真の選択
もうすぐ陽が沈もうとしている。夕日が雲を赤く染め、青さの残る空と交じり合う。
真達は長く伸びた影を見ながら、拠点としている宿に向かって歩いた。
普段なら雑談しながら歩いていくのだが、この時ばかりは皆、黙り込んでいた。特段気まずいというわけではない。
緊張しているから、というのが一番近い状態だろう。『天使の心臓』100個と『大天使の心臓』1個を手に入れたことで、次の段階に進むことになる。
最後のミッションの敵であり、最大最強の敵、調律者ラーゼ・ヴァール討伐メンバーの選出。その全てを真に託された。
調律者ラーゼ・ヴァールと戦えるのが6人までという制限さえ守っていれば、真は誰を選んでもいい。
今までのミッションであれば、自分を選ぶように言ってくる美月や翼が何も言わない。彩音と華凛も同じだ。真の決定を素直に受け止めると心に決めている。
だから、誰も口を開かずに、黙々と宿に向けて足を運ぶだけ。
そうこうしているうちに、目的の宿に到着する。
見慣れたロビーを抜け、階段を上り、先頭の真がいつもの部屋のドアを開ける。
「久しぶりだな、蒼井真」
「か、管理者!?」
部屋で待っていたのは10歳くらいの少女だった。血のような濃い赤色のロングヘア―に、気の強うそうな顔立ち。白いブラウスと紺色のスカート。
それは、まさに真をそのまま幼くして髪型を変えただけの見た目。恐ろしい程綺麗な顔の少女であり、このゲーム化した世界の管理者。
窓から入って来る黄昏た光に照らされて、管理者が部屋の真ん中に立っていた。
「そう身構えるな。これで何度目だと思っている。いい加減、慣れてほしいものだな」
権高な物言いはいつも通り。管理者の言うように、身構える必要はない相手であるが、世界をゲーム化した張本人を前に、落ち着いてもいられない。
「お前がここにいるってことは……。やっぱり、美月達の姿はないのか……」
真が振り返り、宿の廊下を見渡す。後ろから付いて来ているはずの美月達の姿が見当たらない。
管理者が会うのは真だけだ。そのため、他の人は排除される。そして、管理者との話が終わると、ゲーム化した世界に戻される。
それだけならまだいいのだが、管理者と会っていた時の記憶が、真の中からなくなってしまう。管理者の説明では、会っていたという事実を切り取るということで、再び管理者と会った時には、切り取った事実を戻すということだ。
問題なのが、その切り取った事実。どうやら切り口は残るようで、管理者と話をした内容の記憶の断片があるせいで、傍から見ると真の言動がおかしくなってしまう。そのことで、真は仲間から凄く心配されたこともある。
そして、今は管理者と会っているため、過去に管理者と話をしたことは全て、真の記憶に戻っていた。
「今ここで、あの者達を招き入れることはできないのでな。いつも通り“外”に居てもらっている」
「なあ、管理者……。これが最後のミッションなんだよな?」
「そう告知しているはずだが」
「このミッションを成功させれば、世界は元に戻るんだよな?」
真は管理者を見つめながら言葉を出していく。
「何度も言わせるな。お前の選択と行動次第だ」
だが、管理者の答えは同じもの。
「これが最後なんだろ? だったら、世界が元に戻るかどうかくらいは教えてくれてもいいだろう? 俺たちはそのために戦ってるんだ!」
それでも、真は引き下がらずに声を上げる。これが最後のミッション。これが終われば、ゲーム化した世界が元に戻る可能性がある。逆に言えば、世界を元に戻す手段もこれが最後ということになる。
「それが、お前の選択と行動次第だと言っている。お前が信じた道を行け。それが答えだ」
今までにも幾度となくやってきたやり取り。管理者は頑として答えてはくれない。
「俺が信じた道が答え……」
管理者の言葉を聞いて、真がハッとなる。真の中で何かが繋がる。
「そうだ」
「そうか……。分かった。無理を言ってすまなかったな。その言葉が答えなんだな」
「…………」
管理者は何も返事をしない。だが、真にはそれで十分だった。
「お前の言いたかったことがようやく分かった気がする。ずっと答えを教えてくれてたんだな」
「私の口からは何も言えないぞ」
「いや、いいんだ。これはゲームだからな。管理者がネタバレなんてするもんじゃない」
真から自然と笑みが漏れていた。今まで管理者を警戒していたが、ここにきてようやく警戒しなくてもいい相手だと分かった。
「私を憎んでいるのではないのか?」
微笑みかける真に対して、管理者が問う。
「ああ、憎んでるよ。お前のせいで何人の人が死んだと思ってる」
「そうだな」
「お前が何の目的でこんなことをしてるのか、まったく想像もつかない。だけど……、単に俺達を苦しめたいだけじゃないっていうのは……分かる。でも……、だからって、許せることじゃない」
「だろうな」
管理者は、一瞬だけ真から目線を外した。その時、無表情の管理者の顔が少し曇ったように見えた。
「今日は、それを聞きに来ただけか?」
「いや、聞きたいことは別にある」
管理者は表情を戻した。いつも通りの無表情。総志よりも更に愛想がない顔だ。
「なんだよ?」
「お前の選択だ」
「俺の選択? そんなの決まってるだろ。ラーゼ・ヴァールを倒す。それだけだ」
「“誰”が、調律者ラーゼ・ヴァールを倒すのだ?」
管理者が核心に迫る質問を投げかけた。
「俺だよ……」
真が端的に答える。
「お前か……。それが答えか?」
「分かってて聞いてるだろ?」
若干眉間に皺を寄せて、真が言う。
「分かっているが、お前の口から直接聞きたくてな」
管理者にしては珍しく、意地悪な声を出している。
「悪趣味だな……。そうだよ、“俺一人だけ”で行く」
真がきっぱりと言い切った。調律者ラーゼ・ヴァールを討伐するメンバーの人選。それは、真一人だけ。
「今までの戦いでも分かっているだろうが、お前一人だけでは死んでいたこともあるのだぞ」
管理者の声は静かだった。真の答えを責めているわけではない。ただ、聞きたかったのだ。真が選んだ答えの理由を。
「それは分かってる……。これが大事なミッションだってこともな……。このミッションを成功させたら、世界がどうなるのかっていうのは、大体想像が付いたよ……。それでも、俺の答えは変わらない。俺は最初から思っていた選択をして行動する。それだけだ」
「なるほどな……。だが、お前がどんなことを想像しているのかは知らないが、私から言えることはないぞ」
「期待はしてねえよ。どのみち、俺の答えは変わらない。一人でラーゼ・ヴァールを倒しに行く。それが、俺が正しいと思う選択であり、行動だ」
そして、それがこのゲームの答え。管理者は答えてはくれないが、真はもう決心していた。
「お前の答えは理解した。それで、どうするつもりだ?」
「どうするって?」
「決まっているだろ。お前の仲間をどうやって説得するつもりだ? それとも、黙って行くつもりか?」
真の人選については、文句を言わないと総志も言っていた。だが、真一人だけで行くということに対してはどうか。
「黙って行くつもりだけど……」
流石に、真が一人でラーゼ・ヴァールを倒しに行くと言えば、反対される可能性が高い。幸いにも、神々の塔に入るアイテムは真が全て持っている。
「ここに来て、黙って行くか……。呆れた奴だな」
「し、仕方ないだろ! どうやっても説得できる自信がないからな……。俺が一人で行くつもりだとバレたら、身動きが取れなくなる」
「まあ、黙って行くことに関しては、お前の勝手だ。だが、神々の塔へ行く方法はあるのか?」
「それは、今考えてるところだ……。アーベルかロズウェルさんに頼んで、王国騎士団に船を出してもらおうかと思ってるけど……」
正直言うと、まだどうやってシン・ラースにある神々の塔まで行くのか、計画は立てられていない。とりあえず、考えているのは、センシアル王国騎士団に繋がりを持っていて、真とも繋がりのある人物に頼んでみるということ。つまり、アーベルかロズウェルを頼るということ。
「アーベルもロズウェルも、今はヴァリアにいるぞ。どういう理由を付けてヴァリアに行くつもりだ? アーベルに会いに行きたいとでも言うのか?」
管理者は更に突っ込んでくる。アーベルもロズウェルもセンシアル王国に来ることはあるが、次に来るのはいつになるのか分かったものではない。
「そ、それじゃあ、リヒター宰相に頼んでみる……とか?」
「お前は、あの男に信用されているのか? どちらかといえば、お前が台頭するのを邪魔に思っているのではないのか?」
管理者は鋭い指摘をしてくる。アドルフ前宰相ならいざ知らず、現宰相であるリヒターは真を煙たがっている。それは、部外者に手柄を取られたくないから。
センシアル王国騎士団の腰巾着であるリヒターが、真の活躍を由とするわけがない。ヴァリアの皇帝ブラドを倒した時にも、リヒターは全力で真の功績を認めようとしなかった。
「うっ……それは……。だったら、俺がセンシアル王国騎士団に入って――」
「そんなイベントは用意していない。それに、お前がセンシアル王国騎士団に入ったとして、他の仲間にどう説明するつもりだ?」
ゲームのNPCの組織に現実世界の人が加入できるような仕組みは用意されていない。だから、たとえどんな理由があろうとも、真がセンシアル王国騎士団に入ることは不可能なのだ。
「だったら、歩いて行ける道を探すしかないだろ。センシアル王国騎士団の船を借りる以外にも、道があるはずだ。そうしないと、ゲームとして進行できなくなる可能性があるからな」
「そんな道はない。何のためにアーベルとロズウェルとの繋がりを持たせたと思っている。シン・ラースへ行くのに必要だから、皇帝ブラドを倒すミッションをやらせたんだ」
「それだったら、やっぱりヴァリアに行くしか……」
真はそこで黙り込んでしまった。ヴァリアに行くにしても理由を考えないといけない。散々拒否していたアーベルに会いに行きたいという理由で怪しまれないだろうか。だが、他にそれらしい理由は思いつかない。
「まったく……。お前は最後で詰めが甘いな……」
「し、仕方ないだろ! そもそも、シン・ラースなんかに神々の塔を作ったのはお前だろ!」
「私に責任転嫁することは構わないが、今は愚策だぞ」
「どういう意味だ?」
「私がお前をテレポートさせてやる」
「え……ッ!?」
真は思わず素っ頓狂な声を上げた。管理者は、真をテレポートさせてくれるという。つまり、瞬間移動。離れた場所に、一瞬で移動できる超能力。実際のゲームだと割と当たり前に使える能力。だが、このゲーム化した世界にはテレポートがないせいで、多大な苦労をかけさせられた。
「お前を神々の塔の前まで瞬間的に移動させてやる。私は管理者だ。それくらいの権限は持っている。それとも何か? 私の助力など受ける気はないと言いたいのか?」
「い、いや……。そんなことはない……。そんなことはない。テレポートさせてほしい……んだけども、いいのか? そんなサービス絶対にしないと思ってたけど……」
管理者の申し出はまさに渡りに船だ。この申し出を断る理由などない。それでも、腑に落ちないことがある。なぜ、管理者がここまでしてくれるのか。
「これが最後だからな。お前はどう思っているか知らないが、これでも私はお前を気に入っているんだ。最初で最後、これくらいはしてやるさ」
管理者はそう言って微笑んだ。管理者が微笑んだ顔をまともに見えるのはこれが初めてだろう。分かっていたことだが、想像を絶するほどの美しさだ。
「そうか……。それなら、その好意、ありがたく受け取らせてもらう」
真も微笑んで返す。
「では、どうする? 今から行くか?」
無表情に戻った管理者が訊いてきた。
「いや、まだだ。もう少しだけ待ってほしい……」
「いいだろう。その時が来たら私を呼べ。もう、事実を切り取るようなことはしない。全ての記憶を持ったまま、帰してやる」
管理者はそう言いながら、真の横を通り過ぎ、部屋を出ていった。
「さてと……」
真が振り返ると、そこには美月に翼、彩音に華凛の姿が見えた。
「とりあえず、飯食いに行くか」
真が声を上げる。その声は、どこか吹っ切れたような声だ。迷いがなくなったと言ってもいいだろうか。そんな声をしていた。