神殿を探して Ⅰ
小雨が降る中を休まずに高原の斜面を登っていく。空一面に薄暗い灰色の雲が広がっており、パラパラと降ってくる雨は一向に止む気配がない。
皆黙々と緑の斜面を登っていく。地図を頼りにしてできるだけ最短ルートで行けるように進路を決めて進んでいく。険しい道のりだろうと関係なく一番移動距離が短いであろうルート。初めて来る場所で知識がないため、単純に地図に書かれている場所に直進するだけなので、歩きやすさなどは一切考慮されていない。傾斜がきつくなっている場所でも進むしかない。最適ルートは誰も知らない。
どれくらいの距離を歩いたのかも分からなくなってきたころ、日が沈み、辺りを夜の闇が静かに覆いだした。雨は何時の間にか止んでおり、朧月がぼんやりとした光を放っている。既に体力の限界に来ているため、今日はここで野宿をすることになった。
疲労のピークはとっくの昔に超えている状態でも登り続けてきたため、時間の余裕はある程度作ることができたはずだ。それでもやはり心許ないことには違いない。何より、ミッションがどれだけの時間を要するのかが想像もつかない。未知のものに対する恐怖というのは簡単に拭い去れるものではない。
ゲーム化の影響で体力が増強されているといっても、日の出から急ぎ足で歩き続け、モンスターとの戦闘もあり、そのうえまともに休憩もせずに山の斜面を登ってきたわけだから、肉体的な疲労は極度のものになる。高原の夜にモンスターが襲ってくることはなかったが、見知らぬ土地で野宿をすることに抵抗がないわけではない。それでも泥のように眠ったのは心身ともに摩耗しきっているからだ。
次の日も昨日とやることは変わらない。朝日が昇ると同時に動き出し、山の斜面を登っていく。一路神殿があると地図に記された場所を目指して歩みを進める。現実世界でなら、これだけ疲労していれば一日寝ただけでは回復しきってはいないだろうが、ここはゲーム化した世界。野宿であれ、一晩寝れば体力は回復される。
回復した体力で大地を力強く踏みしめて歩き続ける。昨日と違って今日の天気は悪くない。時々曇り空になる程度で、降り注ぐ日光は穏やかなものだった。そのせいもあってか、進むスピードは心なしか早なくなっている。
この日も休憩なしでの強行軍。時折地図を確認しながら、目印となる物から現在地を特定し、残りの距離を計算する。
西日がきつくなってきた頃に真達一行は渓谷にたどり着いた。今いる場所は渓谷の崖の上。高さは30m~40mといったところか。切立った崖の下を細い川が流れている。長い年月を経てこの川が大地を削り、この渓谷を作ったのだろうか。
地図を確認するとウル・スラン神殿のすぐ近くにまで来ているはずだ。だが、大地に刻まれた断崖は来るものを寄せ付けないとばかりに切立っている。
「地図によると、この渓谷の近くにウル・スラン神殿があるはずだ。このまま、渓谷に沿って探してみるから、みんなも周りを注意して見ていてくれ」
小林が地図を片手に指示を出す。小林をリーダーにしようという話は出ていないが、年長者である小林が全体をまとめてくれている。そのことに対して誰も反対はなかったし、むしろ的確な指示を出してくれている分ありがたかった。強行軍は勘弁してほしかったが、それも時間の余裕がないので文句は言えない。
「ようやくここまで来れたわね……」
エルフの村を出てから2日。急いで来たとは言え自力で歩くのは時間がかかる。体育会系の翼でもここまでハードなトレーニングはしない。
「日常生活じゃまずこんなことしないもんね……」
インドア派の彩音もよくついて来れたと思う。やはりゲーム化の影響での体力増強が大きいと言えた。
「社会人になったら、こんなデスマーチくらいよくあることだよ」
何気なく話を聞いた木村が会話に入ってきた。期限はまだ2日以上残っている。目的地の近くまで来れたことで、張り詰めていた緊張の糸が少し解けたのだろう。まともな会話も無く進んできたが、話をするゆとりが生まれていた。
「ええっ!? そうなんですか!?」
「木村君が社畜なだけよ。私や小林さんはそんなブラックなところで働いてないわよ」
「僕にとってホワイト企業っていうのは都市伝説ですからね。実在するなんて思ってないですよ」
「大変なんですね……」
彩音がぽつりと呟いた。ブラック企業のことくらいは知っている。ニュースなどでも話題になるくらいだ。自分はそんな真っ黒な会社には就職しないようにしようとも思っているが、今やっている強行軍にも匹敵つるようなことを日常的にやっているというには想像以上だ。
「そうなんだよ。だからね、君たちが現実世界で使っていたアプリなんかはデスマーチのうえで作り上げているんだよ。僕たちSEの死体の山の上にアプリがあるって言ってもいいくらいだから、有り難く使ってくれよ」
「は、はい……」
「いや、木村君のところはそうかもしれないけど、他はそうじゃないからね!」
そんな無駄話ができるだけの気力を取り戻して歩くこと1時間。先頭を歩く小林が全員に声をかけてきた。
「おい、あれがそうじゃないのか!?」
小林が指を指す方向は渓谷の底。深さは変わらず30m~40mほどの切立った崖の下に石でできた神殿のような建物がある。崖の壁をくり抜いているのだろうか、神殿が崖にめり込むようにして建てられている。
「はい! あれだと思います!」
美月が思わず声を上げた。緊張は隠せないが、それでも力強く声を発する。神殿を見つけてからが本番だ。この中に入ってミッションを達成しないといけない。怖いが、真の言葉が支えになってくれている。
更に近づいていき、神殿の正面にまでくる。ここまで来ればウル・スラン神殿であることには疑いの余地もない。ギリシャの神殿のような石柱が並ぶ正面。大きな神殿は崖の上からでもはっきりとその姿を確認することができた。
「さて、どうやって下りるか……」
腕を組みながら真が思案する。見たところ、渓谷の底に下りるための通路や階段、ロープなどはない。
「ロッククライミングに決まってるでしょ!」
翼が即答するが、その意見に賛同する者はいない。ほぼ直角と言っていい角度で絶壁の断崖の上にいる。それを経験もないロッククライミングで下りるというのはどう考えても無謀に過ぎる。
「ここまで歩いて来て、下に行く道はあったか?」
小林の質問に誰もが首を横に振る。ずっと切立った険しい崖が続いていただけだ。
「それなら、下りられる場所を探してみよう。まだこの先は確認していない。もしかしたら、下りれる場所があるかもしれない」
それしかないだろう。ミッションでこの渓谷の底にある神殿を攻略しないといけないのだから、何かしらのルートが用意してあって然るべきだ。そうでないとミッションをクリアすることが不可能になる。
だが、そんな希望も虚しく進んだ先は現実世界とエル・アーシアの境界線。唐突に渓谷が無くなり、現実世界の道路の地下の断面がより真っ直ぐな壁としてそこにはあった。現実世界の道路の高さは崖の上と同じ、ケーキを真っ直ぐ奇麗に切ったように道路の地下構造が渓谷の間から姿を見せている。
「そんな……どうやって下りろって言うのよ……」
園部が落胆したような声を上げる。他の皆も思っていることは同じだ。どうやって行くのか。まだ期限までには二日以上あるが、神殿にたどり着く方法がなければどうしようもない。
「私、下りれるかどうかやってみる!」
「おい、バカ! 止めろ! 危ないだろう!」
崖を素手で下りようとし始めた翼を真が慌てて止めに入る。崖から身を乗り出して渓谷の底を見つめていた翼の動きがそこで止まった。真としては抵抗されると思っていたが、いきなり翼の動きが止まったことが不思議だった。
「ねぇ……あれって……」
引き戻そうとした真に対して目線だけで方向を示す。真は翼の目線の先に目をやり、何を言いたいのかを確認した。
「地下……鉄の線路?」
翼ほどではないにしろ真も目が良い方だ。翼の目線の先、現実世界とエル・アーシアの境界線の底。つまりは渓谷の底にあたる場所にぽっかりと開いた空洞があった。人工物のように奇麗に開いた穴には線路が敷かれている。それはどう見ても地下鉄のトンネルであり、現実世界から伸びて来ているものだった。