化の浸食が始まった日、空から大音量で聞こえてきた説明には、小林の言う通り、多すぎる人数を調整するために並行世界を増設して、そこに人を飛ばしたと言っていた。そのことは真も覚えている。
「ゲームに参加できない人を分けたってことか……」
考え込みながら真がポツリと呟いた。
「そういう見方が『フレンドシップ』でも有力だね」
真の呟きに小林も同調する。
「それって要するに、自分の力でなんとかできない人は避難させたってことでしょ? この世界にそんな優しさがあるっていうの?」
眉をひそめながら華凛が疑問を呈した。華凛としてはこの世界に人を思いやる優しさの欠片があるなんて思っていない。そんなものがあるのであれば、華凛は復讐にかられることもなかったはずだ。
「あくまで推測の域を出ないよ。それに、優しさがあるから避難させたわけじゃないだろうな。たぶん、この世界のゲームを攻略するのに支障があるものは排除することと、ゲームをさせられている人の動機を作ることが目的だろう」
真が華凛の疑問に答える。自立して活動できない人の世話をするために手を取られてはゲームの攻略に大きな支障が出る。加えて、そういう自立できない人たちの姿が見えないことで生きているかもしれないという希望が生まれ、それがゲームの攻略に対する意志になり得る。決して慈悲の心があるわけではないのだろう。
「蒼井君の言っている通なんだけど、それでも『フレンドシップ』の方針は赤ん坊や高齢者達の手がかりを探し続けるってことなんだけどね。ただ、八方塞になっていて、今は専ら子供とか、あと老人……っていっても60歳くらいだけどね、そういう人達の支援をしてるんだよ。自立できるって言っても、流石にジリ貧だからね。だから、僕たちが助け舟を出してるのさ」
少しだけ苦い笑いを漏らしながら小林が『フレンドシップ』の活動や目的を話す。それでも、小林自身、『フレンドシップ』の活動に対しては感銘を受けており、その活動に参加することができているということが嬉しくてついつい声が大きくなっていた。
そして、大きくなった小林の声が一人の男と一人の女を呼び寄せた。
「おいおい、小林。年下の女の子ナンパしてるんじゃねえよ。ってか、あれだな、真面目そうな顔して、やるときはやるんだな」
大柄の男がニヤニヤしながら小林に声をかけてきた。武骨な顔をしているが、どこか愛嬌のある重装鎧の男。歳は三十歳半ばといったところか。持ってる武器は片手剣なのでパラディンで間違いないだろう。
「小林さん……あなたはもっと誠実な人だと思っていた……」
大柄な男の横にいる、二十歳前後の女が冷ややかな目で小林を見る。黒く滑らかなロングストレートを頭の後ろで結び、凛とした顔立ちのこの女も重装鎧と片手剣の組み合わせ。
「あ、真辺さん!? 御影さん!? いや、これはナンパではなくてですねッ、前からの知り合いにばったり偶然再会したから、ちょっと話をしてただけで」
「私は今日初めて会ったわよ」
慌てて言い訳をしている小林に対して、華凛が横やりを入れる。
「ええッ!? いや、そ、そうだけど、ちょっと待って!?」
「小林さん……そういう人だったとは思ってなかった……」
御影と呼ばれた女の目がさらに氷のように冷たくなる。汚い物を見るかのような目で小林を見る。
「ははは、いいじゃないか小林! こんな可愛い女の子がいたら声をかけて普通だよ、普通」
真辺と呼ばれた男の方は、御影とは逆に小林を応援するように笑い飛ばす。
「華凛、余計なこと言わないでいいのよ―― あの、この子は今日初めて会ったんですが、私達は前から小林さんの知り合いですよ」
美月が慌ててフォローを入れる。華凛の余計な一言で小林の立場が悪くなっているのはさすが見過ごすわけにはいかない。当の華凛は素知らぬ顔をしているが、今は置いておく。
「なんだ、そうなのか。面白くねえな」
「真辺さん、僕はナンパなんてしませんよ」
「そうか、そういうことならいいんだ」
取りあえず、御影の誤解が解けたことで小林は安堵の表情を浮かべた。小林より御影の方が年下だろうが、今の会話で二人の立ち位置というのが何となく想像できた。
「えっと、小林さん。そちらの方は?」
ひと段落着いたようなので、美月が質問する。どうやら小林とは知り合いのようだ。
「ああ、すまない。さっき話をしていたギルド『フレンドシップ』のマスター、真辺信也さんと、サブマスターの御影千尋さんだよ」
小林がギルドの仲間を真達に紹介すると、二人とも簡単に挨拶をした。
「それで、こちらが以前エル・アーシアで一緒に行動したことがある、蒼井真君と真田美月さん。椎名翼さんに八神彩音さん。名前間違ってないよね? で、そちらにいるのが、ええっと……」
「橘華凛」
華凛が素っ気なく自己紹介をする。素の華凛は慣れてない人に対しては警戒心が非常に強い。華凛ほどではないが、真もあまり愛想がいいとは言えない挨拶をする。美月や翼、彩音は社交的に振舞っている。
「さっき、小林さんから話を聞いてたんですけど、『フレンドシップ』って具体的にどんな活動をしてるんですか?」
小林の話を聞いて『フレンドシップ』の活動に興味を持った翼が前のめりに訊ねる。
「おお! 興味あるのか? いいねえ嬢ちゃん! 俺たちの活動は主に物資の提供だな。年寄りでも元気な人は何とか自分でやってる人もいるが、小学生どもが自力で生活していくのは厳しいからな。センシアル王国領どころか、ゴ・ダ砂漠に行くのも難しい。子供の世話をしてくれているギルドもあるが、自分たちのことでも精一杯っていうのが現状だ。だから、俺たちが金を稼いで、必要な物資を買って、届けてるんだ」
さっきまでのようなふざけた顔とはまるで別人のように真面目な顔で真辺信也が答える。それは自分たちのギルドの活動に誇りを持っているから。世界がこんな状態になっても、力を合わせてくれる仲間がいることが誇らしかった。
「自力で生きていくことができないわけではないけど、凄く大変な人達を支援している。特に子供はな。上手くやっている子もいるが、そんな子ばかりじゃない。だから、アンデットの海賊討伐もギルドで参加することになった。これで、ちょっとは良い物を届けてあげられそうなんだ」
硬い表情だった御影千尋の顔が綻ぶ。喜ぶ子供たちの顔が楽しみだから。そのためにはギルドの皆で力を合わせてこの海賊討伐の依頼を遂行しないといけない。
「皆さん凄いですね! 私感動しました!」
目をキラキラと輝けせて翼が声を上げる。世界がゲーム化による浸食を受けて、大変な思いをしているのは『フレンドシップ』のメンバーも同じはずなのに、みんなで力を合わせて支援活動をしていることに心から感動をしていた。
(言えない……。王国騎士団式装備が欲しいから海賊討伐に参加したなんて言えない……)
美月は物欲で参加している自分が恥ずかしくて顔を下に背けていた。翼も美月と同じ目的で参加しているのだが、今は素直に『フレンドシップ』の活動に感動している。美月はあまり考えない翼のことをある意味羨ましいと思ったのはこれが初めてだった。