準備
1
再びエル・アーシアへと向かうために、その日の午後は準備の時間に当てることにした。
前回のエル・アーシアの探索の時には食料以外の準備を碌にしていなかったため、今回はちゃんと準備をしようということになった。
丁度、今いる場所はキスクの街の中央通りであり、大きな通りの両脇には商店が軒を連ねている。ここに来れば大抵の物は揃うので移動の手間が省けることは助かった。
まずは、一番大切な食料の補給。食料がないことには一カ月という長丁場を過ごすことは不可能なので、多めに買っておく。
「よし、食料はこれくらいあれば十分だろ。次は、テントだな」
真がアイテム欄を確認して皆に声をかける。食料の量は一カ月分買った。お気に入りの干し肉も十分にある。出費は大きかったが、狩りで取り戻すことは可能だ。
「そうだね。ほんと、私達よく高原でテントもなく野宿できたよね……」
食料の次に大事な物、前回のエル・アーシアの探索では持っていなかった物、テント。これを買わないとまた大自然に身を委ねて眠ることになる。美月はつい数日前の野宿のことを思い出しながらしみじみとした感想を漏らした。
「私は別に平気だったわよ」
翼が平然とした口調で言ってくる。エル・アーシア探索の初日から見張り番のくせに寝てしまっていた翼からしてみれば、高原での野宿もテントなしで特段、苦痛ではないらしい。
「まぁ、慣れたっていや慣れたかもな……。でも、テントは欲しいだろ」
「そうですね、あった方がいいですよね」
壮大な大地に横になって星を見ながら寝るのも悪くはないが、彩音もどちらかと言えばテントは欲しかった。
というわけで、テントも購入することとなる。テントは所謂道具屋で売っているが、結構な値段がした。一カ月分の食料よりテント一つの方が高い。しかも現実世界の現代文明が作り出した軽くて丈夫で奇麗で快適な物ではなく、布と簡単な骨組みだけのテント。大きさも四人入れば窮屈になるほどの大きさしかない。
テントを二つ購入するには出費が痛い。ただでさえ、金銭を入手する方法が難しいゲーム化したこの世界。日々の生活費も馬鹿にならず、装備も購入しないといけないため、できる限り出費は抑えたい。
結局テントは一つだけを購入。他に必要なものはバーベキューコンロだが、そんな便利な物がこんな世界で売っているわけもなく、薪だけを購入することになった。薪を持ったまま一カ月の間、高原地帯でキャンプをするなどアイテムを質量関係なく持つことのできるゲーム化した世界だからこそできること。
「とりあえず、こんなもんでいいかな」
真は軽く伸びをして声をかけた。既に夕方になっており、キスクの中央通りに伸びる影も長くなっている。
「うん、大丈夫だと思うよ。一旦宿に戻りましょうか」
美月も準備はこれでよしという感じである。ただ、真達四人は元々野外での生活に詳しいわけではなく、前回のエル・アーシアの探索でほしいと思った物を買っただけ。野外での生活で起こりうることを予測してその準備をするというレベルではない。
「はぁ~、これで一カ月は文明と離れた生活をするんだよな……」
真がため息とともに名残惜しそうにキスクの街を見渡した。現実世界と比べれば文明はかなり遅れているとはいえ、高原地帯にテントを張る生活よりはかなり文明的である。
「何弱気なこと言ってるのよ! 数日狩りするために現地に滞在することだってあるでしょ!」
あまり乗り気ではなさそうな真に翼が喝を入れる。現実世界での狩りは翼の言う通り、数日間滞在することは今では普通となっている。が、
「それでも一カ月は長い……。現実世界は店に入ればソファーもあるしな。食料だけあれば事足りるのとは話が違うんだよ……」
さんざんこの世界を歩き回ってきた真としても、豊かな自然しかないエル・アーシアで一カ月生活することは想像しただけでも疲れてくる。
「だったら、今日一日の生活を有り難く噛みしめて過ごしなさい!」
「はぁ……そうさせてもらうよ……」
再度大きくため息をついた真は諦観した面持ちで、しばらく離れることとなる文化的な生活を堪能するべく、本日の宿へと向けて歩みを進めた。
2
「起きろーーーッ!!!」
次の日の早朝、東の空が薄っすらと明るくなり始めたころ、鶏鳴のような翼の声が宿の大部屋に響き渡った。
「んっ……あ、翼……おはよう……」
翼の声で最初に起きたのは美月だった。寝ぼけた眼で窓の外を見ると、朝日が昇って間もない時間だということに気が付く。そして、再び翼の方を見てみると、完全に目を覚ました翼が真と彩音を起こすべく行動に移っている。
「気合入ってるわね……」
美月はベッドから上半身だけを起こし、眠たい目で半眼になりなりつつ、朝から元気な翼を見ていた。
(あれだけ、気合が入ってるんだったら、早く起きないと危ないかもね……)
美月の危惧通り、翼は声を張り上げながら彩音のベッドにダイブしている。これ以上やられると他の宿泊客に文句を言われるので、美月は翼の餌食になる前に真を起こすことにした。
朝から騒がしい翼の声もあり、美月が真を起こすと案外あっさりと起きてきた。まだ半分寝てはいるが、今何が起きているのかを把握できているのだろう、起きた方が安全だということを理解している。
全員が起きると翼以外が眠気と戦いながらも朝食を食べた。食事が付いているような宿ではないため、自分たちの食料で朝食を摂る。
「一応確認しておくが、行ったことのないところでいいんだな?」
「ええ、そうよ。昨日話した通り、計画に変更はないわ。今度は登っていくわよ」
真の質問に翼が元気よく返事をした。昨日の夜に今回の山籠もり計画を話し合った際、できるだけ高い場所にある地域で狩りをしようということになった。それは、未踏の地に踏み入れることで経験を積むことと、まだまだ全貌が明らかになっていないエル・アーシアの探索も兼ねていた。
だが、エル・アーシアの探索はあくまでおまけ。モンスターを狩って強くなることが今回の主旨だ。初めて行く場所はどんなモンスターがいるのか分からない分、危険ではあったが、そこは真がいる。基本的には手を出さないつもりでいるが、危険であると判断すれば迷わず加勢するつもりでいた。
朝食を食べ終えた真と美月と彩音は少しゆっくりしてから宿を出ようとしていたが、それを許さない翼に追い立てられるようにして宿を出ることとなった。
3
朝早くから真達四人が向かった先は、キスクの街から出て半日ほど歩いた場所にある現実世界とエル・アーシアの境界線。初めて真と美月がエル・アーシアに足を踏み入れた場所であり、翼と彩音に再会した場所でもある。
その場所は6車線ある道路が唐突に無くなり、草と土が覆う広い斜面と、その斜面に沿うようにして眼下に雲が流れる世界。一歩踏み出しただけで、標高が何千メートルも変わる歪な場所。
エル・アーシアは高地という設定であるため、低地にある現実世界から一歩でもエル・アーシアに入るとそこは下層雲よりも高い世界。今まで見上げていた雲がいきなり自分たちよりも下に浮かぶことになる。
「よしっ、それじゃあ気合入れて行くわよっ!」
翼が大きく右手を掲げて雄叫びのように声を上げる。言葉通りかなり気合が入っているということが見て取れた。
「なんか、すっごい気合入ってんなあいつ……」
「木村さんのこと気にしてるんだと思いますよ……」
真の呟きに答えたのは彩音だった。翼のことは彩音が一番よく知っている。ミッションで木村が犠牲になったことを気にしているのは彩音には分かっていた。
「彩音のことも大きいと思うよ」
木村のことに対しては当然、真も美月も彩音も翼と同様に悔やんでいた。それに加えて翼は彩音が死にかけたことに対しても心の中に蟠りがあるのだと美月は思っていた。真と美月に会う前からの仲間である彩音が命の危険に晒されて、翼は何もできなかった。大切な友達を助ける力がどうしても欲しいから、翼はこれだけ頑張っているのだということが美月には分かった。
それは美月も翼と同じ気持ちだから。失うことの辛さを知っている美月にはその怖さも痛いほど理解できた。




