森の小屋
1
お化けキノコの襲撃を受けてから、より慎重に森を進む。森の植物に擬態したモンスターが潜んで不意打ちを仕掛けてくる可能性があるからだ。だが、往々にして警戒をしている時というのは危険に遭遇しないものだ。何かがいる気配というのは常に付きまとってはいるが、襲われることはなく進むことができた。それとも道沿いにはあまりモンスターが出ないのだろうか。
「あれのことじゃない?」
美月が言う『あれ』とは、獣人NPCから聞いた森の中にある小屋。少し行った先には、道に沿うようにして建てられた丸太の小屋があった。森の木々が薄くなっている場所に建てられたログハウスには、太陽を遮るものはなく、沈むにはまだ早い西日を受けて、暗い森の中を進んできた真達には眩しく見えた。
「日が沈むにはまだ早いけど、今日はここまでにしようか」
「私はまだ行けるわよ。まぁ、真が疲れて休みたいって言うなら仕方ないけどね」
「翼ちゃん、森の夜は危ないって獣人さんが言ってたじゃない」
「そうだっけ?」
「だから、夜になる前に小屋を探してたんでしょ」
まだ先に進もうとしていた翼を彩音と美月でブレーキをかける。昼間でも注意して進まないと物陰からモンスターに襲われる森の中で夜を野宿で過ごしたくはない。一日を終えるにしては早い時間であるが、ここは忠告に従っておくことにする。
一部に苔が生えた古そうなログハウスであるが、作り自体はしっかりとしている。特に崩れた箇所があるわけでもなく、傾いてもいない。扉の立て付けも問題はなく、重量感のある厚い木の扉は力を入れれば難なく開けることができた。
小屋の中は意外と広かった。奥にある暖炉以外に家具がないので、余計に広く感じる。そんな何もないはずの小屋の中から人の声が聞こえてきたことは更に意外なことであった。
「……あ、どうも」
声の主は20代後半の男性。床に座って休憩をしているところであった。座りながら会釈をしている。どうやら先にこの小屋に来ていた人がいたようだ。他にもこの男性と同年代くらいの男女が一人ずつ、計三人が先客として小屋を使っていた。固まって休憩をしているところを見ると、この三人は知り合いなのだろう。
「あ、あの……どうも……」
扉を開けた真が若干焦りながらも返事をする。小屋の中に人がいるなんてことは想定していない。獣人NPCからは誰も使っていない小屋だから好きにしていいと言われたので、誰か居るなんてことは思ってもいない。
「どうしたの真?」
すぐ後ろから入ってきた美月も中の様子を確認する。あっと気が付き、慌てて挨拶をした。真と同様に中に先客がいるなんてことは考えてもいなかった。
2
日が沈み、暖炉に灯した薪がパチパチと小さな音を鳴らして静かに燃えているが、その音に気が付く者はいない。
「ははは、そうなんだ、大変だったね」
笑いながら話をしているのは、最初に声をかけてきた男性。名前は小林というそうだ。職業はダークナイト。真達が苦労して山の斜面を下ってここまで来たことを説明し、笑いながらも労を労ってくれている。当然のことながら、小林たちは道を辿って真っ直ぐ進んできた。ただ、この道の先に何があるかまでは知らなかったようで、真達が持っているエルフの村に関する情報は小林たちにとって有用な情報だった。
「小林さんたちは同じギルドの方ですか?」
彩音に対して敬語を使わない翼だが、流石に自分より10歳ほど上であろう初対面の人間には敬語を使う。元々体育会系なのだから目上の人に対しては厳しく指導されているのだろう。それでも彩音に対しては敬意の欠片もないが。
「いや、僕たちはギルドのメンバーじゃないんだ。狩場で知り合ってからよく行動を共にするようになってね」
「最初は私と小林さんで狩りをしてたんだけど、いつ頃だったかしら、木村君も入ってきたのって?」
「ええっと、たしか、グレイタル墓地の騒ぎがあった頃じゃないかな。あの時は次の稼ぎ場所を探さないといけなくなって、それで、狩場を探してた時に小林さんと園部さんに会ったんだよ。独りで狩りをするにも効率が良くなかったから一緒に狩りをするようになったんだ」
木村と呼ばれた男性はスナイパー。園部と呼ばれた女性はエンハンサーだ。年の頃は小林と同年代くらい。守りの硬いダークナイトに強化と回復が使えるエンハンサー。遠距離火力のスナイパーの組み合わせはバランスが取れていると言える。一緒に狩りをするようになったというのも必然と言えるだろう。
「グレイタル墓地の騒ぎは結構大変でしたよね……。私も翼ちゃんもグレイタル墓地には何度か行ったことがあるので、話を聞いた時はすごく怖かったのを覚えています……」
グレイタル墓地で人がゾンビになる事件。彩音も翼も他の人達と同じく、楽に稼げるグレイタル墓地という場所には足を運んでいた。ただ、段々と、ギルドによる人海戦術のようなやり方で狩場が占拠され始めたのをきっかけに足が遠のいていた。多勢に無勢。二人で狩りをしても数で勝るギルドの人達に獲物を奪われてしまう。横取りされたことに大声でまくし立てる翼を宥めて別の狩場に行くことが多くなっていた頃だ。
「ああ、知り合いも仲間が返って来なくなったって言う話を聞いたそうだよ」
「たしか、あの時って最初は誰も信じなかったのよね……。でも噂だけは回ってたけど」
小林も園部もグレイタル墓地でのゾンビ化事件の直接の被害者ではない。むしろ被害に遭った人の方が少ないだろう。それでも、もしかしたら犠牲になっていたのは自分だったかもしれないという恐怖はある。
「………………」
グレイタル墓地の話になって、美月の表情は沈み込み、黙ってしまった。グレイタル墓地の事件は今でも傷として残っている。グレイタル墓地という単語を聞くだけでも抉られるように痛い。
「あっ、あの、皆さんは、あの、これから?」
事情を知る真が話を別の方向へと向けようとする。慣れない敬語と無理矢理話の方向を曲げようとしたため、よく分からない日本語になっているが、要は『皆さんはこれからどうする予定なのですか?』ということを言いたい。特段聞きたいわけではないが、話を逸らすにはそれしか思いつかなかった。
「一応この先に進むつもりだよ」
どうやら小林には真が言わんとしていることが伝わっていたようだ。
「ミッションを?」
「いや、ミッションまでは考えていない……。何て言うか……情けない話なんだけど、ミッションに参加する決心はできていないんだよ……。でも、何もしないっていうのは気が引けてね。役に立つ情報がないか探しに来てるんだ」
「僕もコボルト退治の時には結局見てるだけだったからね……。今回のミッションも結局は見てるだけしかできないだろうけど、情報を集めて役立ててもらうことはできるからね。情報があれば犠牲を少なくすることもできると思うから……」
木村の言う『コボルト退治』とは、最初に訪れる村がヴォルフ村の人達がやったミッションの内容。ミッションを受ける場所によって内容は異なり、真はマール村でミッションを受けたためゴブリン退治をやった。
「人任せになることには変わりないんだけどね……。それでも情報は必要だと思うのよ……」
園部としても心苦しいことに違いはない。だが、命がかかる危険性のあるミッションに参加するかどうかと聞かれればNOだ。命を懸けてでもこの世界から脱却したいという強い思いを持っている人が団結してミッションを遂行している。
「蒼井さんたちはどうしてここまで?」
「同じですよ。情報を集めないことにはどうしていいかも分からないから……」
真の力があればミッションの攻略もできるかもしれない。以前のゴブリン退治程度であれば何の問題もなく。だが、今回のミッションもその程度であるかどうかは分からない。そもそも真一人でどうにかなるような内容かどうかも分からない。例えば、複数個所で同時にミッションを遂行しないとクリアできないような内容であれば、強いだけの真が一人で攻略することは不可能だ。だからミッションの内容を確認する必要がある。
それともう一つは美月の問題。美月にはミッションに参加しようという意思がある。命の危険があるかもしれないが、それでも立ち向かおうとしている。それは、大切なものを取り戻すことと二度と失わないようにするための己自身の弱さへの克服。だが、実際には死への恐怖がそんな意思をも圧倒的な重圧で押し潰してくる。だから、まずは情報を収集しようというのはつまりは妥協案だ。美月もそれは分かっている。分かっているからこそ、試されるのだ。ミッションの内容を知ってそれでも前に進めるかどうか。