最後の戦い Ⅵ
それは、純粋な恐怖だった。
死と隣り合わせの戦いを望んでいたはずだった。死すらも内包する戦いを渇望していたはずだった。なのに、今は恐怖している。
死ぬことを恐怖している。戦うことを躊躇している。目の前の敵に戦慄している。
(どうして……ベルセルクが……?)
真がここまで戦ってこれたのは、ベルセルクとしての特性のおかげだ。死ぬことすら享楽とする戦いの狂人。それがベルセルク。どれだけ強大な敵でも、どれだけ恐ろしい攻撃でも、死ぬかもしれないと分かっていても、真が戦い続けることができたのは、まさにベルセルクとしての特性の高さだ。
それなのに、今は戦うことに恐怖している。
(手が……震えてる……?)
ふと真が気づいた。大剣を握っている手が震えている。それは、単に強く握り締めているからではない。怖くて震えているのだ。
「あら? 顔色が悪いわね? どうしたのかしら?」
ラーゼ・ヴァールが真の異変を見逃すわけがない。さっきまで余裕を見せていたのが、急に青ざめた顔をしている。気づいて当然だ。
「くっ……」
真の口からは何も出てこなかった。どうして、急に怖くなったのかが分からない。
(死にかけたことなんて、今までに何度もあったんだ……。なのに、どうして今更……?)
考えた所で、答えは出てこない。分かっているのは、恐怖していることだけ。
「もしかして、怯えてるのかしら? まさか、そんなことはないわよねえ?」
ラーゼ・ヴァールの声は、下卑た笑いだった。圧倒的な力を見せつけたことで、生意気な敵の心を踏みつぶした。その快感に酔いしれている。
「…………」
真はただ、ラーゼ・ヴァールを見ることしかできない。握ったままの大剣が小刻みに震えている。
「あらぁ? 本当に怯えているのね。可哀そうに……。それなら、さっさと殺してあげるわね!」
ラーゼ・ヴァールが声を高らかに言い放ち、大きく両手を広げた。次の瞬間、全身から光が溢れ出してくると、無数のレーザーを放出した。
「くっそ……!?」
ラーゼ・ヴァールの攻撃は、またもやセラフィックレイ。視界を埋め尽くすほどにばら撒かれるレーザーを避けるだけでも困難なうえに、当たれば痛手を被る。
「安心しなさい! 一瞬で殺してあげるから!」
ラーゼ・ヴァールはそう言うと、光の剣を消して、両手を前に突き出した。
そして、黄金に輝く8枚の羽を大きく広げると、その巨体全体が超振動を始める。
キィーンっという甲高い音が響いたと思った、その時だった。
「まさか……、ガンマ――」
ラーゼ・ヴァールが突き出した両手から、膨大な光が放たれた。それは、光の奔流となって真に襲い掛かる。
レーザーの豪雨の中を突き破るように、無尽蔵の光が飲み込んでいく。
まき散らされる幾多のレーザーのセラフィックレイと、超高出力レーザーのガンマレイ。その二つの攻撃が同時来た。
真は全身の力を使って、横に飛び出す。ガンマレイは少しでも掠ればアウト。レベルの高さも、装備の強さも関係ない。どんな防御手段を用いたとしても即死だ。
床を転がるようにして飛び出し、真は何とかガンマレイを避けることに成功したが――
「ぐあッ!?」
そこに、セラフィックレイが突き刺さる。
尋常ではない痛みが、真の腹部を襲う。
激痛に顔が歪む。腸を食い破られたのではないかと錯覚するほどの痛みに、立っていることもできないほどだ。だけど、それでも立たないといけない。
ラーゼ・ヴァールの攻撃はまだ止まっていない。目の前にはガンマレイが放つ光の濁流。頭上にはセラフィックレイの雨。
一瞬でも動けなかったら、死に繋がる。
(怖い……)
真の心に、明確な恐怖の二文字が浮かんだ。
(怖い……)
頭に恐怖がこびりついて離れない。
(怖い……)
魂が、恐怖を叫んでいる。怖い、怖い、怖い、怖い、怖――
『真……』
真の耳に、聞きなれた少女の声が聞こえた。いつも、真のことを心配してくれる少女の声だ。優しくて、柔らかくて、暖かい声。
「ッ!?」
その瞬間、真は体を跳ねた。直後に、セラフィックレイのレーザーが体を横切っていく。間一髪だった。力いっぱい体を跳ねていなければ、当たっていたところだ。
(あの声は……?)
真の耳に一瞬だけ聞こえた声。よく知っている少女の声。だが、その少女がこの場所にいるわけがない。それは、ただの幻聴に過ぎない。
(ああ、そうか……)
しかし、真はその声に救われた。いるはずのない少女の声が、真の窮地を救った。その少女が、真にとってどれだけ大切な存在であるか。どれだけ掛替えのない存在であるのか。それを、改めて知ることになる。
「怖かったんだ……」
真が握った大剣の刀身を見つめる。
そこに、死角からセラフィックレイのレーザーが飛んでくるが――
真は頭を傾けるだけで、これを回避。
続けて、レーザーが飛んでくるも、足を逸らすだで避ける。その次も同じだ。重心をずらすだけで、レーザーは真を捕えることができない。
「そうか……。それが怖かったんだ……」
真は大剣を握る手を見つめた。
「ベルセルクは、俺を裏切ったりなんてしてない……。あいつは、今も戦う恐怖を取り除いてくれている。だから……」
いつの間にか、セラフィックレイもガンマレイも撃ち止め。埋め尽くすような光は消え去り、ラーゼ・ヴァールと真だけが、円形の部屋に立っている。
「俺は……、守れなくなることが怖かったんだ……!」
真は大剣を強く握り直して、ラーゼ・ヴァールを睨みつけた。
目に力を取り戻す。足を踏ん張り、手を握り締め、胸を張る。
「なぁにそれ? そういうのさ……凄く嫌いなんだけど」
ラーゼ・ヴァールが苛立った声で言う。さっきまで泣きそうになっていた奴が、急に息を吹き返した。
全く意味が分からない。なぜ、恐怖が見えないのか分からない。だが、どう見ても、赤黒い髪をしたベルセルクは力を取り戻している。
「元から、お前に好かれようなんて思ってねえよ!」
真は大剣を一振りして挑発する。ブンッと空を斬る音でさえ力強い。
「相変わらずの減らず口を……。まあ、いいわ。次で終わらせるから! 覚悟しなさい!」
ラーゼ・ヴァールが再びセラフィックレイの構えを取る。全身が光を放ち、無数のレーザーが解放される。
それは、戦場となっている部屋を蹂躙するかのように降り注いでいく。安全な場所などどこにもない。動かなければ、そこが死地となる。それでも――
真は構わず突っ込んで行った。前に前に前に、ラーゼ・ヴァール目掛けて地面を蹴る。無謀にも思える、捨て身の突進。そう見えるのだが、真はレーザーをことごとく躱していく。雨あられと降るレーザーが真に掠りもしない。
「死になさい! 虫けらがぁー!」
さらにラーゼ・ヴァールがガンマレイの動作に入った。大きく広げられる黄金の羽。そして、突き出された両手。
愚かにも向かって来る人間に向けて、巨大宇宙戦艦の主砲のような超高出力レーザーが撃ち出された。
止めどなく溢れる光の洪水に、真の姿さえ見えなくなる。
尋常ではないエネルギー量に、神々の塔の最上階に作らた部屋でさえ壊れてしまいそうなほど。まるで、この世界全体が痛みに耐えきれず悲鳴を上げているようだ。
そして、全力で撃ちだされたレーザーが消えると、ホワイトアウトした世界から、一人の剣士が飛び出してきた。
気の強うそうな顔だが、とても綺麗な顔をした少女だ。赤黒いショートカットはボーイッシュな美少女に見える。
だが、実際には少女ではない。蒼井真という名の男だ。
真は紅蓮の炎のような大剣を握り締めて、ラーゼ・ヴァールに斬りかかった。
<スラッシュ>
踏み込みからの袈裟斬りが、ラーゼ・ヴァールの体に直撃する。
<フラッシュブレード>
間髪入れずに、閃光のような横薙ぎを入れる。
<ヘルブレイバー>
真は大剣を下段から突き上げるようにして、体ごと飛び上がった。
ラーゼ・ヴァールは、飛び上がった真に顔を向けた。燃え盛るような真の目が、何もない鏡面状のラーゼ・ヴァールの顔に映る。
ラーゼ・ヴァールには、それが遠い存在のように見えた。孤高の姿に見えた。見下されているように見えた。
「調子に乗るなよ、ゴミ虫がァーーーッ!!!」
我慢ならずにラーゼ・ヴァールが絶叫すると、至近距離でガンマレイを放つべく、両手を突き出して真に向ける。
だが、真はラーゼ・ヴァールのことを見てはいなかった。ただ、一人の少女のことだけを思っていた。
あどけなさの残る顔の少女だ。その少女は自分の弱さを知っていた。自分の弱さに苦しんでいた。自分の弱さに悩んでいた。だけど、芯の強い少女だった。
その少女にもう一度会いたい。もう一度話をしたい。もう一度抱きしめたい。だから、守りたい。己の全てを懸けて守りたい。
それは、願いより強く、誓いより気高い。
「うおおおおおおおおおーーーー!!!」
祈りよりも清廉で、意志よりも硬い。
その想いは――
<カタストロフィ>
剣となって敵を討つ!