探し物
1
華凛がギルド『花鳥諷詠』を脱退してから約10日ほどが経過していた。
『花鳥諷詠』のギルドマスターから言われた『インヴィジブル フォースにでも頼みなさい』という言葉。華凛はその言葉通り、インヴィジブル フォースを探してウィンジストリアの街中を東奔西走していた。
存在するかどうかも分からないものを探すというのは雲をつかむようなもの。情報を集めようとするが、そもそも、インヴィジブル フォースという単語を知っている人はそれほど多くない。声をかけてみた人に聞いてもこの単語を知っている人の割合は三割もいかない程度。知っていたとしても訊く人によって情報がズレており、どう判断していいか分からないことも多かった。
ただ、共通している情報は軍隊の特殊部隊であるということ。屈強な男達で構成された精鋭部隊だということだ。その規模や目的、どこに行けば会えるかなどの情報は皆無だった。
「はぁ……」
ここ数日で何度ため息をこぼしたことだろうか。ため息の数だけ幸せが逃げていくという話を聞いたことがあるが、すでに幸せなど失くしている華凛のため息に、逃げるだけの幸せが残っているのだろうかと自嘲する。
(秘密組織なんだから、そう簡単に見つかるとは思ってなかったけど……本当に見つかるのかしら……?)
現実的な話をすれば、大手のギルドに協力してもらってドレッドノート アルアインを倒すことが一番現実的だ。そんなことは華凛も分かっているし、今までそうして大手のギルドに何度も協力を頼んできた。
だが、全て断られた。ギルドに入る前はカッコイイことを言っていた男達も、華凛が本気でドレッドノート アルアインを倒したいと考えていることが分かると手のひらを返した。
最大手のギルド『ジャックポット』でさえ、ドレッドノート アルアインの討伐を断った。しかも、即答で。ギルドメンバーの命を危険に晒す価値はないと一蹴されのだ。
ほとんどのギルドから言われたのは、ドレッドノート アルアインなんて忘れて、ギルドのメンバーとして一緒にやっていこうというもの。下心見え見えの癖に、勇敢に化け物に立ち向かおうとする者はいなかった。
そして、行きついた先は、都市伝説と言ってもいいようなインヴィジブル フォースに頼ること。噂通りであれば確かにドレッドノート アルアインを倒せるだけの戦力を持った集団だろう。
グゥ~。
朝から何も食べず、街の片隅で壁にもたれて座っている華凛の腹が空腹を訴えてきた。
見栄えをよくするために購入したシルバーローブなど一式のせいで、手持ちのお金は底を突いている。ギルドに加入していれば、何も言わなくても食事は男達が勝手に奢ってくれていた。だが、今はギルドに加入していない。
インヴィジブル フォースの情報を集めるために、最近はまともに狩りをしていないので、朝食を買う金もなくなっていた。
(仕方ない、狩りに行くか……)
華凛は重い腰を上げて、ウィンジストリアの外へと向かって歩き出した。見上げた空に浮かぶ太陽の位置はあと2時間くらいで正午というところ。
幸い、ウィンジストリアの入口近くにいたため、街の外に出るのには時間を要さなかった。
2
華凛はウィンジストリアから出てからしばらく歩いて、周辺にいるモンスターを狩るための準備を始めた。
華凛は魔法書を出し、胸の前で開けると召喚のスキルを使用した。
<シルフィード>
背中には翼が生え、透き通った緑色をした女性型の精霊が華凛の目の前に現れる。サマナーである華凛は地水火風の四属性を司る精霊を使役して戦う。華凛が呼び出した精霊は風属性のシルフィード。攻撃面では火属性のサラマンダーに劣るが、敵を弱体化させ、行動を妨害するスキルを得意としている。そのため、敵を倒すのには時間がかかるが、相手の行動を封じながら戦うことができるため安全に狩りができる。
サマナーは他の職業と比べて、精霊を使役しながら戦うことができ、精霊が倒されてもまた召喚すれば、再度使役することができるため、単独での狩り能力というのはずば抜けて高い。
獲物はウィンジストリア周辺の高原でよく見かけるオオトカゲ。図体は大きいが、好戦的なモンスターではないため、こちらが手を出さなければ襲ってくるようなことはない。
それでも、現実世界を徘徊している草食動物系のモンスターに比べればかなり強い。からめ手を得意とするシルフィードがいるからこそ、時間はかかるにしても華凛はこの獲物を狩ることができた。
一体一体、時間はかかっても安全に狩りをすること1時間強。もうすぐ正午になろうかという時間。昼食代だけを稼いで、華凛は一旦狩りを引き上げてウィンジストリアへ帰ろうかと思っていた時だった。
― 皆様、『World in birth Real Online』におきまして、本日正午にバージョンアップを実施いたします。 ―
突然の大音量で鳴り響く声。空から聞こえてくるその声に驚いて、一瞬華凛の身体がビクッと反応した。
― 繰り返します。本日正午を持ちまして、『World in birth Real Online』のバージョンアップを実施いたします。バージョンアップの内容につきましては、皆様それぞれにメッセージを送付いたしますので、各自でご確認ください。 ―
いつも通りのバージョンアップ告知。大音量の声はそれで消えると、すぐさま華凛の頭の中に直接声が響いた。
【メッセージが届きました】
時刻は正午。華凛の前にはレターのアイコンが浮かんでいる。華凛は恐る恐るレターのアイコンに手を伸ばす。バージョンアップの内容はまだ不明だ。だが、一抹の不安が拭いきれない。どうも嫌な予感がする。
【バージョンアップ案内。本日正午を持ちまして、『World in birth Real Online』のバージョンアップを実施いたしました。バージョンアップの内容は以下の通りです。
ドレッドノート アルアインの行動を一部変更しました】
華凛がメッセージの内容を確認したその時だった。突然頭上から巨大な影が猛スピードで通り過ぎた。
張り裂けそうなほどに鼓動は脈打ち、驚愕に思考がかき乱される。
巨大な影が通り過ぎた後を視線で追うと、そこには滑空してこちらに向かってくるドラゴンの姿が見えた。
くすんだ緑色と黄土色のまだら模様。広げた翼はあまりにも大きく、獰猛な目と凶暴な牙を持ち、その強さを象徴しているかのように大きな二本の角を生やした化け物。ドレッドノート アルアインが華凛の前に現れた。
「グアアアアアアァァァァーーーーーーーッ!!!」
エル・アーシアの大地に降り立ったドレッドノート アルアインが大きく口を開けて咆哮する。その声に大地と空が震えているようだった。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁ…………ッ!!!」
心臓を握り潰されたような恐怖が華凛の心を蹂躙する。怒りや憎悪が、恐怖に圧殺される。
華凛はあれほど憎んでいた相手を目の前にして、一瞬で恐怖に心が押し潰されたことが悔しかった。大切な友達を殺した相手に何もできないまま、確実に訪れる死が怖かった。
巨大なドラゴンに睥睨されて、華凛の体は硬直して動かない。ガタガタと震える手足。ガチガチとぶつかる歯の音。目は見開いたままドレッドノート アルアインを映すだけ。
もう思考すら停止する寸前、華凛は空気を切り裂く甲高い音を聞いた。音の正体は何か分からないが、その音と同時にドレッドノート アルアインの頭を何か見えないものがぶつかったように思えた。
そして、次の刹那。今度は目に見える何かがドレッドノート アルアインに対して飛んできた。華凛が最初に思ったことは火の玉。紅蓮に燃え盛る火の玉が飛んできたのだと思った。だが、それはすぐに間違いだと気づく。
ドレッドノート アルアインに対して飛んできたのは人だった。大剣を持ったベルセルク。華凛が紅蓮の火だと思ったのは、そのベルセルクの髪の毛だった。
猛禽類が獲物を襲うかのようにして、赤黒い髪をしたベルセルクが大剣を振りかざして、巨大なドラゴンに突撃してきたのだ。