天使狩り Ⅺ
1
草原に横たわる大型の天使。綺麗な白い羽は、だらんと垂れ下がり、力強かった手足は、ピクリとも動かない。
そして、大天使の巨体からは白い靄が立ち込めていた。ゲーム化した世界で、敵を倒した際に、アイテムを入手することができる場合は、この白い靄が立ち込めて来る。それに手を翳すと、自動的にアイテムを入手することができるという仕組みだ。
「取るぞ」
真が静かに呟いた。特に振り返って仲間の反応を確認することもしない。そのまま、大天使から出ている白い靄に手を翳す。
『大天使の心臓』
真の目の前に、入手したアイテムの情報が表示される。
「どうだった?」
駆け寄ってきた美月が真に尋ねた。
「『大天使の心臓』一個だ。無事取れた」
軽く微笑んで真が返事をした。最後はあっけなかったが、倒すまでに苦労はさせられたし、焦る場面もあった。
「良かった……」
真の返答に、美月がホッと胸をなでおろす。これで『大天使の心臓』を手に入れることができていなければ、再度戦わないといけない。それは、流石にきつい。
「本当に良かったです……。椿姫さんと咲良ちゃんにも報告してあげましょう……」
遅れてやってきた彩音も肩の荷が下りたといった感じだ。
「そうね。椿姫さんと咲良の仲間なら、私達の仲間でもあるんだしさ。仇取ったよって、言ってあげようね」
同じくやってきた翼も同じ気持ちだった。『大天使の心臓』を入手したことよりも、仇を取れたという思いの方が強い。
「それじゃあさ、早く帰ろうよ。モタモタしてたら、また天使が来るんじゃないの?」
華凛が素っ気ない感じで言って来たが――
「そうね、華凛も早く報告してあげたいって思ってるもんね」
翼に本音を見透かされてしまう。
「っちょ、べ、別に私は早く帰りたいだけだけど? 早く帰りたいだけだけど?」
顔を赤くして華凛が反論する。
「もしかして、華凛って、ツンデレキャラだったのか?」
そこに真がニヤニヤしたながら入ってきた。
「ツンデレ違うわよッ!」
華凛が即座に否定する。だが、真はニヤニヤ見ているだけ。
その様子を見ていた美月と翼と彩音は、同じことを思った。
(((今更何を言ってるんだろうか、この朴念仁は……)))
華凛がツンデレであることなど、とうの昔に分かっていたこと。もっと言えば、華凛が『フォーチュンキャット』に加入した後の行動を見ていれば、ツンデレ以外の何物でもないことくらい一目瞭然。気が付いていないのは真だけだ。
「分かったから、帰るわよ。天使が来るから、モタモタしてたら駄目なんでしょ?」
呆れた顔で美月が口を開いた。
「そうよ! 帰るわよ! 天使が来たら面倒だし!」
真に揶揄われた華凛は、そう言うと一人王都に向けて足を運んだ。
「だそうだ。俺たちも帰るぞ」
やれやれといった表情をしながら真が言ってきた。
「はぁ……。そうね、帰りましょう……」
残念な物を見るような目で美月が返事をする。
「最初から分かってたことなんだし、別に構わないわよ……」
「それが、真さんですよね……」
翼と彩音も同じような顔だ。今更気が付いて、ドヤ顔されても滑稽にしか見えない。顔は綺麗で、強いのに、こういうところだけは非常に残念だと思いながら、3人は一緒の帰路に着いた。
2
夕暮れにはまだ早いが、日が傾きだし、街が黄金色に染まっていく。西から入る太陽が眩しくて、自然と木陰を探して王都の中を歩いていく。
王都グランエンド中心地から少し外れた路地裏。この辺りは影が濃くなって、光に慣れた目には薄暗く感じてしまうほど。
そんな王都の裏路地に一見のカフェがある。
店の名は『トランクイル』。静かな、落ち着いたという意味を持つカフェ。夜になるとバーとして営業もする店だ。
真はカフェ『トランクイル』の扉を開けて中に入る。店内は自然と入って来る太陽光のみ。だが、直射日光は入って来ない。絶妙に角度を計算されて作られた店内は、淡く黄色がかった色に染まっている。
この場所だけ時間から切り離されているのだろうかと錯覚を覚える。そんな場所だ。
店に入って来た真や美月達に店主は何も言ってこない。
真達も何度か訪れたことのある店だ。店の勝手は知っている。何も言ってこない店主のことは、気にも留めずに、店の奥にあるテーブル席へと足を運ぶ。
「紫藤さん。取って来たぞ」
店の奥のテーブルに着いてコーヒーを飲んでいる総志に、真が声をかけた。総志は店の常連だが、この時間にいるかどうかは賭けだった。
テーブルは4人掛けの席。総志の他にも、サブマスターの時也、そして椿姫と咲良が同席していた。どうやら、今日は真が来るのを待っていてくれたようだ。
「もう、倒してきたんだね……」
最初に返事をしたのは椿姫だった。真の目をじっと見つめている。何か言いたそうな気配はあるが、それ以上は言ってこない。
咲良も同じだ。黙って真を見ている。いつもなら、すぐに噛みついてくるはずなのだが、何も言ってこない。
真が大天使を倒してくれた感謝の気持ち。死んでいった『ライオンハート』の仲間達より、真一人の方が強いという事実。総志ではなく、真が仲間の仇を取ったこと。複雑な心境なのだろう。
「ご苦労だった。こちらも、丁度、『天使の心臓』の集計も終わったところだ」
総志は普段と同じように返すだけ。
「どれだけある?」
重苦しい空気ではあるが、真は気にせず会話を続けた。大事なのは、残りの『天使の心臓』の数だ。
「俺の手元にあるのは87個だ」
「っていうことは、つまり……」
「お前の持っている13個を合わせれば、丁度100個になる」
朗報にも関わらず、総志は相変わらずの仏頂面。それでも、『天使の心臓』が丁度100個溜まったという情報は嬉しいものだ。
「良かった。これで準備が整いましたね」
最後の懸念材料がなくなったことに、彩音の声もどこか弾んでいた。
「そうね。っていうか、これからが本番なんだしね! 気合入れないと!」
翼も表情を緩めて言っている。
「あの……、水を差すつもりはないんですが……」
明るい情報が入ってきた中、美月が恐る恐る総志に声をかけた。
「なんだ?」
それに対して総志がぶっきらぼうに聞き返した。以前はあれだけ噛みついてきた美月が、今は震える子犬のような目をしている。そんなに自分が怖いのかと、総志は理解に苦しんでいた。
「いや、その……。都合が良すぎませんか……?」
「もっと具体的に言え」
腕を組みながら総志が返す。
「す、すみません……。『大天使の心臓』を手に入れてきたタイミングで、『天使の心臓』も丁度100個溜まってるっていうのが……。あり得ないことではないですけど……。都合が良いなって……」
「そのことか――和泉、説明してやれ」
美月の疑問については、どうやら解決済みのようだ。総志は、椿姫に説明を促した。
「はい――美月さん、そのことなんだけどね……。紫藤さんの元に『天使の心臓』が87個集められた時点で、私達も都合が良すぎるなって思ったの……」
「それは、俺も思った。偶然100個になるっていうことも考えられなくはないけど、必然と考えた方が自然だなって……」
真も口を開いた。総志から、『天使の心臓』が87個あると聞いた時に、引っかかりを覚え、素直に喜べなかった。
「もしかしたら、蒼井君はもう見当がついてるかもしれないけど……、答え合わせしてみる?」
真の言葉を聞いて、椿姫は思うことがあった。真は答えに辿り着いていると。
「大天使が現れる条件が、全体で『天使の心臓』を100個入手することだった。だから、『天使の心臓』を持っている人が、全員生きて紫藤さんに渡すことができたら、100個あって当然ってことだ」
「そうね。『ライオンハート』の見解も同じよ。実は、私達が大天使と遭遇した後に、別の部隊が大天使と遭遇してたの。私も知ったのは今日の昼のことなんだけど――そこは、『天使の心臓』を持っている人を逃がすことを最優先にしたから、その人だけは、生きて紫藤さんの元に辿りつくことができた……」
「大天使の出現は抽選っていうのは、間違ってなかったようだからな……」
最初の大天使と遭遇したのは、椿姫が率いる部隊だ。ブラウ村という場所から、王都グランエンドに戻って来るまでには、どうしても時間がかかる。
そのため、椿姫の報告を受けた総志が、警告のギルドメッセージを出すまでにタイムラグが生じた。その間に、大天使と遭遇してしまった部隊があったということだ。
「そういうわけだ。これが正解かどうかは確認のしようがないが、間違ってはいないだろう。重要なのは必要な物が揃ったという点だけだ。罠でもなければ気にすることはない」
総志はあまり興味を示していない様子。種明かしをしてみれば、どうということはない。真達の前提が少し違っていたというだけのことだ。
「まあ、理屈が通ってスッキリはしたけどな」
真もこの件に関しては、これ以上追及することもない。
「話を戻すが、これで『天使の心臓』と『大天使の心臓』が揃った。お前に全てを託す。蒼井、会議でも言った通り、ラーゼ・ヴァールを倒すメンバーを決めろ」
総志はそう言うと、真に対してトレードを申し込んできた。
真の目の前には、総志からのトレード申し込みのアイコンが浮かんでいる。そのアイコンにそっと手を伸ばすと、トレード専用の画面が開く。
そして、総志は、『天使の心臓』87個を選択し、トレードを決定する。真も総志からのトレードを承諾した。
これで、真の所持品が『天使の心臓』100個と『大天使の心臓』1個になった。その時――
「蒼井……さん」
ずっと黙っていた咲良が急に声を出して立ち上がった。鼻に着くような声は変わらないが、その口調に皮肉や僻みはない。
「ど、どうした……?」
いつもと雰囲気の違う咲良に真は少し緊張して返した。
「私は、『ライオンハート』の第一部隊……です。今まで生きてこれたのは、皆のおかげ……。私のために死んでくれてた人がいてくれたから……」
「あ、ああ……」
「私は、『ライオンハート』の第一部隊だから……ですから……。戦え……ます。足を引っ張るようなことはしません! 戦力として期待に応えることができます! だから、最後の戦の候補に、私も入れてください!」
咲良が声を張り上げ、深々と頭を下げた。ずっと妬んできた相手に敬語を使い、頭を下げる行為。以前の咲良なら絶対にそんな真似はできなかった。
「咲良……」
真が静かに少女の名を口にする。最強ギルド『ライオンハート』の最年少にして、精鋭部隊の一員。その実力は真もよく知っている。
「当然、僕や和泉さんも同じことを考えている。ここにいるのは、最終メンバーに相応しい面子だから、残り5人を選ぶのは難しいかもしれないけど、選んでくれたのなら、喜んで引き受けるつもりだよ」
時也が眼鏡の位置を修正しながら微笑んだ。現実世界側で最強のビショップ。実力だけで言うなら、美月よりも上。
「ということだ。俺達4人と赤嶺さんを選ぶもよし。『フォーチュンキャット』のメンバーで固めるもよし。それ以外の人選でも構わない。お前が決めた人選なら、どんな人選であろうが文句はない」
総志が真の目を見ながら言った。後はお前の好きなようにしろ。それが、総志からのメッセージだった。