八神彩音
次の日の午後。空には薄っすらと雲がかかっていた。雨が降る雰囲気ではないが、太陽の光は、雲に阻まれて弱くなっている。
今日のデートは真と彩音。彩音の希望で、午後からのデートということになった。
行き先は王城前広場。広く一般にも開放されている広場であり、王城を見ることもできる場所だ。
白い外壁に覆われたセンシアル王国の城。その品位と美しさから、貴婦人に例えられるほどの名城だ。
デートスポットとして王城前広場を選ぶというのは、王都グランエンドにいるのなら、定番の場所ともいえるだろう。実に硬い選択をしてきたと言える。
彩音が午後から王城前広場に行こうと言ったのには理由がある。一つは、午前中は王城前広場で、『ライオンハート』と『王龍』が支援物資を配るから。そして、もう一つは、あまり長時間間が持たないから。
翼のように、一日中、特にやることを決めずに適当に過ごすということは、彩音にはできない。
「えっと……。真さん……、翼ちゃんからデートの目的とか聞いてますよね……?」
真と一緒に王城前広場にある散策路を歩きながら、緊張した彩音の声が聞こえて来た。
広場を取り囲むようにして、木々が植えられた散策路。石畳で舗装された道を歩くだけでも、心を落ち着かせてくれる――のだが、今はそんな効果を微塵も感じない。
「あ、ああ……。一応な……」
真も緊張して返事をする。
「で、ですよね……」
昨日のことは、彩音も凄く気にはなっていたのだが、如何せん、真も宿の同室に寝泊まりしている。真だけ部屋を出てもらうわけにもいかず、かといって、女子だけで話をしに出掛けるというのも、気が引けていた。
そのため、昨日、翼がどんなことを真と話をしたのかは、まったく情報として入ってきていない。
「流石にびっくりしたけどな……」
翼からの告白だけでも驚いたのだが、さらに他の女子たちからも告白を受けることになると聞かされ、更に驚いた。気が動転したと言ってもいいだろう。
告白されたことも初めての真にとって、告白されると分かっているデートというのは、どう振舞っていいのか分からない。
完全に未知の領域である。まだ、告白されると知らなかった方が自然な振る舞いができただろう。
だが、知ってしまった。知らされてしまった。そうしないと、フェアじゃないから。その場で、告白の返事をしてしまったら、一番最初に告白をした者が有利になってしまう。
全員から、きちんとした形で告白を受けてこそ対等というものだ。
その理屈は真もよく理解できた。理解できてはいるのだが、気まずい。とても気まずい。これから告白されると分かっていて、一緒に王城前広場を歩くのは、どうしていいのか分からない。
真の引き出しにある、浅いラブコメの知識の中にもヒントは何もない。
「緊張しますよね……」
苦笑しながら彩音が言う。それは当然のことだろう。
「そら、緊張するだろ……」
彩音の方を見ることができず、真は素っ気ない返事をしてしまう。
「でも、一度、ゆっくり真さんと話がしたかったっていうのは本当なんですよ」
「そうなのか?」
ここで、ようやく真は彩音の方を見れた。少しはにかんだような顔。黒い長髪と眼鏡の彩音。地味な印象があるが、地味だからこその可愛さがある。
「私がここまで来れたのは、真さんのおかげですからね」
彩音は微笑みながら言った。
「そうなのか……? 俺は彩音に何かしてやった覚えはないけど……」
自分のおかげと言われても、真は彩音に対して特別なことをしたという記憶はない。
「してくれてるじゃないですか。ミッションをやる時は、いつも真さんが先頭に立ってくれてますし。最初に出会った時だって、私と翼ちゃんをムカデから助けてくれたんですよ」
「ああ、そう言えば、最初に出会ったのは、地下鉄の駅だったか。確か、翼が何か分からないのに、大ムカデに矢を撃ったんだっけか」
「そうです。あの時は本当に驚きましたよ。翼ちゃんは、何かいるっていうだけの理由で、それが何か分からないのに、矢を放ったんですよ。信じられますか?」
それは、彩音が翼と出会ってからしばらくしてのこと。二人で現実世界に浸食してきた鍾乳洞を抜けて、地下鉄まで行き、暗い地下の中で、何かがいると察知してからの翼の行動だ。
何故、翼はあの状況で矢を射ることを選択したのか。彩音は未だにそれが理解できない。
「翼だから、っていう理由しか思いつかないな」
真が笑って返す。理由も何もない。翼はそういう奴だ。だから、真が脳筋判定を出したのだ。
「そうなんですよね。翼ちゃんだからなんですよね。思えばずっと振り回されてきましたよ」
「彩音が翼と出会ったのって、どういう経過があったんだ?」
ふと気になり、真が訊ねてみた。真が彩音と出会った時には、すでに翼と彩音はペアだった。
「突然、翼ちゃんに声をかけられたんです。一緒にモンスターを倒さないかって」
「いきなりだな。確かに翼らしいと言えば翼らしいけど……」
「ええ、本当に翼ちゃんらしいですよね。でも、本当の理由は、私が一人でいたからなんだと思います」
「一人で?」
「はい、世界がゲーム化の浸食を受けて間もない頃は、別の人と行動を共にしてたんですよ。ほら、ウィンジストリアのカフェで会った黒崎さんって覚えてますか?」
「黒崎さん……?」
名前を聞いても、真は思い当たる人物がいなかった。ウィンジストリアで会っているということは、『ライオンハート』や『フレンドシップ』の関係者でもないはず。エル・アーシア出身の人ということだ。
「ドレッドノート アルアインから華凛さんを助けて、落ち着くためにカフェに行ったじゃないですか。その時に、偶然会った女性ですよ」
「ああ、あの時の。夜に彩音だけ別行動で会いに行った人か」
彩音のヒントから、ようやくそれらしい人物を出してこれた。そう言えば、そんな人がいた。
「その人です。世界がゲーム化した当初は、どうしていいかも全然分からなくて、身動きが取れない状態だった私を助けてくれたのが黒崎さんなんです。一緒に狩りもしてくれたんですよ」
「世話になったって言ってたよな」
「ええ、当時はすっごくお世話になりました。でも、黒崎さんは私と違って、先に進む人だったので、私は早々に付いて行くことができなくなったんです」
「その後、一人で行動するようになったと」
「まあ、そうですね……。黒崎さんは、一緒にこの世界のことを知ろうって、誘ってくれたんですけどね……。私には無理だったので、別々に行動することになったんです。その後に、翼ちゃんに声をかけられて、一緒に行動するようになったというわけです」
彩音の恩人、黒崎梓という女性。積極的な性格で、リーダーシップを取れる人だ。『花鳥諷詠』というギルドのマスターをやっている人物。そのギルドは、かつて華凛も所属していたことがあるギルドだ。
規模としては中堅どころ。ゲーム化した世界を何とか乗り切ろうと設立したギルドだが、規模を大きくするために、色々な人を入れたことが原因で、意見がまとまらず、設立当初の理念が果たされることはなかった。
「傍から見てても、翼に振り回されていたことは分かったけどな」
真が当時のことを思い出して笑いながら言った。
「ふふっ、そうですね。実際に振り回されてましたからね。でも、翼ちゃんには感謝してるんですよ。翼ちゃんがいなければ、私はここまで来れなかったんですから」
彩音も微笑んで返す。今は笑って話せるが、当時は、本当に苦労させられた。
「それを言うなら、翼の方が彩音に感謝すべきだろ。あいつが、今生きているのは彩音が一緒にいてくれたからだしな」
「まあ、それは否定しませんけどね……。でも、やっぱり私は、翼ちゃんに感謝してます……。こうして、真さんに会えたのも、翼ちゃんが引っ張ってくれたおかげですから」
頬を赤らめながら、彩音が真の顔を覗き込む。
「お、俺は別に……彩音に何かしてやったことはねえけど……」
真は思わず視線を外してしまう。何気なく会話が弾んでいるところに飛んできた不意打ちに、真が対処しきれないでいる。
「臆病だった私が、ミッションで最前線に立ってるんですよ? これって凄いことだと思いません?」
「そ、それは凄いことだけどさ……。それにしても彩音が頑張って付いて来てるからだろ?」
「そうですね。私は頑張ってます。それは、真さんのおかげなんですよ」
「俺の?」
「ええ、真さんのおかげです。真さんは、どんな敵だろうが、果敢に戦うじゃないですか。でも、それは無謀じゃないんですよね。ちゃんと勝算があって戦ってる。真さんって、凄くよく考えて行動してますよね。バージョンアップにしろ、ゲームからのメッセージにしろ、どうしてこうなるんだろうっていうのを、ちゃんと考えて行動してます。だから、私は、真さんが言うことなら信じて付いて行けたんです」
彩音は曇り空を見上げながら話をする。少しだけ、雲が晴れてきただろうか。先ほどよりも陽の光が眩しいような気がする。
「理屈が通ってないことは気になるんだよ……」
「それで良いと思います。私も真さんの説明で納得できたから付いて来てるわけですし。昔の私が見たらびっくりですよ。信じてもらえないんじゃないかって思います」
「そんなことないだろ。ここまで来たのは彩音の実力なわけだしさ」
「そんなことあるんですよ。さっき話をした黒崎さんとは、今でも会うんですけでどね。私が『フォーチュンキャット』のメンバーだってことを未だに信じられないって言ってますし」
彩音が黒崎と会うと、必ずミッションの話になる。そこに、『フォーチュンキャット』のメンバーとして参加している彩音が、黒崎にとっては驚愕の事実だった。
「5人しかいないギルドだぞ。驚くようなことはないだろ」
少数の極小ギルド。それが、真の思う『フォーチュンキャット』だ。驚くことは人数の少なさくらいのものか。
「真さんは、人付き合いがないから知らないだけで、『フォーチュンキャット』って凄く有名なギルドなんですよ」
「そうなのか……?」
「ええ、『ライオンハート』の紫藤さんから絶大な信頼を得ていて、『王龍』の赤嶺さんとも対等に渡り合う。全てのミッションに関わってきて、誰一人欠けることはない。しかも、ギルドマスターはとんでもない美少女。それが、一般的な『フォーチュンキャット』の認識なんです」
彩音が自慢げに説明をした。真の実力は極秘情報となっているが、『ライオンハート』と親密な関係にあって、ミッションに参加していることは広く知られている。そのおかげで、真達にちょっかいをかける輩がいないのである。
「俺は男なんだけどさあ……」
結局、真が男であるということは周知されていない。
「ふふふ、そうですね。でも、やっぱり、見た目はカッコいい美少女って感じですね。正直言うと、私は苦手な顔なんですけどね……」
「えっ? そうなのか?」
意外な告白に真は驚いて声を上げた。真もこの顔は気に入らないが、彩音も苦手だったとは思ってもいなかった。
「私は地味キャラですからね。だから、付き合うとかっていうのは、躊躇うところがあるのが本音なんですよ……。でも……、その……やっぱり、憧れというか、そういうのはあるんです……。それが、好きってことなのかと聞かれると……、好きなんだろうなって……。内面的な部分では、真さんと私って凄く似てるところありますし」
「あ……。えっと……、そうだな……」
真は赤面して、何を言えばいいか分からなくなってた。
「そんなに、照れないでくださいよ! 私だって恥ずかしいんですから!」
顔を赤くした彩音がそっぽを向く。だけど、言いたいことは言えたという満足感はあった。
「わ、悪い……」
どう言えばいいか分からず、真は謝るしかできない。
「いいですよ別に、気にしてませんから」
今や英雄と言っても過言ではない真が、困った顔で謝っている。それが、彩音には可笑しく見えた。そんなところも、好きになったのだろう。
だけど、真に選ばれるのが自分でなくてもいい。ここまで自分を連れて来てくれた人に気持ちを伝えることができた。信頼できる人に感謝の気持ちを伝えることができた。それで、彩音は十分だった。