風の都 Ⅰ
1
「向こう側から回れば行けると思う」
真が広大な渓谷を見渡しながら行く先を指し示す。
「行き方わかるの!?」
美月が驚いたような声を上げた。大地の裂け目は見渡す限り続いている。それをどうやって越えて向こう側にある街に辿り着くのか。美月には想像もできなかった。
「分かるっていうか、ここに来るまでずっと渓谷が続いてたわけじゃないだろう。途中に渓谷の切れ目があったんだよ。そこを回って行けば行けるはずだ」
美月たち三人が修行をしている間、真はほとんどやることがなかった。そのため周りの景色はよく見ている。ここに来るまでの景色を思い出しながら、街へのルートを模索したのである。
「へぇ、真さんすごいですね、よく見てますね」
彩音が感心したような声を上げた。思えば、真はウル・スラン神殿に行くときに入った地下鉄で方向を見失うことなく、位置関係を把握していた。方向感覚はかなり優れているのだろう。方向音痴の彩音にはそのことが素直に羨ましかった。
「よし! それじゃあ、早めに昼食摂って、すぐに出発するわよ!」
「そういや、そんな時間か」
翼の発言に真はもう昼前なのかと思い、空を見上げると太陽はもうすぐ真上にくるころだった。
「そうだね、日が出てる間にできる限り移動してしまいたいもんね」
横にいる真と同じようにして空を見上げて美月も翼の意見に同意する。
「はい、そうしましょう。ご飯食べちゃいましょう」
彩音は若干食い気味で言ってきた。昼食を食べてすぐに移動を開始するという案にかなり乗り気である。それもそのはずで、彩音は早く修行を終わらせたかった。モンスターに追われながら狩りをする日々。時に追いつかれ、時に弾き飛ばされる。回復してはくれているが、正直しんどかった。
「修行もこれで終わりだな。食料も残り少なくなってきてるし、まぁ、十分やったんじゃないか?」
「さすがに長かったわね、一カ月。真も付き合ってくれてありがとう。退屈だったでしょ?」
風に流される髪を手で押さえながら美月は真の方を向いた。
「ああ、まぁ、そこまで暇ってこともなかったけどな……」
干し肉を齧りながら返事をする。実際はかなり暇だったが、もうこれで終わるなら愚痴は言わないでおこうと思っていた。
「あんた、暇だったから狩りしてたんでしょ……。結構稼いだんじゃないの?」
翼が半分呆れたような声をだしてた。
美月たちが安全に狩りをできるように見張っているのが真の役割であったが、暇を持て余して、一人で狩りをしていたのは周知の事実。一応、危なくなったらすぐに駆け付けられるように見てはいたようだが、結局この一月弱の間、真が助けに入らないといけないようなこはなかった。
「べ、別に暇だったから狩りをしてたわけじゃねえよ! あれだ、あの、どれくらいの強さのモンスターがいるのか確認してたんだよ!」
「一発で倒しておいて、強さも何もないでしょ……」
翼が半眼になって返す。修行の邪魔にならない程度に狩りを抑えていたのは分かっているし、修行に付き合ってくれているのも分かっているので、翼としてもこれ以上責めるつもりはない。
「真、私たちは付き合ってもらって感謝してるんだし大丈夫よ」
今更慌てて言い訳めいたことを言っている真が美月には可笑しく見えた。真のこういう一面も可愛いと思う。
「でも、私達も今回は結構稼いだんじゃないですか?」
エル・アーシアのモンスターがどれくらいの金になるのかはまだ分からないが、少なくとも準備に要した費用は回収できるだろうと彩音は計算していた。
「ああ、確かに、前回はエル・アーシアの探索がメインだったから、ほとんどモンスターを倒してなかったしな。森と神殿のモンスターくらいか、倒したのは。この辺りのモンスターがどれくらいの儲けになるのかはちょっと楽しみだよな」
この辺りのモンスターはキスクの街周辺に比べて個体の強さは上だ。積極的に襲ってくるような危険なモンスターではないにしろ、稼ぎに関してはある程度期待が持てていた。
「街に着いたらちょっと贅沢してもいいかもね」
美月も真と同様に今回の修行での成果の一つである狩りの稼ぎは楽しみにしている。新しい街にどんなところがあるかはまだ分からないが、少しいい宿に泊まって、ちょっと高価な食事を楽しむのも悪くないと考えていた。
「それじゃあ、とっとと食べて出発するわよ!」
「そうだな」
街に行く気満々の翼の声は高く山に木霊し、真や美月、彩音もそれに応えるようにして、急いで食事を済ませた。
2
深い渓谷に沿って進むこと一日、次の日の昼には渓谷の端にまで来ることができた。ただ、谷がなくなっているというだけで、眼前には険しい山の斜面が壁のように続いているため、さらに迂回していかないといけない。
そして、さらに半日かけて、道なき道を進み、夜になるころにようやく、渓谷の向こう側に行けるところまで来た。
もうすっかり慣れた山でのキャンプで夜を過ごすと、朝には出発する。エル・アーシアはゲーム化している世界なので、夜になっても視界が闇に覆われることがないにしても、明るいうちにできるだけ距離を稼ぎたい。
特にこの日はあまり天気が良くなかった。分厚い雲が朝から広がっており、重たい灰色の景色から、いつ雨が降るとも分からない状況であった。
そんな空模様なので、雨が降る前に距離を稼ぎたい。若干急ぎ足になりながらも真達は街がある方向へ進んでいくと、昼過ぎには大きな街道に出ることができた。
「まぁ、普通に考えて道はあるよな」
街があるのだからそれに続く道もあるだろう。真はそらそうだと思いながら道を見やる。
どこから続いている道であるかは分からないが、ある程度舗装された道が街に向かて伸びている。車道に換算すれば二車線よりも少し大きいくらいだろうか。土でできた道で多少の凹凸はあるが、大きな石も道の中にはない。アスファルトで舗装された道路に比べれると見劣りするとしても、山に覆われた場所にある道としては申し分のないできだろう。
「なんで私達って道を使わないんだろうね?」
美月が何となく疑問に思った。道を避けているというわけではない。前回のエル・アーシアの探索にしろ、今回の修行にしろ、意図しないところで道から外れているだけで、道があると知っていれば迷わず道を通る。
「そこに山があるからよ!」
「うん。翼ちゃん、それは違うよね」
なんにしても、道を通ることを避けているわけではないので、素直に街道を進むことにする。
そこからはもう、考える必要もなく、ただ、道を進むだけ。山の斜面とは違い、やはり整備された道というのは歩きやすい。曇天が気になるところではあるが、これなら早いうちに目的地に着くことができそうであった。
だが、結局、夕方には雨が降り出したため、街道の隅でテントを張り、街に到着するのはお預けということになった。
それでも、新しい街への期待というのは大きく、到着が少しばかり伸びたとしても、気持ちの上では問題ない。
翌朝にはすっかり雨が止んで、晴れ渡った青空を見せる高原の空気というのは、前日の鬱陶しさも加味して、清々しさはひとしおのものだ。歩く足取りも心なしか軽くなる。
そして、その日の午前中。真達は目的地である街に到着することができた。
街の規模はかなり大きく、キスクの街と比べても遜色ないほど、いや、キスクの街よりも大きいかもしれない。
街の入口にある大きな門の向こう側には、薄いベージュの石畳が続いており、街の中の建物は白い壁に焦げ茶色の木の枠組みが見えるデザイン。
露店の数は少なく、キスクの街に比べると落ち着いた雰囲気がする街だ。だが、行きかう人の数は多く、露店が少ない代わりに、大きな商店や宿屋が街の入口から並んでいる。
そして、何よりも特徴的なのは、街のあちこちに見られる大きな風車。常に風が吹いているこの街では至る所に風車があり、止まることのない風車が街の景観を一層味わい深い物にしている。
着いたばかりで、まだ街の名前も知らない真達だが、奇麗な街並みに高揚した気持ちを抑えきれず、一歩を踏み出した。
エル・アーシアで一番大きな街、風の都ウィンジストリアの中へと足を踏み出した。